3万打記念
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うーん、と小さく不二が唸った。そんな表情を見て幸村は楽しげにクスクスと笑った。向かい合わせで座る空の見えるテーブル席。幸村の話を聞いていた不二は理解できないというように眉を潜めて、肘に頬を付いた。
「不二には難し過ぎたかな?」
からかうように幸村が笑う。すると不二はムッと眉をつり上げて「幸村の頭が固すぎるだけだよ」と反論する。そんな不二の表情さえ愛しく感じてしまう辺り大分末期だと思う。だから幸村はちょっと意地悪な事を口にして不二を困らせる。
ノアシステム。
実在しないものさえ実在させるというもの。世の中実在するものなんて自分だけで、他のものなんてノア、つまり架空のものである。だからよくある「この世は俺のもの」っていうセリフはある意味正しい。
「つまりね、今俺自身は不二の空想であって、不二が望んだ世界なんだよ。」
台詞を選びながら幸村は先を続ける。不二は未だ良く分からないというように置いてあった飲み物のストローに口を付けて「ずっ」、と甘い紅茶を飲んだ。
「だから不二が望んだんじゃなければ、俺は不二と今こうやって一緒にお茶をしてないかもしれない。もしかしたら、……そうだな。俺は真田と一緒に空を見てるかも。もしくは不二の恋を俺が応援してたりな。」
自分たち意外の人間の話が出てきてやっと不二が今までと違う反応を示す。
「そうだね。もしかしたら僕は手塚に恋をしてたかもしれない。」
未だにクスクスと笑う幸村に不二が口を挟んだ。
「そんな手塚は跡部と切ない恋をしてるかもしれない。」
そして間入れず幸村は不二の言葉に続ける。お互いに視線を合わせて数秒。ふっと幸村が微笑む。それは逃げでもなんでもなかった。
「つまり今は無限大なんだよ。不二、お前自身の気持ちでなんだって変えられる。今と同様に未来だって無限大なんだ。」
幸村がすっと席を立つ。テーブル席から離れて、向かいの窓をゆっくりと開けた。ぶわっと強い風が吹き込んで幸村の青く細い髪を撫でた。そんな風景を眺めていて不二はどこか切なくなるのを感じた。
そしてゆっくり席を立ち、幸村の背中にぽてりと頭を付けた。「なんだい?」と優しく聞いてくる幸村にふるふると首を振るだけで答えた。
「今日は空が近いね。」
独り言のように幸村が呟く。地面からは遠い。いっそ空に手が届くような気さえしてくる。マンションの最上階。二人きりの部屋。二人の、二人だけのための家。ここで暮らせる事がどんなに幸せか、と幸村は思う。
「幸村。」
呼ばれて振り向いた。すっと小さな体が背中から退いたので、そっと抱き締めた。すっぽりと腕の中に収まる体が愛しい。
「今、ちゃんと君の世界に僕は存在してる?」
切実に告げる瞳。そんな表情が愛しくて、恋しくて堪らなくなる。そんなに心配しなくても俺の世界は不二だけなのに、幸村はそんな事を思いながら唇を軽く重ねた。
「もちろん。不二とこうして暮らす事が俺の望んだ世界だよ。」
軽く囁いたら幸村の背中に回った手がぎゅっと服を握った。そして不二から重ねられる唇。
「ありがとう。」
揺れた瞳には涙が浮かんでいた。迷ったならいつだって手を引いてあげよう。そう決めた。だからお礼なんて言われるような事じゃない。けれど幸村は素直にそれを受け取り、頷いた。そしてそのまま不二を床に押し倒す。首筋にキスをしたら「背中痛い」なんて我が侭。
「じゃあ今日は止めようか?」
「…………馬鹿…。」
我が侭なのは自分だとわかりつつ幸村は細く笑む。首に絡んできた素直な腕に愛しさを感じながら、幸村は小さく呟いた。
「ありがとう。俺との世界を望んでくれて。」
Fin.
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