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ふわり、黒い髪が風を受け止めきれずに靡いた。少年のその短い髪をすり抜けて、後ろにいた男の長めの濃い茶の髪を更に靡かせる。緑のフェンスに掛けていた手が外れた。振り返り視線が交わる。レンズ越しに少年を見据える切れ長の瞳は、何を考える訳でもなく、少年の時間を奪う。目が離せない。遠くでボールを打ち合う音。野試合の観戦中だという事を忘れてしまう。
その凛とした瞳の焦点が少年からふっと外れて、やっと少年は呼吸を許されたような気になった。緊張が緩んだ。小さく胸を撫で下ろす。

「越前。」

呟かれた言葉。ドクンと心臓が跳ねる。今目の前で行われている試合を見ろ、とその一言に込められていた。少年は前を向く。緑のフェンス越しに見える野試合。そこで試合をする2人は、この中学テニス界でも注目される人間。だから男もその結果を見守る。どっちが勝つかは分らない。力は5分と5分。いや、若干片方が押しているのだろうか。黄色いボールを幾人もの人が追いかける。スピードについていくのがめんどくさい。目が痛くなる。

どんな事を考えているのだろうかと気になり、試合を見据える横顔を見上げた。遠く、遠くを見つめるその瞳。背中に青学の文字を背負った大きな背中は、けれど細く、どれだけ大きな重圧を感じているのかと思う。

再びフェンスに手を掛け、瞳を伏せて思う、男と違う、けれども良く似た男。いつでも敵わない彼。絶対に打ち負かしてやると思いつつも、その完璧なる実力にいつも負かされる。「負けてたまるか」そう呟き、吐き捨て、ボールを追いかけ続けて、そして彼の背中を見失う。遠すぎて見えなくなる。それでも悔しくて、けれども表だってその感情を出す事も実力の差を認める事も出来なくて、あの背中を必死に追いかけた。初めのうちは本当に純粋に追い付きたいと、そのうち、本当に追い抜きたいと。その理由は彼に追い付けばこの男と同じ視線になれるかと思ったからなのだが。

そんな彼と男は似ていた。比べてみれば全く違うのに。あの彼の余裕ぶった笑みを男は浮かべるとこなんてないし、逆にこの男のように一人で在り続けるような生き方を彼はしない。プレイスタイルだって全く違う。彼はまるで指導をするようなテニスをするのに比べ、男は絶対的な力で立ちはだかる。それは相手にされるまでもない絶対的な力で。「あの」試合を思い出し、少年はもう1度その横顔を見上げた。あの時と変わらない自分など目に入らないというような威厳のあるその横顔。少年の視線に気づいたのか男はこちらに視線を落としてきたが、少年は視線を混じらせる事もせずにまっすぐ前を向きなおした。



それでもきっとどこかで似ている。何が、と問われれば答える事なんて出来ないけれど。だって似ている2人なのに、こんなにも感じる思いが違うのだから。彼にはきっと指導者として、絶対に追い付きたい相手としての敵対感情が、男には誰にも感じた事のない、自分だけのものにしておきたいという独占欲が。なぜ似ているなどと感じるのだろう。それはもしかしたら、あの長身の黒髪の男だったら分るのかもしれない。2人の試合を見ていて、2人にしか分らない何かがあるのだと思った。口を出す事さえ出来なかった。悔しくて、ラケットを握りしめた事を今でも覚えている。握りしめたラケットを持たない右手よりも、男と試合が出来ない悔しさよりも、自分と違う世界に男は生きているのだという現実が、少年には痛かった。


「ねぇ。」

呼びとめた。その「優等生」を演出するような男のちょっと意外なボタンの開いているポロシャツを掴んで、ぐいっと引きよせる。

「……ッぜ、ん…?」

驚いて自分の名前を呼んだ男の声に少年は満足感を覚える。そうやって自分の事だけみて、自分の名前だけ呼んで、一喜一憂してくれたらいいのにと思う。こんなにも何人もの相手から意識されている中たった一人しか見ようとしないこの男を、自分だけの為に生きてほしいと願う。なんて愚かな望みだろう。それでも止まらない衝動。

「ねぇ、俺の事だけ見て下さいよ。」

籠の中の鳥ばい。

そういった一人の男。黒髪長身の男。あの台詞を聞きながら思う、ひどく歪んだ忌々しい程の感情。自由な羽をむしり取って、本当に自分の籠の中に隠してしまえたら良いのに、と。それでもそんな力が自分には備わってなくて、そんな言葉を口に出来るあの黒髪長身の男にまで嫉妬をした。そして自分なりの結果を見つける。

同じ世界にいられないなら、せめて俺の方を向いてくれたらいい。俺はこんにも手塚さんをみているんだから。

少年は思う。この男の全てを手に入れられたら良いのにと。あんな生意気な1年よりも、自分の事を見てくれたらと。

「財前。お前…。」

クスリと微笑んで見せた。これが俺らが交わす初めての言葉。

「ねぇ。」


俺を愛してください。
誰よりも強く。

越前なんかよりもずっと俺を見て。

千歳先輩なんかよりも、俺との世界を求めて。

俺には羽をむしる力なんてないから、

自分で籠に入って下さい。





Fin....





あきゅろす。
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