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運命はその手の中に
第4話


行くあてなんて当然ない。
頼る友達も、知り合いも綾人には1人も居ない。
徐々に薄暗くなってゆく街に埋もれながら、綾人はどこかぼんやりと人の流れを見つめた。
道端で立ち竦む綾人に目をくれる人もいない。
皆家路を急いでいるのだ。 待っている人がいるのだろう。
そう思うと、堪らない寂寥感が胸を覆う。
あの部屋に居た時、感じた寂しさとは違う痛みが胸に刺さる。
自分には誰もいない。
それを改めて思い知らされたような気がした。
これからどうしよう、何をしよう、どこへ行こう。
樹の顔が浮かんで、綾人は立ち竦んだままの足を一歩前へとゆっくり動かした。
今も樹の匂いが消えない。
動くたびに自分の体から樹の匂いが感じられる。
それを消し去りたくて綾人は早足に歩き始めた。
マンションがある街から3駅ほど歩くと、人の流れがいっそう多く感じられた。
飲み屋が多く建ち並び、けばけばしいネオンが光っている。
光に吸い寄せられるように綾人はふらふらと足を進めた。
此処なら、綾人を受け入れてくれるかもしれない。
そんな気がした。
綾人が過去に何をしていたか、そんなことを気にする人などいないだろう。
此処なら、きっと仕事も見つかるはずだ。
スナックやキャバクラの看板が建ち並ぶ通りを歩いていると、求人の広告を見つけて綾人は足を止めた。
18歳以上、健康な男子求む。
しばらく白い紙に書かれたそれを見つめ、綾人は意を決して店の扉を開いた。
「いらっしゃいませ・・・・・・、あら?」
店の奥から軽快な声が聞こえ、次いで40代くらいの綺麗な女性が現れた。
「まだ準備中なんだけど・・・・・」
綾人の姿を見て、女性は戸惑ったように眉を寄せた。
こういった店に来るような男達とは明らかに違う、若い綾人に首を傾げながら近寄ってくる。
「あ、すみません。 ドアに貼ってあった求人を見て・・・・・」
そう言うと、女性は「ああ・・・・」と納得したように頷いて、それから綾人を上から下まで値踏みするように眺めた。
「確かに募集はしているけど、あなたこういった仕事したことはあるの?」
「いえ、ありません・・・・・。 でも、頑張りますから」
仕事の内容も聞かずに硬い表情で言う綾人に女性は困ったように微笑むと、店の中に入るように促した。
椅子に座らせると、女性はカウンターの中から冷たく冷えたウーロン茶を綾人に差し出した。
「ねえ、悪いんだけど、あなたうちの店には向かないと思うのよ。 仕事が欲しいなら別のところ紹介してあげる。 どう?」
「別の、仕事・・・・ですか?」
「そう、ちゃんとしたところよ。 この近くでレストランやってる知り合いがいてね、ちょうどウェイターを募集してるの」
にっこりと微笑み、女性はまるで子供に接しているかのように綾人の頭を撫でた。
その時店の扉が音を立てて開かれ、彼女はカウンターから身を乗り出して入ってきた客に向かって綺麗な笑みを見せた。
「いらっしゃい。 今日は早いんですね」
入って来たのは体格のいい30代前半のサラリーマン風の男だった。
体育会系の爽やかな風貌に人好きのする笑顔を乗せたまま男は店に入ると、カウンターに座っている綾人を見つけて軽く目を瞠る。
「明日、このくらいの時間にまた来て。 知り合いに話しておくから」
女性はそう言って綾人をまるで急き立てるように店から追い出した。
「今日はこのまままっすぐ帰りなさい。 この辺りあまり治安が良くないの、あなたみたいな子が夜うろうろしてるのは危ないわよ」
綾人を外に出すと、耳元でそう囁いて彼女は扉を閉めた。
閉まった扉を呆然と見つめて、それから綾人は小さく溜め息を吐くと今日の宿を探そうと踵を返した。
