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見た瞬間に惹かれた。ドクン、と心臓が高鳴って、そう、まるで毒にやられたような感覚。満月の月の光が照らす彼の姿は本当に妖艶だった。色素の薄い髪が黄金のようにゆらゆらと揺れ、蒼い瞳が暗闇の中から浮き出るように輝いて、いや、多分その時の白石には彼の全てが輝いて見えた。けれども白石が惹かれたのはそんな闇夜に浮かぶ妖艶な姿よりも、もっと他にあった。彼の唇から、つ、と伝わる赤。口の端についたそれを指で拭った彼はこちらに気づくとクスリと楽しげに笑って見せた。


『赤い約束』


「白石。」
「…お、不二。」

コンコン、というノックの後、ひらり、と窓から入ってきた人物を白石は何の躊躇いもなく部屋の中へと誘った。漆黒のマントを纏った小柄な男性。彼は自分の事を『不二』と名乗り、また吸血鬼だとも言った。そんな人物がなぜ今こうやって白石を訪ねてきたかと言えば、そんなもの白石が不二に家を教えて、いつでも気が向いた時に来て良いと言ったからなのであってそれ以上ではない。

「参ったよ。まさかこんなに本降りになるだなんて思わなかった。」

ひとつため息を付いて不二は白石に笑みを向けて見せた。外を見ればなるほど、先程まで小雨だったものが勢いの良い大雨になっていた。白石はタンスからタオルを出して不二に差し出す。と不二はそれを受け取りわしゃわしゃと頭を拭きだした。

「拭いたろうか?」
「ふふっ、そんなに僕に触りたかったの?」

少し濡れたタオルに手を置いて問いかければからかいの言葉。視線が交わり、甘い空間が漂う。とさり、と不二が被っていたタオルが床に落ちた。つ、と輪郭をなぞるように不二の指が白石の頬を滑り、白石が不二に唇を重ねた。そのままベットに不二を押し倒して、貪るようなキスをした。

「は…っ、しら、いし…っ…。」

息が苦しいと不二が白石の服を掴む。クラクラとするような熱。止められないほどの愛おしさ。自分が一人の、しかも人間でなくて吸血鬼だと名乗る人物に、こんなに必死になるだなんて思わなかった。

そっと唇を離せばそこには頬を赤く染めた不二の表情があって、心臓が高鳴った。首筋に顔を埋めて、漏れる小さな声に束縛感を覚える。

「…ね、あの日を思い出すね…。」

はた、と白石が動きを止めた。しかし「そやな。」と一言肯定の言葉を嬉しそうに呟いて、愛撫を再開する。


あの日、というのは言うまでもない。不二と白石が出会った満月の夜の事だ。あまりに満月が綺麗で、白石はそっと家を抜け出していた。外の冷たい空気が気持ちよくて、ふらふらと歩いている時に不二に出会った。横を一人の男性が走って逃げていったがそんなの気にならなかった。不二から目が離せない。まるで囚われてしまったかのようだった。笑みを浮かべた不二だったが、次の瞬間にはまるでガラっと雰囲気を変えて白石に話しかけてきた。「見つかっちゃった。」なんて楽しげに。人間に見つかってはいけなかったのか、見つかりたくなかっただけなのか、そこの所は白石には分らなかったが、何故か白石はそのまま不二を家に招く事になった。そこで不二は吸血鬼だという事を聞かされ、それでも白石は不二への興味は消えずに、そのまま不二を抱いた。

躊躇いなんてなかった。「僕、吸血鬼だけどいいの?」なんて質問も直ぐに答えられた。受け入れられると思った。愛することが出来ると。愛したいと。

それから不二は度々白石の部屋を訪れた。会えば会うほど愛しさが積もって仕方がなかった。心が千切れそうになるほどの愛情。こんなにも感情がむき出しになるのは、白石は初めてだった。

「……‥やっ…、あっ、…あぁッ…‥」

懐かしい事を考えていた白石の思考を不二の声が引き戻す。かぷりと首筋に噛みつけば素直に反応する体。外は雨。部屋に響く声を激しい雨の音が掻き消した。




「信じられない。僕の体力の事、全く考えてないだろう。」

あからさまな不二の大きな溜息。雨は大分小雨になっていて、上弦の月が雲に見え隠れしている。時刻は既に日付を跨いでいた。

「僕がこれから帰らなくちゃいけない事、知ってるだろう?」
「せやから、すまんかったって…。」

誘ったのは不二だ。しかし、それとこれとは話は別らしい。何回も鳴かされて達して、疲れきって寝てしまったからこんな時間になったのだ。本当はもっと早くに帰るつもりだった。なのにこんな時間になってしまったのは全て白石のせい、そういう事だった。困り切って白石がバツの悪そうな表情を見せる。

「なぁ、不二。」
「なに。」

冷たい返答。心の中だけで「うわ。」とひとつ呟いてから意識的に笑顔を作り上げた。人当たりの良い誰にも好意的な笑み。

「なんやったら今日は泊ってけばええやん。」

ふ、と不二の動きが止まった。そして一瞬の切ない笑みを浮かべて白石に向き直る。

「僕にも僕の生活があるんだ。ありがたいけど…それは無理だよ。」

先ほどまでの怒りは一瞬でなくなった。しかしその不二の一瞬の変化に白石はどうしていいか分らなくなった。「じゃあ、いつまでも長居したくないから。」とだけ不二は口にして、白石の返答を聞かずに部屋を後にした。白石はその背中が闇夜に消えていくのをただ見詰めていた。



