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落花流水
18



そんなことをして捕まったら慶那は極刑では済まされない。
どんな惨い扱いを受けるか分からないのだ。
そして汪嗣にも、そんな危険なことはさせられない。
「慶那、やめて・・・。 いいんです、もう戻りましょう。 私は、こうして一度顔が見れただけで満足なんです。 これ以上危険な事は」
「陳、あなたも成花様をお慕いしているのでしょう。 でなければあんな手紙を書くはずはないわよね? 今なら、逃げられるのよ」
急いでいるのか慶那は焦れたように汪嗣に詰めより、そして服に隠していた錆びた鍵と手のひらに乗るほどの小さな板を取り出しそれを汪嗣に差し出した。
「商人が出入りする門の鍵と国境を越える為の手形よ。 今なら警備兵もいない、お願い急いでっ」
「慶那やめて! もういいんです、だから・・・戻ろう・・・?」
汪嗣に縋りつくようにしていた慶那を後ろから抱き寄せ、成花は泣きたいのを堪えながら微笑を浮かべた。
危険を冒してまで、成花を逃がそうとしてくれる慶那の気持ちがとても嬉しかった。
王宮に連れてこられてから、一番近くにいていつも支えてくれた慶那を自分の為に危険な目に合わせるわけにはいかない。
そして汪嗣を巻き込むわけにも。
これからも慶那が傍にいてくれるなら、宮での生活も耐えられる。
自分を思い支えになってくれる人がいるというのは、なんて心強いのだろう。
それだけで、生きていけるような気がした。
だが成花が最後にと汪嗣の顔を見上げると、汪嗣は渡された鍵をじっと見つめそして握り締めた。
「成花様、私と逃げていただけますか。 貴方を、ここから連れ出したい」
「汪・・・・嗣?」
慶那を支える成花の腕を取り、汪嗣が酷く切なげに目を細める。
そして静かに成花を引き寄せると、そっと包み込むように抱き締めた。
土と草の香りが鼻腔をくすぐり、懐かしさに眩暈がした。
逃げたい、このまま汪嗣とどこかへ逃げてしまえたらどんなに幸せか。
不意に故郷の木の下で共に寄り添いあう互いの姿が脳裏に浮かび、成花は知らず穏やかな笑みを浮かべていた。
「殺されることは怖くない。 貴方が苦しんでいるのではないか、辛い目に合っているのではないかと思う今よりは貴方に自由が与えられるなら私は、命など惜しくない」
抱き寄せていた身体をそっと離し、汪嗣が覚悟を決めたような眼差しで成花を見下ろした。
そして上気した頬に手を触れ、痛みを堪えるかのように奥歯を噛み締める。
初めて触れた手は、想像していた以上に温かかった。
もっと触れて欲しい、そして汪嗣に触れたい。
そう出来るのであれば、成花もまた命など惜しくはないような気がした。
生きているか死んでいるか分からない生活をこれからも送るのであれば、いっそ本当に愛した人と束の間でも一緒に居られたら。
死の瞬間もきっと幸福な気持ちでいられるだろう。
皇帝に背を向ける、それは死を意味している。
どこまで逃げても榮植は追ってくるだろう、だがそれでも。
それでも一時でも汪嗣と居られるのなら、こうして触れ合える時間が持てるのなら何を恐れることがある。
「連れて・・・行って。 汪嗣・・・・あなたと居たい。 一緒に、居たい」
頬に触れた汪嗣の手を取り、幸せそうに微笑む成花に汪嗣もまた笑みを浮かべた。
手の中にある鍵を確かめ、汪嗣は成花の手を握り締め慶那を振り返ると強く頷いた。
「慶那、慶那・・・」
「王宮を出たら緑南の李という商人を訪ねるの。 馬を用意してくれているはずよ。 出来るだけ遠くに逃げて」
「慶那、一緒に」
一緒に行こうと、そう言おうとする成花に首を振り慶那はにっこりと微笑んで黒い布を顔が隠れるほどに深く被ると、扉を開き外の様子を窺いそして振り返って小さく頷いた。
「明日の昼までは成花様が寝所にいらっしゃるよう装います。 その後私も逃がしてもらえるようになっています。 ですからご安心を。 成花様・・・・さようなら」
それだけ言うと慶那はさっと扉から出て闇の中へ紛れて行った。
追いかけてしまいそうになる成花を汪嗣が抱きとめ、涙が流れる頬を指で拭ってくれた。
「私達も行きましょう。 急がなければ」
汪嗣は寝台の横にある台の下から小さな布袋を取り出すと成花の手を取り、慶那と同じように外を窺いながらそっと足を踏み出した。
辺りはしんと静まり返っている。
足音を立てないように静かに歩き、心臓の立てる音だけがやけに耳についた。
王宮を出る。 2度と生きては出られないだろうと覚悟していたのに、まさかこんな形で出ることになるとは初めて足を踏み入れた時は想像すらしていなかった。
そしてこの王宮で、死んでも構わないと思えるほどの相手と巡りあうことになるなんて。
もしも後宮に召されなければ、成花は汪嗣と共に働いていたのだろうか。
共に汗を流し、共に手を汚しながら働いていただろうか。
考えても仕方がないのに、そんなことを考えて成花は汪嗣の大きな背中を見つめた。
そうであったなら、こうして死を覚悟して逃げることもなかった。
汪嗣に平穏な生活を捨てさせ、危険な目に合わせることもなかった。
そして榮植を裏切ることもなかった。
成花が逃げたことを知ったら、あの人はどうなるのだろう。
あんなに大事にしてくれたのに、あんなにも愛してくれたのに。
ごめんなさい、ごめんなさい。 そう何度も心の中で呟いて成花は汪嗣の手を強く握り返した。




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