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運命はその手の中に
第3話


きつく掴まれた腕が痛くて身じろぎすると、優しい仕草で宥めるかのような口付けが項に落とされた。
その感触はよく知っているもので、綾人は歓喜に塗れた溜め息を漏らしそうになり身を震わせる。
喜んでいると、知られたくはなかった。
触れられて死ぬほど心が喜びに震えていることを、決して伝えたくはなくて綾人は唇を噛み締め嗚咽を飲み込んで目を閉じた。
声さえ漏らしたくなくて必死に耐えた為唇は切れ、それが酷く痛々しい。
綾人の下肢を蹂躙していた手が離れ、口元の傷を確かめるように撫でた。
「声を出せ・・・・・・」
低く呟かれた声が、やけに耳に響く。
ずっとその声が聞きたくて、その声で呼びかけて欲しかったのに今はそれが辛い。
綾人は樹の手から逃れるように首を振ると、涙に濡れた目を薄く開いた。
「樹さん・・・・、どうして」
何度も嗚咽を堪えたために酷くしゃがれた声に樹が目を細め、綾人から目を逸らすとだらしなく投げ出された腕を掴み抱き起こした。
「自分のものを好きに扱って何が悪い。 お前はあの時からずっと俺のものだろう」
素肌に触れる布の感触が隔たりを感じさせて綾人は樹の腕の中から逃れるように身を捩った。
だが更にきつく抱き締められ頬に樹の胸が押し当てられる。
その時、樹の着ているシャツからふわりと甘い香りがして綾人は思わず息を飲んだ。
ここに来る前に女性と会っていたのかと思うと、堪らなくてなおも体を引き離そうともがくと頭上から苛立たしげな舌打ちが聞こえた。
「樹さんっ・・・・・」
嫌がる綾人をベッドに押し倒し、圧し掛かるように覆いかぶさると樹は己のベルトを緩め硬く立ち上がった自身を取り出し後ろへと押し当てた。
長い時間樹の舌と指によって解されていた綾人の後秘はそれを待っていたかのようにひくひくと蠢く。
「い・・・・やだっ。 樹さん!」
「嫌がっているようには見えないな」
逃げようとする綾人の腰を掴み、尖端を捻じ込んだ樹は口元を歪め小さく鼻を鳴らした。
ゆっくりと時間をかけて自らの怒張を小さなそこに収めると樹は固く目を閉じる綾人の顎を掴み唇を寄せ、まるで罰を与えているかのような口付けを落とした。
喰われているかのような激しい口付けに息も出来ず、綾人は樹の背中に両手をまわしシャツをきつく掴んだ。
そのまま樹が腰を引き、焦らすようにゆっくりと動き出す。
ぞわりと内臓を手で撫でられるような感触に背中が震えた。
ずっとこうして欲しくて、ずっと待っていたはずなのに嬉しさよりも苦しさが強くてまた涙が零れた。
「あっ・・・・・、あ」
強く腰を打ち付けられると頭の中に靄がかかったように何も考えられなくなる。
お腹のあたりが疼いて、もっともっととねだってしまいそうで綾人はぐっと唇を噛み締めた。
初めての頃は、ただ触れられることが嬉しくて、樹の熱を感じられることが幸せで、それだけでいいと思っていたのに。
どんどんどんどん欲が出てきて、自分だけを見て欲しい、自分だけを愛して欲しいと願うようになって。
そんなこと叶わないと分かっていたつもりだった。
だけど願ってしまう。
樹の心が欲しいと願ってしまう。
もっと早く離れていたら良かったのだ。
樹が綾人に苛立つようになった頃に、樹が綾人の元を訪れなくなった頃に、離れていれば良かった。
戻ってきてくれるかもしれないと浅ましく待っていたのは、出会った頃の樹がどうしても忘れられなかったからだ。
優しくて温かかったあの頃の樹に、もう一度会いたかった・・・・・。
固く閉じていた瞼を開くと、酷く思いつめたような樹の顔が見える。
精悍な顔が、獰猛に歪んでいる様に綾人の胸が痛む。
こんな顔をする人じゃなかった。
こんな顔は、見たくない。
「樹さ・・・・・、もう、やめて・・・・嫌」
額に薄っすらと浮かんだ汗を拭ってあげたくて、綾人は樹に手を伸ばした。
だがそれは樹の頬に触れる前に遮られ、厭うような仕草で振り払われた。
「お前のその言葉は聞き飽きた。 もう俺は、お前には何も期待しない」
「っ・・・・」
もうお前には、何も期待しない。
冷たい言葉と共に凍りつくような眼差しに、体中の血が引いてゆくような感覚がした。
吐き出すように言われた言葉に、綾人の咽喉が引き攣る。
青褪めた綾人の顔に手を添え、樹は口元を歪めて笑う。
「それでも、お前は俺のものだ。 俺がお前の命を拾ったんだ。 俺から離れて生きていけると思うな」



