[携帯モード] [URL送信]

落花流水
15


太陽のように温かなあの人に。
陽だまりのような穏やかさを与えてくれるあの人に。
会いたい――――。
そう願うこと自体が罪であると、分かっている。
それでも会いたい。
顔が見たい。
声が聴きたい。
日に日に募る想いはとうに心から溢れ出て、止めることなど出来そうにはなかった。
皇帝の寵愛を受ける貴妃が、そう願うことがどれほど罪深いことであるか。
いくら幼く世間知らずな成花でも分かっている。
だが会いたいと願う心を止める術も持たない、それも幼さゆえか。
読み書きを覚え本を読めるようになりたいという願いよりも、木々や色とりどりの花の名を知りたいという願いよりも、成花が汪嗣に会いたいという些細な願いは叶えられることはない。
榮植の命により外界との接触を一切断たれてしまった成花に日々の楽しみはなく、ただ毎日榮植が訪れ寵を与えられるのを待つのみであった。
外に出たいと泣く成花に珍しい異国の本を与えても、美味な菓子を与えても、鮮やかな絹を与えても、成花が笑みを浮かべることはなくなった。
そして時折記憶の底に沈んだはずの忌まわしい出来事が断片的に蘇るのか、頭痛を訴え床に臥せることが多くなっていた。
榮植が成花を稜宮に閉じ込めてしまってから3ヶ月。
汪嗣が成花の為に植えてくれた苗が芽吹き始めた頃、王宮にひとつの慶事がもたらされた。
「榮植様に、御子が?」
「・・・はい、昨夜御生まれになったそうです。 立派な和子様であったと」
いつものように芽吹いたばかりの緑の葉を長椅子で横たわったまま眺めていた成花に、慶那が酷く気まずい面持ちで告げたのは現皇帝である榮植に初めての御子が誕生したという報告であった。
「ご懐妊なさっている貴妃様がいらっしゃるなんて・・・今まで知らなかった・・・・ではその御方こそこの稜宮に。お世継ぎを御産みになった皇妃様にこの宮をお渡ししなくては」
榮植は王宮の内部のことも、後宮のことも成花には何一つ教えようとはしなかった。
訊ねてもお前は何も知らなくていいと、そう言って成花には何一つ。
だから成花は榮植の子を身籠っている貴妃がいるなど知らなかった。
だが和子が、皇帝の世継ぎが誕生したのであればこのまま成花が稜宮にいていいはずはない。
ここは皇妃、皇帝の正妻が住まう宮なのだから。
ここで皇妃は和子を育て、和子は次代の皇帝になるべく教育を受ける。
宣羅を統べる皇帝陛下の、お世継ぎが産まれた・・・・。
「王宮も、王都も今頃は祝いの宴で賑やかなのでしょう? 私も、見たい・・・・」
この宮にいては、王宮の様子も王都の様子も窺い知ることは出来ない。
外界から隔離された宮で1人、成花はただそれを想像して楽しむことしか出来なかった。
「成花様はこのまま、稜宮にお住まいになられるよう・・・・陛下のお達しが出ております。 皇妃様と和子様は・・・、これまでと同じ後宮に・・・」
だが慶那が口にしたのは成花が予想していたものとは違い、皇位継承者を産んだ貴妃も和子も、そのまま後宮に住まうのだという。
そして成花もこのまま稜宮にと、だがそれは慣例から考えても有り得ない。
身分の高い貴妃が次代の皇帝を産んだのだ、ならばこの稜宮に住み皇妃になる立場にある。
「陛下のご命令です。 御生まれになった和子様は皇位継承者として、貴妃様は皇妃様として正式に皇籍に入られます。 ですが、稜宮は」
長椅子に座って慶那の言葉を聞いていた成花はそれ以上耐えられなくなり、立ち上がると慶那を振り返り青褪めた顔で詰め寄った。
「ここから、私は出られないのですか? 和子様が御生まれになったのに、私は・・・・このまま」
「成花様は陛下の御寵愛深き、貴妃様です。 陛下のお許しが出ない限り、宮を出ることは叶いません」
「私は貴妃じゃない! 私は、私はここから出たいのにっ・・・」
言っているうちに涙が溢れ、磨き上げられた床に零れ落ちた。
貴妃という称号も、贅沢な生活もいらない。
自由が欲しい。
自由に外に出て、木に触れ花の匂いを嗅ぎ、風を感じたい。
「成花様は陛下を愛していらっしゃるのでしょう? どうか、どうかそのような事を陛下の前で口にされてはなりません・・・。 どうか・・・・・」
「慶那・・・」
榮植をアイシテいる。
それは確かに、成花の心を縛っている。
榮植に愛され、慈しまれ、幸せだと思っている。
幸せだと思わなければならない。
だがそれでも、外に出られないという現実は辛く成花の精神を苦しめた。
何もかもが奪われ、人形のようにただ榮植の傍にある日々。
それは人としての成花を失っていくと同じことだ。
「陛下は、成花様をとても大事に思っていらっしゃいます。 いつか、きっとまたお庭に出ることも叶います」
慶那もまた外に出たいと願う成花の心が分かるのか、微かに目元を赤くして縋ってくる成花の肩を抱き寄せた。
そして長椅子へと成花を戻すと、落ち着けるようにと熱いお茶を淹れ手渡してくれた。
「慶那・・・・。 汪嗣は、どうしていますか・・・・」
「成花様」
「汪嗣にももう会えないのですか。 もう、花の名前を教えてはもらえないのでしょうか」
ポツリと零した言葉に、慶那が息を詰め唇を噛み締めた。
微かに指先が震えている事に、成花は気付かない。
「陳に会いたいですか・・・? 成花様。 どうしても? 例え、陛下のお怒りに触れようとも、陳に会いたいですか?」
熱いお茶で咽喉を潤していた成花は慶那を見上げ、その真剣な眼差しに思わずごくりと唾を飲み込み、そしてしばらく視線を彷徨わせてからゆっくりと頷いて見せた。
汪嗣に会いたいと、そう思う心は日増しに強くなり、それは榮植を思う心とはまた別に成花を縛り付けた。
ただ数回会っただけで、声を交わしたことは数えるほどしかない。
触れ合ったことすらない。
だというのに、汪嗣の面影がいつも成花の心に居座り消えてくれることはなかった。
顔が見たい、それだけなのだ。
汪嗣に会えれば、閉じ込められているこの生活もまた耐えられるかもしれない。
だがそれは成花を寵妃とする榮植を裏切る行為に他ならない。
例え顔を合わせただけで触れ合っていないと言っても、皇帝の寵妃である成花が一介の庭師に会いたいと願うこと自体が許されることではないのだ。
それでも、それでも会いたいと願ってしまう。
ただ一度でいい、汪嗣に会ってあの言葉の意味を聞きたい。
幸せですかと、手紙に託した汪嗣の心が聞きたい。
「会いたい・・・。 会いたいです。 汪嗣に、会いたい」
成花は慶那を見つめ、そうはっきりと口にして頷いた。



[*前へ][次へ#]

15/24ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!