哂う、イヌ
10
「吉野くん?」
呼びかけられた声にハッと顔を上げると、きょとんとした北川が充の前に立っていた。
思わずぎくりとして、充は北川から目を逸らした。
「どうしたの?今日ぼーっとしてるね」
気づくといつの間にか授業は終わっていたようで、充は自分がどうやって過ごしていたのか分からなかった。
授業が終わって、号令に立ち上がった記憶もない。
「あ、なんでもないよ。大丈夫」
「そっか…。あ、もし、もし良かったらなんだけど、あの、今日ね、一緒に帰れないかな…とか、思って」
最後の方は小さくて聞き取りにくかったが、北川の言いたいことが分かって充は顔を赤らめた。
誘ってくれてる、そう思うと嬉しさに胸がどきどきした。
そうだ、昨日、北川と付き合うことになったんだと思い出した。
昨日からぼーっとしてしまっていて、嬉しさを実感する余裕もなかった。
「いいよ、もちろん。あ、慶に連絡…」
「吉野くん?」
一緒に帰る約束をして慶に断りの連絡を入れようと携帯を取り出したまま固まった充に、北川が不思議そうに顔を傾げた。
「吉野くん?……西倉くんに、連絡しないの?」
「え、あ、そう…だね。連絡。うん」
そう言いながらも携帯をじっと見つめ動かない充に、北川は小さく微笑むと。
「無理なら、いいんだよ?私なら、気にしないから」
「いや、無理じゃないよ!う、嬉しかったし…あの、俺も、一緒に帰りたいし」
二人は互いの顔を見つめ、頬を赤らめさせた。
昨日まではただのクラスメートで、ただの友達だった。
それが今日は正式に付き合い始めたばかりの彼女と彼氏で、その関係にお互いが慣れていなかった。
恥ずかしくて、でも嬉しくて。
充は一緒にいられたらもうそれだけで天にも昇る気持ちだった。
どんなことをしてでも、この関係を壊したくない。
何をしても、北川の笑顔を守りたい。
目の前で照れながらも嬉しそうに笑って俯いた北川を見て、ぎゅっと胸が締め付けられる。
好きだという気持ちが北川を前にすると溢れ出してくる。
充は北川が好きで、信じられないことに北川も充を好きだと言ってくれた。
大事にしなければいけない、大切に大切に、守らなきゃいけない。
そういう気持ちがふつふつと湧いてきて、それと同時に切り捨てなければいけないものの存在も思い出されて。
心臓が切り裂かれるように、痛んだ。
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