夕焼けが部屋の壁をオレンジに染めているのをぼんやりと眺めながら綾人はベッドの中で背中を丸めて目を閉じる。
昨夜綾人の体を何度も何度も蹂躙した男は、結局明け方まで離してはくれず一睡もせずに仕事へと戻っていった。
また来ると、それだけ告げて出て行った樹に綾人は何かを言う気力もなくそのまま眠りに落ち、気が付くとすでに夕方になっていた。
重たい体を起こし、からからになった咽喉を潤そうと綾人はベッドから降りる。
だが足に力が入らず、床に座り込んでしまう。
そして後腔から太腿に樹が残していったものが流れだすと、綾人の咽喉から自嘲気味な笑みが漏れた。
まだ後ろはじくじくとした熱を持っている。
久しぶりの情交に、正直な体は悦んでいた。
樹に抱かれて嬉しいと、告げていた。
他にも相手がいたっていい、自分だけじゃなくてもいいと、そう思えたらどれ程楽になれるだろう。
自分は愛人の1人で、それで満足だと思えたらどれ程救われるだろう。
だがそうはどうしても思えなかった。
自分はいつから、こんなに欲深くなってしまったのだろうか。
樹に出会っていなければ、こんな思いをすることなんてなかったのに。
樹を知らなければ、あの温かな抱擁を知らなければ、腕の中の心地よさを知らなければ、こんな気持ちを味わうことなんてなかったのに。
でもそれでも、会わなければ良かったとは思わない。
樹に出会って、綾人はたくさんのものを与えられた。
もう、充分だ。
「充分だ・・・・、そうだろ? もう、何も、望むな」
自分に言い聞かせるように呟いて、綾人は足に力を入れて立ち上がる。
ふらつきながら浴室へ向かい、熱いシャワーを浴びると少しだけ力が湧いたような気がした。
体を拭い、キッチンへ行くと冷たい水で咽喉を潤すと生き返ったような心地に溜め息が漏れた。
カウンターキッチンの中からリビングを眺めて、ここで過ごした月日を思い浮かべる。
下手くそな料理を作って、樹に食べさせたことがあった。
決して美味しいとは言えない味に、それでも笑って綾が作ったものならなんでも美味しいと言ってくれた。
綾人が好きな作家の本を山ほど買ってきてくれて、一冊一冊大事に読む綾人を後ろから抱き寄せて、こんなものならいくらでも買ってやると言って、遠慮する綾人に苦笑しながら口付けてくれた。
風邪を引いて熱を出した時は、一晩中寝ずに付き添ってくれた。
指に傷を作りながらりんごの皮をむいて、食べさせてくれた。
一緒にビデオを見ては、好きなシーンを語り合ったこともある。
子供の頃の話や、初恋の話、熱中したバスケのこと、たくさん話してもらった。
好きだった。
樹のことが、好きだった。
こうしていられたら何もいらないと本気で思った。
樹がいてくれるなら、それ以上何もいらないと思っていた。
だけど綾人は、本当はそれだけでは満足できない自分も知っていた。
樹から他の誰かの気配を感じる時、甘い匂いを嗅いだ時、吐き気がするほど辛くて。
樹を詰ってしまいたくて。
それを必死に堪えて、自分には何も言う権利はないと押し黙ったままだった。
今思えば、全て口に出して言ってしまえば良かったのかもしれない。
他の人のところへ行かないで、ここに居てと言えば良かった。
言えなかった言葉がたくさんある。
こうして気持ちをずっと引きずったままでいるより、言ってしまえば良かったのだろう。
でも、もう遅い。
コップを綺麗に洗い、寝室に戻ると樹が買い揃えてくれた服に着替え財布だけを持ってリビングに戻った。
財布の中には5万円ほどしか入っていない。
それが綾人の全財産だ。
樹は欲しいものや与えたいものは何でも買ってくれたが、綾人に現金を持たせるのを嫌っていた。
だからいつも綾人の財布には5万円ほどしか入っていない。
外に出かけても最低限のものしか買わないから特に不満を感じたこともなかった。
すぐにでも住み込みで仕事を見つけないと、そう思って綾人は樹の言葉を思い出した。
『男のくせに、男の愛人をやっていたお前を雇ってくれるところがあると思うか?』
その台詞と共に、樹の匂いがふわりと香ったような気がして綾人は息苦しさを感じた。
綾人の体には、樹の匂いが染み付いている。
忘れたくても、忘れられない樹の匂いが、自分の体中に染み付いている。
「っ・・・・・・」
実際には綾人の体から香るのは石鹸の香りでしかないのに、綾人には今目の前に樹がいるかのように感じられた。
樹が綾人を抱き締めた時、ふわりと香る樹の匂いが綾人に纏わりついている。
本当に離れられるのか、本当に樹を忘れられると思っているのか。
離れようとしている今この瞬間だって、会いたいと思っているくせに。
自分の足元を見つめながら、綾人はそれでもと顔を上げて奥歯を噛み締めた。
このまま此処に居続けるのは、辛すぎる。
いつ来るとも知れない樹を待って、ただ待って過ごすのは辛すぎる。
樹の周りにいる誰かに嫉妬しながら、それを押し隠して一緒にいるのは悲しい。
最後にもう一度リビングを見渡して、綾人は静かに玄関の扉へと向かった。




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