「あ、白石。お帰り。」

白石が家に帰ってくると不二は既に部屋にいた。確かに今日は部活が長引いて遅くまで練習していたが、不二が先に部屋にいる事は稀だった。外はまだ夕暮れ。日が落ちかかっているところだった。

「随分強いんだね、テニス。見てたよ。」

あぁ、と今日の練習の事を思い出す。今日は試合形式の練習で、調子が良かったのもあり、完璧な勝利をした。こんな日が顧問の特別指導の日でなかったと、白石は本当に安堵した。

「まぁ、部長やしなぁ。あんぐらいはせんとあかんやろ。」

ドサリと重そうな荷物を置きながら少し得意げに話す白石に不二が笑い声を洩らす。小さく肩を揺らしながら、そうだね、と一言。

「テニス、か。」

どこか思い耽るような不二の横顔。羨ましそうな、懐かしそうな。

「自分もやってみるか?」
「無理だよ。太陽の下って苦手だもの。」

そんな不二の表情が引っかかった白石が聞いてみるも、不二は直ぐに首を横に振った。だから昼間は現れないじゃないか、と過去の例をあげて。

「やったら体育館でも取ったらええやん。そこでやろや、テニス。」

思ってもみなかった台詞に不二が目を見開く。そして直ぐに瞳を孤に描いて、ひとつ頷いた。白石の優しさに心が温かくなる。

「手取り足取り教えたるわ。」

そっと不二の頬に手を添えて、細い線の髪に指を通した。二人の視線が交わる。ありがとう、なんて不二はお礼を口にするも、その思考は既に白石の行動ひとつひとつを気にするもので、クスリと含みのある笑みを浮かべる。

「蔵ノ介ー!御飯よー!」

そんな二人の甘い空間を遮ったのは下から響く高い声。その唐突の侵入者に二人の体はビクリと震える。

「…タイミング悪……っ…。」
「あはは、キミのお母さん実は見えてたんじゃない?」

肩をガクリと落とす白石に不二が笑いかける。そしてそっと頬に手を伸ばして、そのまま触れるだけのキスをした。

「行っておいでよ、ご飯。待ってるから。」

ね?と微笑む不二。どこか名残惜しさを感じながらも白石は頷いて部屋から出て行った。そんな白石の後姿を見送った後、不二は窓の傍に腰掛けた。外は既に日が落ち切って闇が広がり始めていた。月は半月。ちらちらと星たちが光っていた。





白石が夕食から帰ってきたとき、不二は約束通り待っていた。おかえり、とひとつ微笑む不二は特に何をしていた訳でもなさそうで、窓辺に腰掛けた状態で白石を部屋へと迎えた。

「自分は飯はいいんか?」

「なんだったら持ってくる」とでも言わんばかりの白石に不二は首を振る。

「僕は人間の血しか飲まないから。」

そこでやっと白石は自分と不二が違うということを思い出した。人間と吸血鬼。その小さな差が、二人の大きな差だった。そうだった、と思う反面、相手はちゃんと食事をしているのかどうかが心配になる。そしてはた、とひとつの提案が白石の頭を過る。

「俺の血、飲むか?」

その瞬間空気が止まった。温かかった部屋が冷えて行くのがわかった。白石のその発言に、不二の表情も。

「白石。キミ、自分が何言ってるのか分ってるの?」

それは怒りを含んだような声だった。しかし白石は自分の発言を理解しているつもりだった。蒼い瞳が白石を捕える。自分の血を不二に、吸血鬼に与えるという事は自分も吸血鬼になるという事。人間ではいられなくなるという事。だけど、それは同時に不二と一生一緒に居る事が出来るという事だった。白石はしっかりと頷く。不二の大きな溜息。

「憧れだけで物をいうものじゃないよ白石。」
「自分は俺と一生一緒にいたないんか?」

ピシャリと言い放った不二に白石はさらに言葉を続ける。それは自分の望みだった。例え自分が人間でなくなったとしても、不二とずっと居る事が出来るならばそんなもの関係なかった。誰に認められなくても一緒に居られる世界は、なんて理想的だろうか。

「いたいよ?いたいけど。」
「やったらっ!」
「だけどね。」

芯を持った声が白石の声を遮る。言葉を続けようと思った白石の声はその声によって強制的に止められた。力ではなく、意識で。

「僕はキミには人間で居てほしい。永遠の命が欲しいだなんて、そんな下らない事を考えないで。」
「……‥‥っ……。」

たかが15年しか生きていない自分に、自分の何倍も生きている不二の言葉を言いくるめるだけの語彙も説得力もなかった。いくら自分が大人っぽいと言われたって、それは中学生という括りの中での話。不二に比べられるほどのものではなかった。そんな自分に白石は苛立ちを覚える。しかし、理解できないならもう会わない、とさらに口にした不二に、納得せざるを得なかった。どこか不満げに納得する白石に気付きながらも、なら分った。と口にする不二の瞳を、白石は見る事が出来なかった。






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