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その瞳が映すもの



 浦原喜助という男は、どんなに傍にいても、どんなに抱きしめていても、抱きしめられていても、いつだって何処か別の所を見ているような男だった。時折虚空を見つめるその視線の先に誰がいるのか、何があるのか、雨竜にはわからない。けれど、そこにはあの浦原を以てしても掴めない何かがあることくらいはよくわかっていた。そしてそれが、自分ではないことも。
 それでも、雨竜は浦原の傍にいることを選んだ。いや、その言い方には少々語弊がある。雨竜が選んだのではなくて、雨竜の我儘を浦原がきいてくれた、と言った方が正しいだろう。
 こちらを見てほしい。いつもなんて言わないから、せめて傍にいるときくらいは自分のことを考えてほしい。そう思ったことがないと言えば、それは嘘になる。けれど、傍に置いてもらっている身としては、そんなことを言えるわけがなかった。
「石田サン、どうしたんッスか?」
「……いえ、なんでもないんです」
「調子が悪いなら、あんまり無理なさらないでくださいね」
「大丈夫です」
 けれど時々こうして思わぬ優しさをくれるから、いつまで経っても嫌いになれないのだ。
 どうせ自分を見ないのなら、徹底的に突き放してほしい。冷たくしてほしい。拒絶してほしい。
 それすらしてくれない浦原は、雨竜にとって残酷の以外の何物でもなかった。
「やっぱり顔色が悪いッスよ」
 そう言って浦原がまるで本当の恋人のように優しく髪を撫でるから、雨竜は思わず泣きそうになる。浦原の優しさが、今の雨竜には痛かった。
「……どうして」
 無意識の内に零れた言葉は、二人以外に誰もいない浦原の部屋に吸い込まれるように消えていく。
 これ以上言ってはいけない、そうわかっていても、雨竜にはもう止められなかった。
 いっそのこと、嫌われてしまえばいい。そうしたらこちらも嫌いになれるかもしれないのに。
 そう、思ってしまったのだから。
「どうして浦原さんは僕に優しくするんですか」
 雨竜は睨め付けるように強く、浦原の目を真っ直ぐに見た。普段は帽子に隠れてよく見えない緑がかった淡い双眸は、一瞬だけ驚きに見開かれたが、それ以上の変化はなかった。いつもの決して自分を映さない、ただの水晶玉に戻っている。
 それでも雨竜は視線を逸らさなかった。
「僕のことなんて好きじゃないくせに、どうして突き放してくれないんですか。どうして傍においてくれるんですか。どうして……優しくするんですか」
 もう、辛いんです。
 自分の口から放たれた、何処か呟きにも似たその言葉だけが、どうしてだか雨竜の耳にいつまでも残って離れてはくれない。
 浦原の傍にいられる時間は、たとえ彼が自分を見ていないとわかっていても雨竜にとっては確かに幸福な時間だった。けれど、考えないようにしていただけで、本当はそれ以上に辛かったのだ。
 いくら物わかりのいいふりをしても、いくら強がって見せても、それは所詮虚勢でしかなかったのだから。
 とうとう涙が頬を濡らしたその瞬間、雨竜は浦原に思い切り抱きしめられていた。息もできないくらいに、強く。壊れてしまうほど、ただ只管に。
「せっかく、アタシが」
 ぽつりと聞こえてきた声は何処か切羽詰まっていて、雨竜は混乱した頭のままそれでも思わず首を傾げずにはいられなかった。
「浦原、さん……?」
「あなたが嫌になったらいつでも離れていけるようにって思っていたんッスけど……すみません」
 抱きしめられた状態で雨竜には浦原の顔は見えなかったが、それでも浦原が自嘲するような諦めるような、そんな笑みを浮かべたことはわかった。それがわかるくらいには、浦原の傍で彼をずっと見てきたのだ。
「石田サンがいくら嫌がろうがいくら逃げようが、もう二度と離してあげられません」
 ――すみません。
 もう一度、謝罪の言葉が繰り返される。
 けれど雨竜は、しばらくの間浦原の言葉の意味を理解できなかった。彼が何を言っているのかわからない。ただ一つわかるとするならそれは、初めから自分は浦原から離れる気などなかったということだけだ。
 浦原さんも、同じ気持ちなのかもしれない。
 ようやく理解したのは、それだけだった。けれど雨竜には、それで十分だ。
「離さないで、ください」
 顔を胸に強く押し付けられるようにして抱きしめられているため、くぐもった声になってしまったが、雨竜は構わなかった。
「もう二度と、離さないでください」
 それだけ言うと、雨竜は浦原の背に腕を回し、まるで縋るようにその腕に力を籠めた。
「もちろんッスよ」
 浦原の声を何処か遠くに聞きながら、雨竜は浦原の腕の中でゆっくりと目を閉じる。
 いつだって別の場所を見ていた彼の瞳に、自分が映し出されている。その決して得られぬと思っていた幸福に、雨竜は声を出さぬまま少しだけ泣き、やがて静かに微笑んだ。



end

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あきゅろす。
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