main 一つの傘で。 ぽつりと降ってきた雨に、思わずため息をつく。またこの季節がやってきた。隣で歩く男は嬉しそうに笑っている。何年も見てきた光景。正直見飽きたくらいだ。どんよりとした空に不釣り合いなほどに晴れやかできらきらとした笑顔にうんざりしながら僕は傘を差した。 「アメ、濡れてしまいますよ」 「ああ…美しい…僕の化身たち…!!そして雨に濡れた僕はもっと美しい…」 「はいはい、もう何でもいいですから、傘をさしてください」 アメが恍惚の表情をしながら雨に濡れるのはいつものことだ。傘は持っているくせにささずに雨に濡れる。みっともないと思うが、アメの気持ちも分からなくはない。愛しいのだ。本当に自分の化身のようで。僕も雪の降る日はそれを一身に受けてもいいとさえ思う。きっとハレも、太陽の光を愛しく思っているだろう。ライも、稲妻に思いを馳せているだろう。クモリも、厚く空を覆う雲と湿気に心を寄り添わせているのだろう。もちろんアメのような愛情表現をするかどうかは別の話だが。 気持ちはわかる。しかし公共の場だ。しかも買い物帰りで荷物だってある。貴重な食材がびちゃびちゃになってしまうのは非常に困る。些か不本意ではあるけれど、ここは仕方ない。家まではあと数百メートル。幸い人通りはない。 「アメ」 「なんだい?あ、もしかしてユキったら雨に濡れた僕に惚れ直しちゃった?もう仕方ないなあ、僕の美貌ってばなんて罪なんだろう…!!」 「よく回る口ですねぇ全く…いいから、こっちに来てください」 「え、ユキ…?まさかさっきの図星?ユキってば!!可愛いんだから!!まあもともと僕のこと大好きなのは知ってるけどさあ!!」 「…いいから早く僕の傘に入れって言ってるんです」 半ば強引に僕の傘の中へアメを導いた。アメの髪は既にしっとりと濡れて艶めいていた。確かに、黙って見ている分には色っぽいと思う。黙って見ている分には、だが。 「ユキ…」 「あなたの行動が恥ずかしいから、こうしているだけです」 「うん」 「これ以外に、その、他意はありませんから」 「わかってるよ」 その嬉しそうに笑う目元に、苛立ちを覚える。そんなに嬉しそうにしないでほしい。そんな風にされたら、罵倒する気も失せてしまうじゃないか。 アメは傘を持つ僕の手に自らの手を重ね、やがて僕から傘を取って、少し高い位置でさした。確かに、僕より背の高いアメが傘をさす方が良いだろう。すこし悔しいけれど。 パステルカラーの傘の中。僕たちは肩を寄せる。雨粒が傘を跳ねて、心地よい音を奏でる。 傘の中は不思議だ。何故か外の世界とは違う空間にいるような錯覚に陥る。傘の中二人きり。世界と切り離されたような感覚。 「ユキ、こっち向いて」 「はい? っ、ん…!」 急に立ち止まったアメを不思議に思って、足を止めてアメを見たときだった。アメの、柔らかくて冷たい唇が、僕の唇に重なった。傘が覆いかぶさるその空間は、僕たちだけの世界のようだった。 「な、に…するんですか…」 「ごめん。なんか、急に愛しくなっちゃって」 「ばか」 「大丈夫。傘で隠れて、誰にも見えないよ」 普段なら、外でこんなことされて黙っているはずもないのだが、今日は怒る気にもならなかった。僕は傘を持つアメの手を引き寄せて、今度は僕からキスをした。 「…っ、」 「そうですね。確かに、傘で見えません」 「ユキ…!!」 「…さて、早く帰りましょう。こんなところでぐずぐずしてる場合じゃないんです。お洗濯物だって、ハレが取り込んでくれてるとは限りませんし…」 「うん。そうだね」 本当は、そんなこと思ってない。ハレは今日一日家にいるし、よく気がつく良い子だから、心配しなくても大丈夫なことくらいわかっている。でも、何か理由をつけて、この恥ずかしいほどに甘い空気を壊したかったのだ。 「…何にやにやしてるんですか」 「別に?ユキはやっぱり可愛いなーと思っただけ」 「むかつくからその顔やめてください。傘で殴りたくなります」 「ああん!ユキの愛情表現はいつも痛くて最高だよ!!でも顔だけはやめて!!」 雨が降っている。傘は二本あるのに、二人で一本の傘を共有して。恥ずかしい気もするけれど、傘の中の、二人だけの世界なら、それでも構わない。 僕たちはいつもより近い距離で寄り添いながら、家路を歩いた。 end. 梅雨ですね。 ★ [*前へ][次へ#] [戻る] |