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気がついたらここにいた。記憶喪失とか、そういうものではなくて、幼い頃からここにいたのだ。冷えきったコンクリの壁と床。僅かに射し込む生暖かい太陽の光。黒光りする鉄格子。完璧なる牢獄。ここにいるのが当たり前だった。外の世界なんてあるなんて知らなかった。彼に出会うまでは。


『prisoner』


皸(ひび)の入った粗末なコンクリの壁には小さな小さな穴があった。牢屋の隅にある小さな穴。そこは隣の牢屋と繋がっていた。しかし隣の様子はほとんど見えない。だから隣にいる人間がどんな姿をしているかは分からない。ただ、お互いの声を通す事は出来た。だから寂しさを紛らわす為に検視官に見つからないよう、隣の牢屋の彼とよくひっそりと会話をしていた。

名前を聞いたら彼は自分の名前など知らないと言った。忘れてしまったのだと。ただ、ここで『NO.20』と呼ばれてるからそれでいいと。私は少し悩んだ果て、『では20(におう)くんと呼ばせて頂きます。』と口にしたら、少し間があって小さな小さな御礼の声が聞こえた。そして、ならばと私にも呼ばれている番号から『89(やぎゅう)』という名前をくれた。私は初めて名前と言うものを貰って、くすぐったい気持ちになった。




「におうくんは毎日何をしているんですか?」
「お前さんと雑談しちょるよ。」
「そうではなくて…。」

におうくんの考えは本当に歪曲だ。きっと右と言えば斜め上と答えるのだろう。いや、もしかしたらもっと他の答えが彼には見えているのかもしれない。

「…なんもしとらんぜよ。」

ただ嫌に素直な所もある。周り口説い台詞や嘘の後には必ず真実を彼は口にする。存外分かりやすい人間なんだと理解するには、そう時間は掛からなかった。

「なんもせんで、ぼーっとしとるだけじゃ。今日の夢はなんじゃろかーなんて考えたり、な。」

そしてまた告げられる戯れ言。彼を理解したつもりでも、どこまで彼が嘘をついているのかは検討がつかないのもまた事実だった。真実をちらつかせながら語る嘘なのか偽りを装った真実なのかよく分からない話。どこまで信じて良いのか、どこまで疑って良いのか、結局顔も見たこともない相手なのだからそんな事考えるのも無駄なのだろうけれども。たまに、今にも泣きそうな雰囲気を纏った声で嘘をつくものだから、こちらが切なくなるのだ。

「夢なんてありませんよ。」
「またそんな事いいなさんな。」

そして私は夢の話は嘘だと言い切る。恒例の彼のお得意な嘘。みんなが笑っているだとか、暖かい食事があるだとか、母親と父親の側に居られるだとか。寝ている間にそんなお綺麗な物語が見られるのだとしたら、そんな都合の良い話はない。だからこれも嘘だと。

また、寝ている間に見える物語が『夢』だと言う話も気に入らない。それが本当ならば、私の夢はとても残酷で、無惨で、リアリティーのある冷えきったものだから。同じ場所にいるはずなのに一枚の壁を隔てただけでこんなにも違うだなんて信じたくなかった。

「お前さんは外を知らんからじゃ。」
「知ったらそんな都合の良い妄想が見られると言うなら慎んで遠慮します。」

壁越しでも分かる大きなため息。憎まれ口しか叩けない自分。本当はこんなの嘘なのに。外の美しいであろう世界と、暖かい空気に触れたいと思うのに。反発する口先。

「やぎゅうもいつか見れるき。」

それでも貴方がそんな事を言うから。あまりにも優しく呟くから。私の本音を意図も簡単に探り当ててしまうから。私は止まらない憧れと涙をひっそりと隠す事しか出来なくなってしまうのだ。

彼はそれ以上何も言わなかった。




***




「におうくん?いらっしゃらないのですか?」

今日は隣にいくら呼び掛けても返事が全くない。まさか、という一抹の不安は、先程隣の牢屋の鉄格子が開き閉めする音で掻き消された。キィ、という耳に嫌に響く不興な音に続いて、ぺたぺたという足音。ドサリと体を床に投げ捨てる音。そしてまた不興な音とカチリという鍵の閉まる小さな音。どうやら私が起きる前にどこかに出掛けたらしい彼が帰って来たようだった。しかし彼の存在を確認したのはそれきりで、他に全く反応をしないのだ。呼び掛けてみても、穴から隣を覗いてみても、柄にもない独り言を言ってみても駄目。

まるで意味がないと、呆れてため息をついた。


「……。」

ふ、とひとつの言葉が脳裏によぎった。それは何の前触れもないものだった。まるで虫の知らせの様なそれに、私は口にしなくてはいられなかった。



「泣いて、いるのですか…?」


しん、と空気が凍る感覚を覚えた。そしてずぴっという小さな濁音。それは肯定の証。わりと近くで聞こえたその音に、何故かぐっと胸が痛くなるのを押さえ付けた。


「………。」
「………。」


言葉が出てこなかった。におうくんが泣いている理由なんて全く分からないし、かといって彼が口を開く訳でもなし。ただ、なんとなく感じる心地悪さから口を閉じることしか出来なかった。





