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落花流水
4



翌日、榮植の寝殿で過ごした成花はすぐに稜宮に移された。
孔真宮から繋がる赤い廊下を進むと、金の扉が現れる。
そこにはやはり5爪の龍が描かれ、周りには百合の絵が囲んである。
ここを通れるのは、皇帝である榮植とその寵妃である成花のみなのだ。
成花につけられた女官は総勢で20名。
彼女達は稜宮の主である成花に絶対の服従を求められる。
賤しくも貧しい出の成花に従うなど、今まで貴妃に仕えていた彼女達からすれば自尊心を傷つけられることだろう。
だが皇帝の命であるのだから、口答えするものは1人もいなかった。
昨夜榮植に貪られた身体は酷く疲弊し、成花は稜宮に入るとすぐに湯浴みを済ませ寝台の上に身体を休めた。
身体の節々が痛み、動くと足の付け根が軋む。
「成花様、薬湯をお持ちいたしました。 これを飲まれてお休みになってください」
1人の女官が成花の寝所に入り、盆に持ってきた器を差し出した。
「ありがとうございます・・・・・・・・。 慶那(ギョンナ)さん」
榮植の寝所へ行く前、湯殿で髪を流してくれた彼女は他の女官と違ってどこか温かい。
だから一番近しく世話をしてくれる女官を選ぶ時、成花は迷わず彼女を指名した。
まだ20代の慶那は、よく気がつき愛想もあって優しかった。
「成花様、どうぞ慶那とお呼びください。 敬称などつけられますと、陛下に怒られてしまいます」
くすくすと笑いながら慶那は成花に薬湯を飲ませるために身体を支えてくれる。
「私は賤しい身分です。 例えこうして稜宮に入ったとて、それは変わりません。 それに・・・・・・・榮・・・・・・陛下のお気持ちが変われば、私は」
苦い薬湯を口に含んで顔を顰めた成花をなだめるように背中を擦り、慶那は新しい小さな主人を見つめた。
「成花様、陛下からの贈り物をご覧になられました? お召し物も宝石も、陛下が直接お選びになられたそうです。 こんなことは初めてでございますよ」
そういえば稜宮に来た後すぐに女官長が皇帝からの贈り物だと何かを広げて見せていた。
だが着物や飾り物には興味のない成花はそれをきちんと見ないまま寝所に入ってしまったのだ。
「本日はお体の調子も優れないでしょうから、陛下のお呼びもないかと思います。 ゆっくりとお休みください」
薬湯を飲み終えると慶那は静かに退室し、扉が閉まると寝所はしんと静まり返った。
軋む身体を横たえた成花の瞳から雫が零れ落ちる。
「長さま・・・・・・・・・、長さま・・・・・・・・・・・・・・・・」
高価な服も宝石も、温かい食事もいらない。
村に帰りたい。
寂しくて、悲しくてたまらなかった。
榮植は想像していたよりも優しかったと思う。
もっと酷い扱いを受けても仕方がないと思っていたのに、触れる手は温かかった。
だけど、成花は怖くて堪らなかった。
身に余る光栄だと喜ぶことなど到底出来ない。
皇帝の貴妃という称号など、成花は望んではいないのだ。
またあの行為をしなければならないと思うと、身体が竦む。
「長さま・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
声に出して呼べる人など、養父であった長しかいない。
助けてほしいとは思っていない。
ただ、長を呼ぶことでしか今にも崩れそうな己の心を保つことが出来なかった。
「長さま、長さま・・・・・・・・・・・・・・・。 帰りたい・・・・・・・・・・・」
しばらく長の名を呟きながら、薬湯が効いてきたのか成花は静かに眠りの中に落ちていった。




