哂う、イヌ
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■ 幸福な時間
高校入学して初めての夏休みがもうすぐやってくる。
小学校の夏休みとも、中学校の夏休みともまた違う。高校生活初めての夏休み。
少なからず何かが変わるような不思議な予感を抱きながら夏休みを待つのは充だけではないだろう。
どこか浮き足立った感覚を覚えながら指折り残りの日々を数えている。
何かがきっと、変わる。そんな予感がどこかにあった。
それがどんな変化であれ、きっと充だけではなく他の誰しもに訪れるであろう変化。
少しだけ大人になる人もいるだろうし、価値観を塗り替える経験をする人もいるだろう。
もしかすると何もなかったことに落胆して戻ってくる人もいるかもしれない。
ただ充は、変えたい、と思っていた。
変わるべきだとも、考えていた。
夏休みなどの長い休みにはほとんどを充は慶と共に過ごしていた。
毎日、文字通り毎日慶は何をするでもなく充の傍にいた。
朝起きて充の部屋に来て、昼飯に自宅へ帰りまた戻ってくる。そして時々は二人で街へ出かけたり海へ行ったり。
だらだらとただテレビを眺めていることもあれば、一緒に昼寝をしてみたり、花火をしたりお祭りに行ったり。
思い出すと全ての日々が慶と一緒だった。
たまに治や京介もそれに混じることもあったが、ほとんどは慶と二人きりだったように思う。
それをおかしいと思うこともなく、当たり前のように過ごしてきた。
いつも隣には慶の姿があった。
嫌なわけではない、時々面倒だと思わないこともなかったが慶と過ごす日々には慣れている。
隣にいることが当たり前で、長い年数一緒にいたからやはり居心地だって良かった。
慶を疎ましく思っていた時期にでさえ、充は長い休みをやはり慶と過ごしていた。
今年もそうであると、以前ならば考えていただろうし、考えるまでもきっとなかった。
だけど今年は、それを少しだけでも変えたかった。
一緒に過ごしたい人が、出来たからだ。
北川と、長い休みの間会えないのは嫌だった。
夏休みでも会える関係になりたい。
連絡して会ってもおかしくない、そんな関係を作りたかった。
出会った当初に比べるとかなり仲良くなれたと思う。他の男子には見せない顔を充には見せてくれるし、一番男子の中では親しくしていると思う。
充と目が合えば笑いかけてくれるし、充に何かあれば心配もしてくれる、頬を膨らませて怒る顔だって見せてくれる。
それでも今はまだ、ただのクラスメートで、友達でしかない。
それが充は嫌だった。
北川の隣にいてもいい存在になりたい、北川に誰かがちょっかいを出したら怒れる権利が欲しい。
北川を独占できる、権利が欲しかった。
充は夏休みの前に北川に告白してしまおう、そう決意していた。
そうすればもし振られても長い休みがお互いの気まずさを解消してくれるだろうし、休み明けにはきっと普通に接することができるだろうから。
うまくいく可能性なんてそうない、だけどそれでも伝えたかった。
ただの友達でいるのはもう嫌だった。
充は自分がもてるタイプの人間じゃないことはよく分かっていた。格好いいわけでもないし面白い人間でもない。
暗くはないが派手でもなく、北川を楽しませる要素なんて特にはなかった。
だけどこのまま何も伝えられず後悔してしまうのは嫌で、少しでも北川の心に自分という存在が刻み込まれたら嬉しい。
ほんの少しでも意識してもらえたら、嬉しい。
北川と今までのように出来なくなるのは悲しいが、北川ならばきっと充を避けたり嫌ったりはしないはずだという不思議な確信だけはあった。
密かにそう決心していることは誰にも話してない。治にも京介にも、もちろん慶にも。
北川と気まずくなった時、知っている人間がいると余計につらくなるだろうと思ったから。
それに充にとって北川は初恋だった。かなり遅い初恋であることは自覚している。何もかもが初めてで、充の中は北川でいっぱいだった。
他のことを考える余裕もなかったし、胸がいっぱいで苦しくて切なくて、北川のこと以外正直構う余裕がなかった。
充の頭の中は、北川が好きだという、それしかなかった。
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