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不二が事故にあってからしばらく、幸村は不二の所に訪れることはなかった。その時の不二の様子に、よく見舞いにきていた菊丸は何の言葉を掛けてよいか分からなかったという。

そしてある日、不二の病室に訪れた前より少し痩せた様子の幸村を見て、不二は至極嬉しそうに「おかえり。」と微笑みながら涙を流した。
その日から、不二は中断していたリハビリを再開した。再び二人でテニスが出来る日を願って。


「精市。林檎が食べたいな。精市が切った林檎が。」

不二はすっかりと元気になっていた。にこり、と笑顔を幸村に向ける。無言のまま視線を交わせたあと、小さく幸村が吹き出して「はいはい」と困ったように返事をしつつ椅子に腰掛け、菊丸がお見舞いとして大量に持ってきた林檎の一つを切り始めた。

「ふふっ、精市にこんな面倒見て貰えるなら怪我するのも悪くないよね。」
「周助。」
「もう、冗談だよ。」

半分本気で言った台詞をピシャリと叱られてしまえば冗談だとしか言えなくなる。しかし不二にとってはそんな会話さえ、どこか暖かく幸せを感じるひとつだった。右腕の痺れさえ、この幸せに比べてしまえばとてもちっぽけなものだと、不二がどこかで感じていたのも事実なのだ。

「はい。どうぞ。」
「………。」

幸村は慣れたもので、綺麗に切り分けられた林檎を皿に盛り不二の前の机に置いた。楽しげな幸村に対し不二の表情は一変して不満顔である。

「………精市…。」
「ん?」
「…………。」
「なんだい?周助。」

黙ってしまった不二を見つめながら明らかに楽しんでいる様子の幸村。不二を深い青の瞳に映しながらクスクスと小さく笑む。その様子に更に機嫌を悪くした不二は完璧に黙ってしまった。

「ふふ、……周助。言いたい事があるならいってご覧?」
「……もういいよ。自分で食べる。」

そんな不二を導くように幸村が首を軽く傾げながら問い掛ける。ムッとした表情で幸村を見つめていた不二だったが、その台詞で完璧にヘソを曲げてしまったらしく、フンッと顔を反らして左手で林檎を食べ始めてしまった。

「くっ……、ふっ…はは…っ…、ごめんごめん。つい周助が可愛くてさ…っ…。」

そんな不二に更なる愛しさを感じたのか、ぽんぽんと不二の頭を撫でながら堪えられなかった笑いを漏らす。そして未だに不機嫌なままの不二の手を掴み、不二が食べ掛けの林檎を自分の口に運び楽しげに不二に視線を送った。

「ちゃんと食べさせてあげるよ。いつもみたいにね。それに、甘えられるだけ甘えたいなんて可愛い事言ってくれた周助を思い出したら食べさせたくもなるさ。」
「……っ…。うるさいっ…。」

他愛ない会話。それさえ今の二人には幸せだった。幸村はふてくされながらも差し出された林檎を口にする不二を見ながら、不二はそんな態度をとる自分に対してでも笑顔を向けてくる幸村に、互いがそれを感じていた。そして視線を合わせて軽い触れるだけのキス。

「ねぇ、精市。今度外出許可が出たんだ。その時にさ…。」
「…ん?」

唇が離れていく途中で不二が穏やかな声を発した。少し視線をさ迷わせて、けれどもそれは言葉を探しているだけで、それを分っている幸村は軽く首を傾げて先の言葉を待つ。

「海に行かないかい?前に約束してただろう?一緒に行こうって。」

「ね?」とお願いの少し悪戯ぎみな笑み。そんな不二を見て幸村がふと動きを止めた。

「周助と海に行く約束なんかしてたかい…?」

怪訝そうな表情を浮かべる幸村に、不二は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに困った人だと苦笑を浮かべ直した。

