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落花流水
9


ぐったりと疲れて長椅子に身体を横たえた成花に慶那がそっと上掛けを掛けてくれる。
疲れきっていた成花はそれでも慶那にお礼を言い、目を閉じた。
宇壬とは違い、了准は厳しくて怖い。
きつく睨まれているようなその視線に晒され、生きた心地がしなかった。
だが、宇壬がいない以上榮植が差し向けた文官を拒否することなど成花に出来るはずがない。
慶那は文官を変えてもらえるよう榮植に進言すると言ったが、成花は首を振って大丈夫だと答えた。
どんなに身分が低くとも成花は貴妃という称号を与えられている、その成花に拒否されたとなれば了准の王宮での立場がなくなってしまう。
それは教えられずとも成花にも分かっていた。
「成花様、陛下のおなりでございますよ」
不意に掛けられた声に慌てて上掛けを床に落とし長椅子から立ち上がった成花の目の前に大きな影が落ちる。
見上げれば皇衣ではなく、寛ぐ為のゆったりとした黒と黄色の着衣を身に纏った榮植が成花に微笑を向けていた。
ただやはりその布には5爪の金の龍が描かれている。
そしてそれは、成花の着ている薄紫の服の裾にも縫われていた。
皇帝とその貴妃である証のようなもの。
それは今、皇帝である榮植と成花の衣服にのみ描かれているとは成花は露ほども知らない。
「榮植様、お仕事・・・・・終えられたのですか?」
「ああ、今日はもう終わりだ。 お前とゆっくり過ごしたいからな」
そう言うなり成花を抱き上げ、前庭の長椅子へと腰掛けた。
「疲れたのか? 了准は宇壬と違って少し厳しいだろうが、どうだ?」
少し顔色の悪い成花の頬を撫で、榮植は柔らかく笑みを浮かべる。
それは冷たさを感じさせない、心からの笑みのように見えて成花も知らず笑みを零した。
「大丈夫です・・・・・・・・・。 でも、榮植様」
「なんだ? 何かお願いでもあるのか」
「・・・・・・・・・宇壬さんをこちらに戻していただくわけにはいかないのですか? 西へ急ぎ行かれたと聞きました」
宇壬の名を出すと一瞬だが榮植の顔に険が帯びる。
だがそれをすぐに消すと、榮植は膝の上に座る成花の髪を梳いて撫でた。
「宇壬にはどうしてもやってもらわねばならぬ仕事が出来たんだ。 お前も慣れた宇壬が良かったのだろうが、我慢してくれるな?」
「・・・・・・・・・はい。 あ、ですが」
了准が悪いのではなく、ただ成花の教育に慣れた宇壬が良かっただけだと言い訳のように慌てて口にした成花にふっと笑い、後ろに流した長い琥珀の髪を口元に寄せ榮植はそれに口付けた。
「もっと、早くこうしていれば良かったな・・・・・・・・・・・・」
漏らされた言葉に首を傾げた成花になんでもないと笑って、唇を触れ合わせる。
自然とそれを受け入れた成花を見つめる黒い瞳の奥に、昨夜の成花の姿が消えず残像としてまざまざと残っていた。




手足を切り取られた宇壬の身体を獅子の檻に放り投げたのを見届け、その場を後にした榮植は腕の中で正気を失ったように呆けた成花を見下ろし、孔真宮に連れて行くとすぐに医師と術師を呼び寄せた。
寝台に横たわらせた成花は思い出したように暴れだし、泣きながら髪を振り乱す。
「先生を殺したっ・・・・・・・・・・・・・・! 獅子にっ、喰べさせたっ・・・・・・・・・・! 触らないで! 汚い! 汚い! 私はっ・・・・・・・・、私を殺して!」
視点の合わない両目から大粒の涙を流し、気が狂ったように髪を振り乱して暴れる成花を押さえつけ、術師に記憶を失くす処方をさせた。
成花の中から先ほどの処刑の場面を、そして榮植への恐怖心を忘れさせる。
そしてあたかも成花が榮植を恋い慕っているかのように暗示をかけ、そのまま眠りにつかせた。
それは繋ぎ合わせの後催眠暗示のようなものであり、どんなきっかけで解けるか分からない脆いものではあったが、解けた時はその時だと榮植は考えていたのだ。
成花の心の奥深くから宇壬の悲惨な最期を消し去り、代わりに植えつけたのは榮植への恋慕の情。
例え施した暗示が解けてしまっても、榮植から離れたくないと思わせるようにしておけばいい。
こんな手間をかけてまで手元に置いておきたいのかと己を自嘲気味に笑ってみても、榮植には成花を手放す気には全くなれなかった。
初めて目にした時は、その憂いを帯び清廉とした美貌に惹かれ、腕に抱いた時はその無垢さに心を惹かれた。
小さな子供、だが成花の全てが榮植の心を掻き乱す。
貴妃など少しくらい見栄えがよければそれでよかった。
皇帝として権威と世継ぎの為に後宮はあり、そこに住まう女などどうでもよかった。
望むことはないのかと聞くと、読み書きを覚えたいと言った成花が少しずつ文字を覚え、榮植の名を書いてくれた時は酷く愛おしくて。
望むものは何でも叶えてやろうと思った。
珍しい物美しい物、美味な物、なんでも成花が望むのであればその目の前に並べてやろうと思った。
だが成花は何も望まない、その欲のなさにまた心惹かれる。
己の中にこんな感情が芽生えるなど、出会うまで知らなかった。
初めて感じた人への執着心と恐ろしいまでの独占欲が榮植の中に渦巻き、それは成花が初めて浮かべた笑みを宇壬に向けたことによって弾けた。
獅子に喰わせるまでもないと分かっていながら宇壬を殺し、成花の心を壊した。
だがそうして翌朝目が覚めた成花は昨夜の惨劇を忘れ、宇壬は遠い地方へ行ったのだという慶那の言葉を信じた。
そして榮植を見つめる瞳には、昨日までの怯えは見えない。
あるのは、榮植への思慕のみ。
榮植を想い、榮植の為に笑い、榮植の為に泣く。
そのことに、榮植は酷く満足していた。





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