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運命はその手の中に
第6話


行動力があるというか、強引というか高井戸は理解しきれていない綾人をホテルから連れ出し、手を引いたままスタスタと歩いて行く。
本当に不思議だと思う。
昨日までは樹のマンションを飛び出しても、どうなるのかと不安ばかりだった。
1人で生きていくことが、怖くもあった。
なのに今は、どこかワクワクさえしている。
変われるかもしれないという期待が胸の奥底から湧いてくる。
樹のことは、勿論すぐ忘れることなど出来ないだろう。
だが、自分の足で歩いて、自分の力で生きていけたら、きっと何かが変わる。
樹だけに縋って生きていた自分とは違う、何かになれる。
そんな気が、少しだけした。
「仕事は多少きついかもしれないけど、働いた分はしっかり稼げるし、慣れたら楽しいと思うよ」
ボーっと考え事をしていた綾人を不意に振り返り、高井戸は綾人の背中を優しく叩く。
頑張れと、言ってくれているようなそれに綾人は泣きたくなる。
今日初めて会った人なのに、最初は怖い人かとも思ったのに、今はまるで昔から知っている人のような気さえした。
「とりあえず、頑張ってみなよ。 そのうち違う仕事がしたくなったり、やりたい事が見つかったら辞めたらいい。 探す時間はいくらでもある」
「はい・・・・・、あの、ありがとうございます。 本当に・・・・・・・」
「これからは知らない人についていったら駄目だよ? 危ないからね」
そう言って、高井戸は綾人の頭をよしよしと撫でた。
自分が言っても説得力ないかと笑う男に、綾人もつられて笑った。




高井戸の足が止まり、ここだよと教えてくれた。
小さな、こじんまりとしたレストランは白と淡いブルーで統一されていて清潔感に溢れていた。
手作りの風情が漂うそこは周囲を木々で囲まれ、家庭的な匂いが漂う。
夜も遅いからか店内に客らしき人の姿は見えない。
高井戸の手が木で出来た扉を押し開くと、優しい風鈴の音が店内に響いた。
店内は優しい木の匂いと、美味しそうな料理の匂いが充満している。
4人くらい座れるテーブルが7席程あり、壁には淡い色使いの絵が並んでいた。
居心地が良さそうな店内を見渡し、綾人はどこか心が落ち着いてゆくのを感じた。
「いい匂い・・・・・・、またなんか試作品作ってんのかな」
高井戸は綾人に待っててと言うと、店の奥へと消えていった。
1人フロアに残された綾人は壁に並ぶ絵を一枚一枚眺めた。
海の絵や、草原の絵は描いた人の優しい部分を表しているのか、とても穏やかだ。
並んだ絵の中で、一番目を引いたのは家の絵だった。
大きくもない、小さくもない普通の家の絵。
だが家中に灯りがついていて、今にも賑やかな声が聞こえてきそうな・・・そんな絵だった。
「綾ちゃん、連れてきたよ。 こいつかここの店主で、俺の友達」
じっと絵を眺めていた綾人は高井戸の声にハッと後ろを振り返った。
高井戸の隣には30代くらいの大きな体付きの男性が立っている。
染めていない少しだけ癖のある黒髪を後ろで緩く束ね、鍛えているのか体格はよく力強さを感じさせた。
むっつりと黙った男の腕を引きながら高井戸はニコニコと綾人の前に立ち、男の背中をドンと叩いた。
「大地、この子が今言ってた子。 な、可愛いだろ? どうだ?」
奥二重の切れ長の目が、綾人をじっと見つめる。
黒く澄んだその眼差しに居た堪れなくて綾人は唇を軽く噛みしめた。
「名前・・・・・・」
大地と呼ばれた男がポツリと言葉を零した。
それに首を傾げると、男が顔を顰めて再び「名前」と呟いた。
「名前を教えてくれって。 一応伝えたんだけどね」
高井戸が苦笑しながら代弁してくれるのに、綾人は曖昧に笑い口を開いた。
「永井、綾人です・・・・。 はじめまして」
小さくお辞儀した綾人を無言で見つめた後、男は微かに眉を顰める。
そして緩く首を振ると、高井戸へ向かい「駄目だ」とだけ告げた。
「大地、何が気に入らないの? こんな可愛い子が勤めてくれたらお客さんもきっと増えるよ〜?」
高井戸の軽い声に大地はまた顔を顰め、そしてボソリと口にしたのは。
「細すぎる、うちは力仕事も多い。 子供には無理だ」
突き放したような言葉に、綾人は奥歯を噛み締め漏れそうになる溜め息を堪えた。
大地の言葉も一理あるだろう、突然現れて仕事を寄越せなんて虫が良すぎる。
ましてや綾人の外見はどう見ても力仕事がこなせるようには見えない。
「とりあえず雇うだけ雇ってみたら? 駄目なら俺が引き取るからさぁ」
頼むよ、と両手を合わせて大地を拝む高井戸に嫌そうに顔を歪ませ、だがふっとしょうがないと言ったように肩の力を抜いて大地は綾人へ視線を戻した。
「さぼったら、追い出す。 泣いたら、殴るぞ」
睨みつけるわけでもなく、ただじっと見据えただけなのにビクリと体が竦んだ。
だが不思議と、怖いとは思わなかった。
高井戸の友達だからか、大地の澄んだ瞳のせいか、怖くはない。
冷たく突き放しながらも、結局は雇ってくれるという大地に綾人は力を込めて頷いた。
「頑張ります! 一生懸命、頑張りますから」
「あ、ついでに、この子住むトコないんだよね」




