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運命はその手の中に
第7話


初めて会った時のことは今でも忘れない。
飲めもしないお酒を飲んで、気持ちが悪くて酷い顔をしていただろう僕を優しく介抱してくれた。
労わるような、慰めるような優しい声で、何度も何度も名前を呼んでくれた。
俺に全てを預けてくれと・・・・、言ってくれた。
傍に居ろと、何も考えず傍に居ろと。
俺が、これからはずっと守ってやると・・・・・。



大地のレストランは、開店してからずっと常連のお客さんが絶えることはない。
ランチの時間帯などは待ちが出る程だ。
大地は常に厨房に居るからフロアは全て綾人1人でこなさなければならない。
慣れない接客業に疲れないと言えば嘘になる、だがそれは心地よい疲労だった。
オープンからこの店を知っているお客さんが多いからか、綾人の拙い接客も笑って許してくれる人が多かった。
だがこれを以前は大地1人でこなしていたようで、綾人が入るまでお客さんの待ち時間は今の倍で、半ばセルフサービスのような形だったらしい。
「海老グラタンセット2つです」
厨房で黙々と料理を作っている大地に声をかけ、伝票をいつもの場所に置く、使い終わった皿を下げ、レジでの会計。
だんだんと慣れてくると流れが分かって、最初の頃のように焦ることも少なくなった。
まだまだ失敗も多いけれど、少しだけ心に余裕が出てきたように思えた。
もう1ヶ月・・・・、まだ、1ヶ月。
ほんの少しの余裕が出来ると、心にも隙間が生まれる。
最初の頃よりも寂しいと感じる時間が長くなって、会いたいと思う欲求が増えた。
ランチタイムを過ぎるとお客さんも減り、綾人はフロアに立ってぼんやりとしてしまう事が多くなった。
そしていつもハッと気付いて、慌てた仕草で細々とした仕事に取り掛かるのだ。
時間が経てば、忘れられるはずなのに。
時間が経てば経つほど、忘れられなくなっている。
より鮮明に樹のことが頭に浮かんで、時にはすぐ傍にいるような錯覚さえ感じてしまう。
樹の匂いが、取れない・・・・・。
「明日は定休日でしょ? 俺とデートしてくれないかなぁ」
グラスを拭いていた手を止め、ぼんやりと考え事をしていた綾人は不意に後ろから聞こえた声にビクリと肩を揺らす。
後ろを振り返ると、やはりというか高井戸が満面の笑みを湛えて立っていた。
週に1度、火曜日だけ店はお休みになる。 そしてこうして高井戸が誘いに来てくれるのは既に恒例となっていた。
偶然出会って、だが思ったより深く関わってしまった綾人の事を心配してくれているのか高井戸はよくこうして顔を出してくれる。
綾人を食事に連れ出し、仕事の話を聞いてくれて、そして高井戸の話を聞く。
まるで普通の友達のようなそんな関係がどこかくすぐったくて、綾人はいつも曖昧な笑みを漏らしてしまう。
「でも大丈夫なんですか? 高井戸さん仕事でしょ?」
綾人の返事もいつも同じ、そして高井戸の答えもまたいつも同じだった。
「平気、俺営業だからね。 時間の自由はきくんだよ」
営業という仕事で、外に出ている時間が多いからと言って大丈夫なのだろうかと以前大地に訊ねたことがある。
だが大地は簡単に頷いて、「あいつがクビになることはない」とだけ言っていた。
大地がそう言うなら大丈夫なのだろうと思いつつも、やはり申し訳なくて遠慮する綾人はいつも高井戸に上手くかわされて連れ出されている。
高井戸と過ごす時間はいつも楽しい。
会話が上手くて話題も豊富で、多分間の取り方が絶妙なのだろうと思う。
いつだって高井戸と一緒にいると笑っている自分に気付く。
あんなおかしな出会い方をしたのに、本当に人って不思議だ。
そして高井戸と居る時は、樹の事を思い出すことが少ない。
胸が痛くなることが、少ない。
もしかしたら、もし・・・・・、樹と出会う前に高井戸に出会っていたら、自分は高井戸を好きになっていたかもしれない。
そんな気さえしていた。