隣の様子を伺いながら時間だけが過ぎてどれぐらい時間がたっただろう。名前呼ばれてはっと意識を隣に送った。

「お前さんは俺を悲愴死させたいんか。」

聞こえた声は思っていたよりも落ち着いた声で、私は明らかに安心を覚えた。相変わらず意味の分からない事を紡ぐ彼。なんですかそれは、と感情と反して少し呆れた調子で問うたら「何も言ってくれんと寂しさで死んでしまうぜよ。」なんて戯言。それでもなんとなく覚えるくすぐったい感覚。

「そんな事でいちいち死んでいたらあなたは何回も死んでいますよ。」

戯言には戯言で。苦笑混じりに聞こえた「そうじゃなぁ…。」という肯定の声がまた違う雰囲気を漂わせていた事にきっと私は気づいていた。気づいていたにも関わらず何も知らないフリをした。

「……いっそ死にたいぜよ。」

あまりにも自然に紡がれた言葉が、まるで知らないフリをした私を責めているようだった。見えないと分かっていながら、私はにおうくんを見るように振り返った。

なんとも言えない空間を破ったのはやはりにおうくんだった。

「知ってるか?やぎゅう。お前さんの前にそこにいた人間を。」
「…ここに誰かいらっしゃったんですか?」

あぁ。と短い返事。嘘も偽りもなく、私は私の前に誰かがこの牢獄にいただなんて知らなかった。だから自然に驚いた。人数の関係か別に理由があってか、よく牢屋の移動は命じられたものの、どこも人がいた痕跡などなかった。ここも例外ではない。

「おもしろい男じゃったよ。No. 21と呼ばれとった。俺の戯言に乗ってくるし、逆に俺を騙そうと時折ふざけてくるし…。」


ぽつりぽつりと紡がれる過去のその人を思い出すような言葉。見たこともないその人を思い出しすように私も目を細めて、どんな人間かと想像をした。

「淡々と喋る割りに結構熱くて、青い髪と真っ白な肌が印象的じゃった。」
「………え…?」

疑問が過って目を開いた。彼の言う人物像に不自然な点があったからだ。私が疑問を抱いた事ににおうくんも気づいているようだったが何も口にはしなかった。だからいつもとは逆に私から言葉を口にした。

「なぜあなたはここにいた方の容姿がわかるのですか…?」

単刀直入に。壁越しのここでは容姿なんて分かるはずがない。私とにおうくんがお互いにお互いの容姿が分からないように。におうくんとここに居たという男性も、お互いの容姿が分かるハズがないのだ。におうくんは一呼吸置いてからまるで当たり前のようにあまりに残酷な言葉を紡いだ。「俺が直接合って殺したから」だと低く淡々とした声で。

「……………。」

あまりに簡単に言われた酷い言葉に声を失ってしまった私に、におうくんは追い討ちを掛けるように再び口を開いた。

「俺がそこの牢獄にいたNo. 21を殺したんじゃ。」

言葉を探しても見つからなかった。何故。いつ。どこで。どうして。疑問は沢山出てきた。しかしあまりにも多すぎてひとつの言葉を形成出来なかった。


「"IHS"って俺らが呼ばれとるの知っとるか?」
「………なん、ですかそれは…。」

そんな私に助け船を出すようににおうくんは話を続ける。におうくんがこんなに的を得た真面目な話をするなんて珍しい、などとどこかで考えながらも、私はただにおうくんの話に耳を傾けた。

IHS。
人種にいつか最大の危害を加えると判断された人間たちの事。つまり、テロリストと見なされた人間たちだ。実際私にもにおうくんにもそんな意思などない。ただ共通しているのは世界でも有名な最悪と言われたテロリストの祖先を持つという事だった。つまりテロリストの血を引いた私たちは危険だから隔離されているのだと。におうくんの言い方は相変わらず回りくどかったが、つまりそう言う事だった。

「"IHS"を逆から読むと"SHI"。つまり『死』。俺らは死を招くとされている死神って事じゃな。」

におうくんの声はいやに明るかったが、悲しみを隠し切れていない事は確かだった。一方私は頭がぐるぐるとこんがらがっていたが、理解しようと必死に頭を回転させた。早すぎるにおうくんの話の展開に、私はただただ聞いている事しか出来ない。

「そんな世界のゴミと見なされた人間たちなら、そいつら同士で消しあってくれたら『正しい人間様』は嬉しいじゃろうなぁ…?」
「………っ…。」

皮肉めいた言葉選び。クックッというにおうくんの堪えた笑いが胸に突き刺さった。そして、そんな隠された真実の話がもう終わりなのだと告げるように彼は私の名前を呼んだ。そしてひと言。

「すまんな。」
「なにがですか。」

数秒後「喋りすぎた」と付け加えるように呟き、それ以上その事に触れることはなかった。
ただ、彼はとても悲しい思いをしてきて、今日とその傷を深めてきたのだと理解した。




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あきゅろす。
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