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運命はその手の中に
第5話



薄暗い室内はテレビで見たことがあるビジネスホテルのような無機質な感じがした。
ビジネスホテルにも、ましてやラブホテルなど入ったこともない綾人は室内をキョロキョロと見渡して首を傾げた。
「どうかした?」
男の柔らかな声がすぐ後ろに聞こえて綾人は思わず首を竦める。
そんな仕草に笑みを漏らすと、男は後ろから綾人の腰を抱き寄せた。
「ッ・・・・」
ゾクリと肌が粟立つ。
今からこの男に抱かれるのだろうか。
樹とは違う、見知らぬ男に・・・・・・・。
だが男には不思議と厭らしい雰囲気はなかった。
邪気のない笑顔のせいかもしれない。
今もこうして綾人を抱き寄せて体に触れてきているのに、あまり性的な目的を持っているような気配はなかった。
男の手が迷うようにシャツの隙間から綾人の肌に触れる。
「・・・・」
指先が胸元をさらりと撫で、だが男はそこで手を止めシャツから出すと綾人をぎゅっと抱き締めた。
チラリと男を見やると、男は綾人をきつく抱き締めて深い溜め息を漏らした。
「似てるんだよね、君」
「え・・・・?」
「実はね、俺もなんだ。 失恋したばっかでさ、君によく似てるんだ。 さっきの店で見たとき驚いてつい追いかけちまった」
くつくつと笑いながら、男は縋るように綾人をきつく抱き締める。
その息が苦しい程の抱擁に、何故か綾人の胸が痛む。
男が可哀相で、悲しくて、不思議な愛おしささえ感じた。
「もうね、本当に好きで、好きすぎておかしくなるんじゃないかってくらい好きだったんだよ。 ・・・でも他の男に取られちゃった」
綾人を離すとおどけた仕草で笑う男が、自分とだぶる。
「顔が似てるっていうより、雰囲気かな。 静かで、凛としてて、笑うとすごく可愛いんだ」
男が綾人の頬を軽く抓り、くしゃりと顔を歪ませた。
本当にその人の事が好きだったんだと分かる、たまらずに綾人は男の手を取り頬に添えると慰めたくて微笑んだ。
男は空いている片方の手で綾人の髪を撫で、そしてそっと抱き寄せて綾人の肩に顔を埋めた。
「ごめんね、ここに来るまでは本気でやっちゃおうと思ってたんだけど。 やっぱ勃ちそうにないかも」
ただ少し、寂しいからこうしててよ。
男の言葉に綾人は小さく頷いて、男の背中に両手をまわした。
男も、自分も寂しい。
傍に居て欲しい人は別にいるのに、傍にはいなくて。
抱き締めたい、抱き締められたい相手は別にいるのに、もう手が届かない。
男に抱き締められながら、男を抱き締めながら綾人は樹の姿を思い浮かべた。
今すぐにでも会いたい。
本当は、帰りたいんだ・・・・・。
何も知らないふりをして、何も感じないふりをしていれば、変わらずに傍に居られる?
ただ樹が来てくれるのを待ってさえいれば、また樹に会える。
そこまで考えて、綾人は溜め息を漏らす。
出来ない、と思う。
どうしても、出来ない。
樹が他の誰かの匂いを纏ったまま綾人の元へ来ることも、ただ待つだけも。
もう、出来そうにない。
だからこうして出てきたのだ。
もう忘れる。 樹を忘れて、生きるんだ。
いつか時間が経てば、樹のことはきっといい思い出に変わる。
今は苦しくても、いつかきっと、懐かしく思い出せる日が来る。
今はまだ、そんな日が来るなんて想像もつかないけど・・・・・・・。
「なんか、お腹すかない?」
不意に男が顔を上げ、どこか張り詰めていた空気を吹き飛ばしてくれた。




男が頼んでくれたルームサービスを食べながら互いに名前を教えあう。
男の名は高井戸啓太と言い、職業はと聞くとただのサラリーマンだと誤魔化された。
「で、そいつの家を飛び出してきちゃったんだ?」
「・・・・・・・」
ひととおりの話がすむとアイスコーヒーを啜りながら男は首を傾げ、少し考え込むような仕草をした。
行くところがないと言う綾人に困っているのだろう。
「すぐ仕事を見付けるつもりなんです。 さっきのお店の人が、紹介してくれるって言ってたし・・・・」
「ああ、なるほど。 でも住むところはどうするの?」
「・・・仕事が決まったら、安いアパートでも探そうかと」
「良かったらさ、俺が紹介してあげるよ。 これも何かの縁だしさぁ、放っておいた方が気になって仕方ないだろうし」
高井戸は不思議な男だと思う。
たまたま知り合っただけの綾人に、何とか力になろうとしてくれているのがなんとなく分かった。
元来世話好きなタイプなのだろう。
あの時、声をかけてくれていたのが高井戸で良かった、そう素直に思えた。
「それに、悠と似てる君が路頭に迷うなんて想像したくないしね」
悠、という人が高井戸の想い人なのだろう。
男はにっこりと笑い、つられて綾人も知らず頬を緩ませた。
綾人はあまり人と触れ合ったことがない。
深く付き合ったのは、樹ただ1人だったから。
だからこうして優しくされると、怖くもあるが嬉しくもあった。
「実はさ、あの店のママが紹介するって言うレストラン、多分俺の友達のとこなんだよね」
「そうなんですか?」
「うん、あの店の近くでレストランやってんの。 結構評判良くて、でもオーナーが人の好き嫌いが激しい奴でなかなかバイトが決まらなかったんだよねぇ」
「そう・・・・なんですか」
「そ、そのオーナーが俺の昔からの友達なんだけど。 いい奴だよ、安心して」
不安げな顔をする綾人の頭をぽんぽんと撫で、高井戸は満腹になったお腹を擦る。
「ママが紹介してくれるって言ってるけど。 まぁいいか。 どうせ住むところも決めなきゃだしね」
いい?と首を傾げる高井戸に何のことか分からず同じように首を傾げると、ふっと柔らかい笑みを漏らされる。
優しげなその笑みに、何故悠という人はこの人を選ばなかったのかと不思議に思う。
きっと、寂しい想いや悲しい想いをこの人なら相手にさせないだろう。
「オーナーに紹介するよ。 今から行こう」



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