火曜日、午前中に迎えに来た高井戸の車に乗り込み少し離れたところにある海まで行く事になった。
お昼過ぎに来るのだろうと思っていたから少し驚いたが、高井戸は「どうせだからと思って、有給使っちゃったよ」と言って笑った。
「急にお休み取ったりして、大丈夫なんですか?」
運転を楽しんでいるかのような横顔の高井戸にそう聞くと、前を見ながら高井戸はにっこりとした笑みを浮かべる。
そして片手を伸ばし綾人の髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
「大丈夫だってー、全然使ってなかったからね。 たまには俺も平日休みたいしさ」
道が混んでないのがいいよねぇと間延びした口調で言う高井戸に綾人の口元も自然と綻ぶ。
「それに、綾ちゃんと会ってるとさ。 悠の事あんま考えなくてすむんだよねぇ」
「そう・・・・なんですか?」
「うん、なんでかな。 前は似てると思ったけど、今はあんまり似てるとは思わないし。 楽しいし」
「僕も・・・・・。 高井戸さんと居ると、あの人の事あまり考えずにすみます。 ・・・・・・楽しい、し」
気恥ずかしくて窓の外を眺めながら言うと、高井戸は嬉しそうに笑っているのが見なくても分かった。
高井戸といると安心する、穏やかな気持ちになれる。
誰かにこうして優しくされて、甘やかされるのはこんなにも心地良いものだったなんて、忘れていた。
知っているのに、忘れていた。
高井戸は似ているのかもしれない。
出会った頃の、樹に。
いつも優しい眼差しで見守ってくれて、いつも優しく触れてくれて、大事にされていると感じられる。
そんなところが、出会った頃の樹にどこか似ている。
姿形も、仕草も行動も全く似ていないのに、そんなところだけが同じで。
切ないのに嬉しかった。
「弟がいたらこんな気持ちなのかなぁって思うよ。 俺妹が2人もいてね、これがまた手のかかる奴らで」
そう言いながらも柔らかな表情を浮かべた高井戸から、家族への愛情が伝わってきて綾人の胸まで温かくなる。
本当に、高井戸の弟に生まれていたら、きっと楽しかっただろうな。
そう思ったことが顔に出ていたのか、高井戸がチラリと綾人へ視線を寄越し、それからまた頭を撫でてくれた。
大きな手が、安心感を与えてくれる。
樹がいない寂しさを埋めてくれるのは、きっとこれからもこの手なのだろう・・・・・・・。
それからどちらともなく無言になり、ラジオから聞こえてくる音楽が車内に流れた。
大地もそうだが、高井戸も無言が気にならない相手だ。
黙っていても、何か話さなくてはと焦ることもない。
そんな静かな空間に身を任せ、綾人は窓からの景色をぼんやりと眺めていた。
いつのまにかうとうとしていたのか、肩を揺らされて目を覚ますと辺りの景色はがらりと変わっていた。
海が目の前に広がり、潮の香りが鼻につんとした。
「おー、起きたか? お腹すかない?」
「ごめんなさい、僕寝てた?」
「気持ち良さそうにね」
笑いながら高井戸が髪を撫で付けてくれる、くすぐったくて肩を竦めるとぽんぽんと叩かれた。
「ここのホテルのレストランで昼食べよう。 海が見えていい感じ」
すでに駐車場に停めた車から降り、高井戸が気持ち良さそうに背伸びをしている。
綾人も長い時間車に乗っていたせいで凝った体を伸ばし、大きく息を吸い込んだ。
澄んだ空気が染み渡り、気持ちがいい。
「んー、いいね。 来てよかった」
高井戸が綾人へと手を伸ばす、それは酷く自然な仕草で、綾人は引き寄せられるように高井戸の元へと歩み寄る。
高井戸の腕が綾人の肩に周り、そのまま歩き出す。
それは端から見たら仲の良い兄弟のようにも、昔からの友人のようにも見えただろう。
「やっぱ平日はいいね、人が少ない」
ホテルの8階にあるレストランに足を踏み入れると、そこそこに席は埋まっているが空いている席もいくつか見えた。
ウェイターに促されるまま空いている席に腰を降ろすと、眼下には青い海が広がっていた。
「すごい、海が真下に見えるよ」
「うーん、最高だねぇ」
目を細めながら太陽に照らされてキラキラと光る水面を見つめる高井戸に視線を戻し、綾人はどうしても緩んでしまう頬を撫でた。




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