高井戸が説得してくれて、綾人は大地の家に間借りすることが決まった。
アパートを見つけるからと固辞する綾人に、大地が構わないと言ってくれたのだ。
自分でアパートを借りるにも金がいる、金が貯まるまで居てもいいと。
大地の家は平屋建ての古い家で、綾人が間借りした奥の部屋から縁側に出ると小さな庭が見えた。
今は両親揃って田舎に引っ越してしまい、大地の妹も結婚して家を出たため大地が1人で住むには広すぎるからいいのだと高井戸は言っていたが・・・・。
「結局、人の好意に甘えちゃってる・・・・・・・。 いいのかな・・・・・」
大地が店を閉め帰ってくるまでにとお風呂掃除をしていた綾人は小さく息を吐いた。
大地の店で働き始めて一週間、仕事を覚える事に必死で、忙しくて一日のうちで樹を思い出すのは多くない。
だがこうして1人の時間に戻ると、浮かぶのは樹の顔ばかりだった。
会いたい、話がしたい、声が聞きたい、触れたい。
寂しい・・・・・・・・。
だけど戻りたいとは思わなかった。
今の生活は、樹に会えない毎日は確かに寂しい。 だけどあのマンションに帰って、樹を待つだけの生活に戻りたいとは思わなかった。
初めてまともに働けて、忙しくしている日々は寂しくても充実していた。
大地は無口で素っ気無いが本当は優しい人なのだと分かるし、時々顔を出してくれる高井戸は楽しくて、常連のお客さん達は明るくて。
寂しいけれど、楽しい。
こうやって毎日を過ごしていれば、本当にいつか樹のことを想い出として胸に閉じ込めることが出来るのかもしれない。
「・・・・・・い、おい。 永井」
「え? あ、お帰りなさい! すぐお風呂ためますから」
ぼんやりとしていた綾人は浴室を覗き込み訝しげにしている大地に笑いかけ、泡だらけの手を洗い流した。
「風呂は別にいい」
「え?」
「家の事までする必要はない」
それだけ言うと、大地は浴室の中に立ち竦む綾人を残して出て行ってしまった。
余計な事をしたのだろうかと綾人は溜め息を漏らし、浴槽を洗い流すと勢い良くお湯を流し込んだ。
高井戸とは違い、大地は口数が少なく口調も素っ気無いところがある。
だがそれは不器用なだけなのだと高井戸は言っていた。
言葉が足りないだけなのだと。
綾人は浴室を出ると、大地が居るであろう居間へと向かった。
畳みの上に胡坐をかき、新聞を広げている大地の横に座るとチラリと視線だけを寄越してくる。
そして俯く綾人の頭に大きな手を乗せ、顔を上げた綾人に目線だけでちゃぶ台の上にあるケーキを教えた。
「食え」
初めて働いた日も、大地は綾人にケーキをくれた。
それはすぐ近くにあるケーキ屋のもので、余ったケーキをよく届けてくれるのだという。
だが大地は甘いものがあまり好きではないらしく、綾人が食べてくれると助かると最初の日に言われた。
「いただきます」
甘いクリームを頬張る綾人に小さく頷き、再び大地は新聞へと目を落とす。
会話はあまりない、だがそれが息苦しくはなかった。
むしろこの静かな時間は、とても心地よくて綾人は好きだった。
「美味しいです」
「・・・・・・そうか」
「あの・・・・、僕、ごめんなさい。 家の事、出来れば少しでも手伝いたくて」
ケーキを見つめたまま呟いた綾人に、大地が顔を上げて眉を寄せる。
「違う。 疲れているのに、無理はしなくていい」
大地の答えにパッと顔を上げると、真っ直ぐな眼差しとぶつかった。
言葉が足りない、不器用な奴なんだと言った高井戸の声が蘇る。
思わず笑みを漏らした綾人に大地は顔を顰め、目を逸らすと咳払いをして新聞を読み始めた。
大きな背中が照れているように見えて綾人は更に顔を緩ませる。
自分は本当に運が良かったのだと思う。
偶然高井戸に出会って、大地に出会って。
もっと辛いだろうと思っていた。 樹と離れたら、堪らなく辛いだろうと。
寂しくて悲しくて駄目になってしまうんじゃないかと怖かった。
だけど寂しくても、会いたくて堪らなくて悲しくなっても、なんとか耐えれているのは高井戸や大地の存在のおかげだった。
このままこうして過ごしていれば、いつかきっと樹のことも忘れられる。
今ある胸の痛みも、寂しさも、時間が経てばきっと忘れられる。
樹ももう、出て行ってしまった綾人のことなど気にもしていないだろう。
他の誰かのところで、誰かを腕に抱いて、綾人のことなどすぐに忘れる。


そう、思っていた。



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