「忘れたのかい?僕との大切な約束なのに。」

すぐからかうような笑み。クスクスと小悪魔のようなそれに幸村は完全に困ったように眉尻を下げた。

「参ったな。周助との約束は全部覚えているつもりだったのにな。」

「すまない。」という言葉を含めて髪をくしゃりと撫でる。額に軽いキス。

「行こうか。その時は。二人で海に。」
「…うん。」

不二は幸せそうに微笑んで、そっと瞳を伏せた。






「兄貴ー。着替えもってき…」
「いいかげんにしてよっ!」

「周助に着替えを届けてきて」という姉からのほぼ強制的な『お願い』により裕太は不二の病室に訪れた。しかし裕太が病室に入ろうとするも、普段は聞くこともない怒りの声に扉に掛けた手を止めた。半開きの扉をそのままそっと開いて、裕太の瞳に映ったのはベットに掛けたまま俯いている自分の兄と、その姿を怪訝そうに見つめる兄の恋人の姿。

「もう沢山。精市は何がしたいの?」

キッと幸村を睨む不二。その青い瞳からはいつもの穏やかさなんて欠片もなくて、どこか弱々しかった。裕太の位置からは幸村の表情など見えなかったが、これは二人の衝突なのだと、すぐに分かった。幸村のため息がひとつ。

「周助。キミこそ何か勘違いしてないかい?俺は周助と一緒に出かけたいだけなんだけど?」
「だからっ…――――…ぁ……。」

幸村に言いかかるように不二が大きく顔をあげたその時、小さな声を洩らすのと同時に裕太に向けられた視線。それに続き幸村も裕太へと振り返る。しまった、と裕太が感じた時にはもう遅かった。二人の視線は完璧に裕太に向いていた。

「あ、兄貴の着替え届けにきたんだけど。」
「…あ、うん。ごめん。ありがとう。」

その視線に耐えられないように裕太が声を発した。どこかぎこちない会話。そんな二人の姿を見て、幸村は「俺は帰るよ」と一言だけ残して病室を後にした。そんな幸村の後ろ姿を裕太はじっと見つめているのとは逆に、不二は視線をそらした。

「兄貴。あの、さ。」

気まずさから声を発した裕太の声に不二は「一人にしてくれないかな」と謝罪の言葉と一緒に口にした。リハビリで疲れてるんだ、と言い訳をして。そんな言葉を発しながらも笑みを浮かべる兄の姿に何も言えずに、裕太はその場を後にした。





「そうか。そんな事があったのか。」

うむ、と腕を組んで考え始める柳に、幸村はひとつ頷いた。屋上の隅で空を見上げながら心地よい風に吹かれる、そんな爽やかな環境にありながらも、二人が離していることは決して爽やかな事ではなかった。

どこまでも続く空の青がどこか虚しい。

「俺、周助と付き合ってから周助が本当に幸せそうにしてる所って見たことないんだよな。」

今回の一件もそんな状態を脱しようとして提案したひとつなのに、結果喧嘩に繋がってしまった。最近はそんな事ばかりだ。良いと思った事が空回りして、どこか上辺だけの幸せを感じて。そう、言ってしまえばお互いに完璧に噛み合っていなかった。


「一緒に横浜にでも行かないか。」そう提案して承諾を得たまでは良かった。楽しみにしている、と不二は嬉しそうに微笑んで、その微笑みに幸村も笑みを返した。初めて周助と横浜に行くな、どこに行きたい?、やっぱりみなとみらいが良いかな?。そう幸村が口にした時、不二の表情が明らかに歪んだ。「何を言っているんだ」と。

「忘れたの?前に横浜に一緒にいったじゃないか。」

そう言いながら悲しみを表情に浮かべる不二が今でも幸村の胸を焦がして仕方がない。それでも、幸村はそれに納得が出来ない。自分には不二と一緒に横浜に言った記憶など存在しないからだ。訳の分らない事を言う不二。自分と他の誰かを重ねているのではないか、とそう口にしたら案の定喧嘩になった、と、そういう事だ。


今回不二を悲しませたのは自分だということは明白だった。しかし、その原因は自分ではないと幸村は自信を持って言えた。なぜなら自分は不二と一緒に横浜に行ったことなどない。もし行ったとしたなら絶対に覚えているはずなのだ。愛しい恋人との記憶をなくすはずがない。


「周助は、俺以外に…。」

ぼそりと呟いた台詞。考え込むように視線を伏せてしまった幸村を見て柳がぽすりと頭を撫でるように叩いた。それで視線を上げた幸村に柳は困ったような切ない微笑を向ける。

「俺はお前に幸せになってほしいだけだ。」


その言葉は幸村の耳に響き、優しさと安堵を覚えた。

空はやはりやけに青かった。





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