とりあえず、明日また此処にくれば仕事が見つかるかもしれない。
住む家もないが、仕事が見つかれば安いアパートくらいなら探せるかもしれない。
そう思うと、気持ちが少し軽くなった気がした。
綾人は飲み屋街から見える古びたホテルを見上げて、今日はそこで一晩過ごそうと足を向けた。
だが後ろから聞こえた呼び声に振り返ると、先ほど女性の店に入ってきた男が綾人に向かって小さく手を振っている。
男は綾人の前まで来ると、長身の体を屈めて顔を近づけた。
「名前、教えてもらってもいいかな?」
やけに近い顔に驚いて瞬きをすると、男は苦笑を漏らして背筋を伸ばした。
「ああ、ごめん。 好みの顔だったから焦っちゃったな。 これからどこに行くの? まだ帰らないならちょっと付き合わない?」
「え・・・? あの?」
男は綾人の腕を掴むと返事も聞かずに早足で歩き始めた。
「あの! ちょっと・・・、待って下さい!」
掴まれた腕を離してほしくて必死に足を突っ張るのに、男は更に綾人を引き寄せにっこりと笑って肩を抱いた。
知らない男の香りが鼻をついて、知らず眉を顰め口元を引き締める。
「離してください」
体を捩って男から離れると綾人はそのまま逃げようと走りだした、だがすぐに男に腕を掴まれる。
「離せっ・・・・」
「そんなに怖がらないでよ。 ご飯でも一緒に食おう」
男が綾人を抱き込むように腕をまわすと、また男の匂いが綾人の鼻を擽った。
樹とは違う煙草の香り、樹とは違う香水の香りが酷く不快で吐き気を覚える。
「君本当に俺の好みなんだ。 一晩付き合ってくれたら5万・・・・、いや10万あげるからさ」
嫌がる綾人の顔を見ながら、男は顔を緩ませた。
「男と寝たこと、あるんだろ?」
その言葉にハッと男を見上げると、男は綾人の手を取り自分のそれに絡めた。
「大丈夫、優しくするから」
顔を強張らせ、微かに震えている綾人を励ますように明るく言うと男は手を繋いだまま歩き始めた。
引きずられるようにして歩きながら綾人は呆然と男の背中を見詰めた。
何故男と寝たことがあるなどと分かったのだろう。
男の言葉は確信に満ちていた。
自分は、人から見てそう見えるのだろうか。
2年も男である樹の愛人だったのだ、分かる人が見れば分かるのだろう。
あれは男に抱かれて喜ぶ人間だ、と。
いや、違う。
樹だったからだ。
樹だったから、抱かれて嬉しかった。
樹だったから、抱かれたかった。
抱き締められると幸せだった。
全て樹だったからだ。
他の男に触られることを考えただけで、堪らない嫌悪感を感じる。
樹だったら、何をされても平気だったのに。
それと同じ事を目の前の男にされたら、そう考えてゾッとした。
「失恋でもした?」
不意に男が振り返り、俯いて歩く綾人に声をかけた。
そして立ち止まると、首を傾げながら笑い繋いだ手に力を込める。
「失恋・・・・・?」
「暗い顔してるからさ、違うの?」
これも失恋というのだろうか、ぼんやりとそう考えてまた俯くと男の大きな手が綾人の頭を撫でた。
何故かそれが樹のそれと似ていて、目頭が熱くなる。
「俺と寝ちゃえば、忘れるよ。 前の奴のことなんて」
「忘れる・・・」
「そ、思い出す余裕もなくなるくらいめちゃくちゃにしてあげるよ」
改めて男の顔に視線を戻すと、樹とはまた違う精悍な顔立ちに気付く。
笑った顔はどこか子供っぽく、嫌らしさは微塵も感じられない。
セックスしようと誘われているのに、どこか遊びに行こうと軽く誘われているようだ。
この人と寝たら、樹を忘れられる・・・・?
樹の匂いを、消し去れる?
にこやかな男の表情に、綾人は小さく頷いていた。




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