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落花流水
6



「文官の宇壬(ウジン)と申します」
約束通り榮植は成花の為に文官を稜宮に送ってくれた。
本来ならばこの稜宮に男である文官が立ち入ることはない。
だが読み書きを覚えたいという願いを叶える為、榮植は慣例を破ってくれたのだ。
怖ろしくて冷たいかと思えば、こうして成花の願いを叶えてくれる。
宇壬は30代前半で、穏やかそうな静かな口調の男だった。
男臭くなく物腰の柔らかな宇壬に成花はすぐに慣れた。
男である宇壬と二人きりになることなど許してはもらえないから、常に慶那や他の女官が傍にいたが、だがそれも気にならなかった。
初めて教わる全てが嬉しくて、成花はどんどん吸収していった。
1週間後には自分の名と慶那、そして榮植の名前を書けるようになり、榮植もそれを面には出さないが喜んでくれていたと思う。
「成花様は覚えが早いので、きっとすぐに本を読めるようになられますよ」
榮植に進み具合を聞かれた時、そう言って褒めてくれたことを思い出し成花は思わず顔を赤らめた。
「本日は、天気もよろしいので外でお勉強いたしましょうか」
昼過ぎにやってきた宇壬はそう提案し、成花はいちもにもなく頷く。
そういえば、ここにやってきてから外には出ていない。
王宮からは出られないといっても、外に出られるのは嬉しかった。
稜宮から外に出ると、色とりどりの花が咲く庭に出ることが出来る。
その庭を通り抜けると、花を咲かせる大きな木があるという。
宇壬と慶那と共にそこへ向った成花は、懐かしい光景を見た気がして走り出した。
「成花様・・・・・・・・・・・・・・?」
突然走り出した成花に慶那は慌てて後を追う。
花々が咲き乱れる広い庭園の真ん中に、それはあった。
「・・・・あの丘と、同じ木」
緑の葉が茂り、白く小さな花を咲かせるその木は、成花の故郷にあったものと同じで懐かしさに胸が詰まる。
木の前に立つと、成花はそっとその木に触れた。
「成花様、いかがなさいました?」
「これ・・・・、この木私の村にもあったんです。 村を見下ろす小高い丘にたった一本だけあって、私はいつも何かあるとそこに行っていました。 とても・・・・落ち着くのです」
追いついた慶那はそう言った成花が酷く凪いだ表情をしているのにホッと息を吐いて、ではここに椅子をお持ちしましょうと優しく微笑んだ。
大きな木の下に丸いテーブルと椅子を置き、いつものように宇壬の教えを請う。
緑に囲まれているということもあってか、ここに来てから成花は初めて自分の心が浮きだっているのを感じた。
重たい何もかもが薄れ、肩から力が抜けているような感覚。
それはとても心地良く、成花を穏やかな気持ちにしてくれた。
「ではこちらの本を、これならば成花様もお読みになれるかと。 明日までに読んでおいて下さい」
一通り終わると、そういって宇壬が薄い本を差し出した。
子供が読む絵本のようなもので、難しい字は一切書かれていない。
「ありがとうございます先生。 これなら、これなら私にも読めそう!」
絵本を開いた成花は嬉しさにぎゅっとそれを抱き締め、横に立つ慶那を見上げて頬を赤らめた。
「良かったですね、成花様。 きっと今度はもっと難しいご本も読めるようになりますわ」
慶那がそう言って微笑んだその時、ザッと誰かの足音が聞こえて不意にそちらを見やった成花は、持っていた絵本を思わず落とし椅子から立ち上がった。
植木を掻き分けて現れたのは、榮植と同じくらい体の大きな男で、肌は浅黒く太陽のよく似合う明るい髪の持ち主だった。
瞳の色は鳶色で、髪も同じ鳶色で、知らず成花は彼に見惚れる。
手には大きな桶と鍬を持ち、着ている服はみすぼらしかったがそんなことすら気にならないほど、男は逞しく力強かった。
「あら・・・・、陳じゃないの。 今日はここの手入れ?」
慶那は男を知っているのか、突然現れた闖入者に笑みを浮かべた。
だがふっと成花を振り返り、慶那は一瞬顔を引き攣らせた。
「陳、このお方は成花様。 稜宮の貴妃様ですよ」
頭を下げなさいと告げた慶那に陳と呼ばれた男は成花を見て、軽く目を瞠る。
そして落ちている絵本を拾うと、それを成花に差し出した。
成花と男の視線が交わり、ぼんやりと男に見惚れていた時が急速に流れ出したような気がした。
「陳汪嗣(オウシ)と申します。 ご無礼を・・・・お許し下さい」
土の上に膝をついた汪嗣が俯くと、顔が見えなくなってそれを何故か残念に感じた成花は何かに引かれるように汪嗣の前に立ち、腰を落とした。
「成花様っ・・・・!」
「庭師の、お方ですか? 初めまして、成花です」
汪嗣が驚いたように顔を上げる、精悍なその作りに成花はやはり見惚れてしまう。
男らしいその造形に憧れてしまうのかもしれない。
陽の光を浴びて、焼けた肌の色は健康そのもので、鳶色の瞳は優しい色をしていた。
寡黙そうな口元は、笑うとどうなるのだろう。
見たいと、自然とそう思った。
「成花様! お立ちくださいっ、こんなところを陛下に見られてしまったら陳が処罰されてしまいます」
「え、あ・・・。 ごめんなさい・・・・」
立ち上がると服に沁み込ませた香がふわりと匂い立つ。
それに汪嗣が目を細め、目の前に立つ小さな貴妃を見上げた。
「このお庭は、汪嗣さんが手入れをされているのですか? とても、綺麗なお庭ですね」
芝は綺麗に刈り取られ、花々は瑞々しく咲いている。
そして成花が一番に気に入った大きな木は、まだ花を散らさず咲き誇っていた。
この広大な庭を手入れするのはきっと大変なことだろう。
「陳と、あと2人庭師がおります。 中でもこの外庭は陳1人で担当しているのですよ。 陛下もお見えになるお庭ですから、手入れに怠りがあってはなりませんし」
「では、この木も? これも汪嗣さんがお1人で育てているのですか?」
見上げた成花につられたように汪嗣が緑色に茂るそれを見上げた。
「はい。 これは白木蓮と言います」
「ハクモクレン・・・・、綺麗な名前ですね」
汪嗣は呟いて白い花を見つめる成花の横顔をじっと見つめ、だが成花が視線を感じて汪嗣を見るとそれは逸らされた。
鳶色の目が逸らされたことに成花は不思議な気持ちが胸に過ぎる。
もっとその瞳を見たい、そして笑った顔が見たいという切実な想いが込み上げてきて、数歩離れたところに立つ汪嗣に歩み寄った。
「成花様、庭師とそのようにお話してはいけません。 さあ、もう戻りましょう」
だが慶那がそれをとめ、成花の背中に手を置いて宮へ戻るようにと促した。
「でも・・・・・・」
「いけません。 戻りましょう、そろそろ陛下が宮へお見えになっていらっしゃるかもしれません」
慶那は渋る成花を半ば強引に宮へと連れ戻した。
庭を去る際、振り返ると成花をじっと見つめる汪嗣の眼差しとぶつかって知らず顔が赤らんだ。
その鳶色の瞳を、成花はいつまでも忘れる事が出来ないような気がした。




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