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落花流水
17



皇帝陛下のお世継ぎが産まれ、皇妃が立后した祝辞の為榮植が王宮を離れる。
その時王宮の警備は手薄になり、誰かに見咎められることなく成花が汪嗣に会えるのはこの日しかなかった。
だが稜宮を監視している警備の数に変わりはない。
ここからどうやって抜け出し、汪嗣のいるところまで行くというのだろう。
「成花様、本当によろしいのですね? 汪嗣に会ったことが陛下に知られてしまえば、打ち首は免れません」
「慶那・・・・・」
慶那は寝所で成花に絹の衣服を脱がせ、粗末な服を着せると頭から黒い布を被せた。
そして何度目になるか分からない問いかけをしながら、やはり慶那自身緊張しているのか顔は酷く白かった。
「もうじき、後宮の一室で騒ぎが起きます。 その機に乗じて抜け出しましょう。 ですが汪嗣に会えても時間は一刻とありません。 よろしいですね?」
慶那も成花と同じように下働きのような格好をして、顔には薄く泥を塗っている。
もし途中で見咎められても、これならばまさか貴妃と女官だとは思われないだろう。
だが出る事は出来ても、戻ることは難しい。
そう言う成花に慶那はにっこりと笑いかけ、大丈夫ですよと頷いた。
今から、成花は榮植を裏切ろうとしている。
汪嗣に会うということは、他の誰にも成花を見せたくないと望んでいる榮植の思いを裏切ることになる。
もしこの事が榮植に知られたら、成花だけでなく汪嗣はもちろん慶那も無事では済まされない。
いざとなると手足が酷く震え、心臓は早鐘のように鳴っていた。
「成花様、慶那がついております。 きっと、ここから連れ出して差し上げます」
「慶那?」
「そろそろですね。 お静かに」
しっと慶那が成花の口元に手を置き、蝋燭の火を消すと耳を澄ませる素振りをした。
しばらくは互いの吐く息だけが聞こえ、辺りは闇に包まれ無音の世界が続く。
どのくらいそうしていただろう、突然宮の周辺が慌しくなり人の怒鳴り声が微かに耳に届いた。
「慶那・・・・」
「始まったようです。 さあ、参りましょう」
大勢の人々の足音が聞こえ、警備の者達が何事かを叫んでいるようだった。
そっと寝所の扉を開き、暗闇の中を壁伝いに前庭の方へと近づくとそこに居るはずの警備の姿が見えない。
「慶那・・・・、皆どこへ」
不審に思って成花がそう口にすると、慶那が頷いて手を引きながら前庭へと降り立った。
やはり前庭にも警備の姿が誰一人として見当たらない。
そのことにホッと息を吐き、慶那は成花を連れて闇の中へと紛れていった。



ところどころ松明が焚かれているとはいえ、暗い庭は酷く怖ろしく思えた。
中庭を進み外庭まで出ると、兵士の姿や女官の姿も見える。
だが誰も成花と慶那を気にする者はなく、王宮の外れまで来るとどちらともなく安堵の息が漏れた。
「あそこに、陳がおります」
慶那が指差したのは王宮の煌びやかな造りとは全く違う、土と藁で出来た小さな倉のような建物だった。
近くには同じような家がいくつも並んである。
下働きの者達がこの辺り周辺に住んでいるのだろう。
厠だと言われても納得してしまいそうな粗末なそこは丁度大きな木がある為、外からは扉付近が見えなくなっている。
慶那が辺りを窺いながら木で出来た古びた扉を数回叩くと、重たい音を立てて扉が開かれた。
まだ起きていたのか、開かれた扉の中から蝋燭の光が外に漏れる。
「汪嗣・・・・・・」
会いたかった・・・・。
何か言葉を伝えたいと、そう思うのに咽喉が熱くて込み上げてくる何かを必死で堪えた。
そして汪嗣も、扉を開けたまま成花の顔を食い入るように見つめ一瞬唇を震わせた。
今まで何故会いたいと思うのか、何故これほどまでに汪嗣のことが気にかかるのか分からなかった。
だけど今はっきりと成花は自覚した。
これは、恋なのだと。
胸に熱く滾る何かが湧き上がり、汪嗣に会えた喜びだけが全身を包み込んだ。
榮植には感じたことのない、強い熱情。
本当に恋に堕ちることがこれほどに胸を高揚させるなど知らなかった。
榮植を愛していると思っていた、そう思い込んでいた。
だが本当に誰かを愛するということは、そうではなかった。
思い込むのではなく、自然と胸に湧き上がる感情でそれを止めることなど決して出来ない。
「汪嗣・・・・・」
互いに見詰め合う2人に慶那が小さく溜息を漏らし、そして成花を中に入れ辺りを窺いながら静かに扉を閉めると、汪嗣がハッと我に返ったように目を見開いた。
「何故、ここに」
土の上に泥を固めただけの小さな家の中は、ただ寝る為だけの粗末な手作りの寝台があるだけで酷くもの寂しかった。
寝台の横に小さな台があり、そこにはぼろぼろになった数冊の本が置いてあるだけ。
ここで、いつも1人の夜を過ごしているのだろうかと思うと胸が痛んだ。
「私、あの・・・・会いたくて。 手紙に、汪嗣が書いてくれた言葉が・・・」
「時間がありません。 陳、あなたは成花様を連れて逃げるつもりはある? 成花様を、守ってくれませんか」
何故ここに来たのかと訊ねる汪嗣に何か答えなくてはと口を開いた成花を遮り、慶那が突然そう汪嗣に問いかけた。
不意の言葉に息を呑み顔を強張らせた汪嗣に慶那が真剣な眼差しを向ける。
糸が張り詰めたような緊張した空気が流れ、戸惑う成花へ慶那が笑みを浮かべ頷いて見せた。
「成花様を、連れて逃げる?」
「このままここに居ては、いつか成花様の心は壊れてしまう。 逃げて、幸せになっていただきたいのです・・・・」
慶那がまさかそんなことを言い出すとは思いも寄らなかった成花はただ呆然と慶那と汪嗣の顔を見比べ、そしてゆるゆると首を振った。




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