どのくらい眠っていたのだろう。
ざわざわと騒がしい声が聞こえて成花は眠りから引き戻された。
寝台に横たわったまま薄く目を開くと、扉が開かれ暗い寝所に光が差し込んだ。
「・・・・」
眠りから覚醒したばかりの成花はぼんやりと扉が開かれてゆくのを見つめ、眩しさに目を細めた。
「身体の調子はどうだ」
だが聞こえた低い声にハッと身体を起こした成花に逞しい腕が伸びる。
ふらつく体を腕に抱きとめられた。
「へ・・・・・陛下・・・・・」
呟くと、薄暗い中で榮植が眉を寄せたのが分かった。
政務を終えたばかりなのであろうか、赤と黒の着衣に身を包み、帝冠を被っている。
「昨夜教えたばかりだというに、お前は物覚えが悪いようだな」
「も・・・・申し訳」
「分からないのに謝るな。お前には名を呼ぶことを許したはずではなかったか」
成花の寝台に腰掛け、榮植は帝冠を取るとそれを床に放り投げた。
ピシャリと冷たく言い放たれた言葉にぎゅっと心臓が縮こまって、咽喉が渇き言葉が出ない。
「よ・・・榮植さま」
榮植の全てが、成花を怯えさせる。
その身体から漲る圧倒的な存在感が、絶対的な権力が恐ろしい。
そして榮植の眼差しが、怖ろしくて堪らない。
冷たく何もかもを見透かすようなその黒い瞳が、成花から何もかもを奪ってしまう。
「お前は何が欲しい。 贈った服も髪飾りも、気に入らなかったそうだな。 何を望む」
成花を膝の上に抱き上げ、その小さな顔を上から見下ろして榮植は何を望むのかと聞く。
成花が何を望むかなど、榮植ならば知っているだろうに。
去勢されて宦官になってもいい、無給で働く奴隷でもいい。
貴妃など、男でありながら宮に閉じ込められるなど嫌だ。
だがそれを口にする勇気は、成花にはなかった。
「私には、美しい着物も、宝石も勿体なくて・・・」
「では、欲しい物はないのか。 何かひとつ、お前の望みを聞いてやろう」
俯く成花の顔を指で上げさせ、榮植は冷たい眼差しのまま見据えた。
ごくりと、咽喉が鳴る。
「では・・・・・では・・・・。 字を、覚えとうございます。 本が、読めるようになりたいのです」
小さく答えた言葉に、榮植が軽く目を瞠る。
恥ずかしくて顔を赤らめまた俯いた成花をじっと見つめ、榮植はふっと笑みを漏らした。
その気配に笑われたのだと思った成花は身体を強張らせ、ぎゅっと唇を噛み締める。
裕福な家の子供ならば、字が読めるなど当然のことだ。
だが貧しい村に育った成花は、読み書きが出来ない。
それは村に住む誰もが同じであったが、ここでは違うのだ。
いつだったか、村を訪れた優しい商人がいくつかの本を置いていったことがある。
結局誰も読むことが出来ず、長の蔵にしまわれた。
いつかそれを読んでみたいと、幼心に夢見ていたのだ。
「いいだろう、明日からお前に文官をつけてやる。 しかし・・・・欲のない奴よ」
「本当ですか? ありがとうございます・・・・っ」
顔を輝かせた成花に榮植が目を細める。
少しだけ上気した頬を指でなぞり、赤い唇に触れた。
「普通は、己を着飾る宝石や権力を望むものだ。 お前は、そうしたものが欲しくはないのか」
黒曜石のような瞳が、じっと見下ろしてくるのに成花は瞬きを繰り返す。
「毎日食べるものがあって、着る服があって、休む場所があれば人は幸せなのだと・・・・。 私の村の長は言っていました。 私も、そう思います・・・」
だから分不相応な宝石など、綺麗な布などいらない。
貧しい村に育った成花にとっては、今の状況すら勿体無くて居たたまれないというのに。
「成花」
榮植が成花の髪を掴み、深い口付けを落とした。
舌を絡ませる濃厚な口付けに身体の奥深くが熱を持ったような気がして、淫らな感覚に成花はゾッとする。
榮植によって、身体が作りかえられていく。
男でありながら、榮植の為に開かれる体。
本来ならば高貴な女性を相手にしている榮植の閨を、賤しい成花のような人間が務めていいわけがない。
いつかは、放り出されてしまうのだろう。
だから、慣れてはいけないのだ。
贅沢にも、こうして触れられることにも。
「抱きはしない、だが寝所には来い。 よいな?」
頷いた成花にまた口付けを落とし、榮植は政務に戻るために稜宮を後にした。
その後入れ違いに入ってきた慶那は酷く嬉しそうに、皇帝の寝所へと向う成花の夜着を選んでいる。
「陛下は成花様をとても可愛がっておられるのですね。 こんな風に陛下が部屋を訪れることなど滅多にございません」
自分が仕える主である成花が皇帝に寵愛されることは慶那にとっても名誉なことなのだと言う。
宣羅国の皇帝である榮植に寵愛される成花に仕えることが出来るのは、とても光栄だと。
そうして成花は昨夜と同じように薄い布を身体に巻きつけ、榮植の寝殿へと向った。




成花がただ一つ、皇帝に願い出た読み書きを覚えたいという小さな願い。
だがそのために、榮植の残酷さを目の当たりにすることになろうとはこの時の成花には思いもよらなかった。




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