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勿忘草
8



隆行へ今日部屋に行くとメールを送り、仕事を終え会社を出ると徐々に実感が湧いてくる。
いざ伝えようと思うと、酷く緊張してしまう自分がいた。
なんて言えばいいだろう、どう言えばうっとおしく思われないだろう。
迷惑だと言われても、平気な顔をしておかないと隆行も困るだろう。
ぐるぐると思考がめぐり地面を睨みつけながら歩いていると、不意に誰かが目の前に立った気配を感じて顔を上げると、そこには先日久しぶりに再会した雅春が居た。
「晶、下を見ながら歩いてると人とぶつかるよ」
大学を卒業して中学校の教師になった雅春は相変わらず真面目そうで優しそうに見えた。
実際いつも優しくて、雅春が怒ったところを晶は見たことがなかった。
だが何故ここにいるのかと不思議に思っていると、それを読み取ったのか雅春が照れたように苦笑を漏らした。
「会いたかったんだ。 ここで待っていたら会えるかと思って・・・・。 ごめん」
「雅春・・・・・」
「少し、話せないか?」
微笑を浮かべながらも、切なげに見える雅春の様子に躊躇しながらも晶は頷き近くにある喫茶店を示した。
夜はお酒も出すその店に入り、テーブルに着くと晶はずっと心に残っていた言葉を口に出した。
「ずっと、雅春に謝らなきゃいけないと思ってた・・・・。 あの当時、俺は・・・」
「謝らないでくれ。 晶に好きな人がいると、分かってたんだ。 分かってたけど、それでもいつか、もしかしたらと思って離れられなかったのは俺の方だ」
ウェイトレスが持ってきた水で唇を湿らせ、大きく息を吐いた雅春に晶は軽く目を瞠る。
隆行を忘れられないままに雅春と付き合っていた、だがそれを雅春に言ったことはなかった。
「晶が俺の名前を口にする度に、それは俺じゃないような気がずっとしてた。 見ない振りをしてたんだ、気付かない振りをして、黙ってた。 俺は承知でお前と付き合っていたんだ、だから謝るな」
注文したコーヒーを運んできたウェイトレスが興味深そうにチラチラと2人を見ている。
だがそんなことも気にならなくて、晶は言葉を続ける雅春を見つめた。
「振られた時は、この世の終わりのような気がしたよ。 俺は本当にお前が好きだったから。 今も、お前が好きだ。 この前お前に会ったのも本当は偶然じゃない、お前の会社を知ってて、あの通りにいれば会えるだろうと思ってたんだ。 ・・・もう一度、やり直せないか? 晶」
「っ・・・・・」
思わず持っていたカップを落としそうになる。
目を瞠り凝視している晶に雅春はふっと笑みを浮かべ、小さく溜息を漏らした。
「雅春・・・、ごめん俺・・・」
「もう遅いんだよな。 この間一緒にいた人が、晶がずっと好きだった人なんだろ?」
「ど・・・、どうして・・・」
驚いて息を呑んだ晶に雅春が苦笑して、口元を歪めた。
そんな風に笑う顔は初めて見る。
いつだって晶を労わるような、優しい笑みを浮かべた人だった。
だから晶は雅春に抱かれる時、隆行を思ってしまうことが申し訳なくて、そして間違えないように何度も何度も雅春の名前を呼び続けた。
いつしか隆行を思い浮かべながら雅春の名を呼ぶ自分が嫌になり、これ以上裏切りたくなくて別れを告げた。
あらためて自分の行為が雅春を傷つけていたのだと分かり、罪悪感が胸に湧き上がる。
だが雅春は一度大きく息を吐き出すと、いつものような優しい笑みを浮かべた。
「踏ん切りをつけたかったんだ。 晶の口から、はっきりと言われれば諦められると思って・・・・。 あの人が、好きなんだろう?」
真っ直ぐにこちらを見詰める視線にごくりと咽喉を鳴らし、そして晶は雅春を見つめ返しゆっくりと口を開いた。
「あいつが、好きだ・・・・。 ごめん、雅春ごめん・・・。 俺は、隆行が好きなんだ」
声が震え、涙腺が緩みそうになるのを必死に堪えてそう言った晶に雅春は頷き、小さく「分かった」とだけ呟いた。



雅春と別れを告げ、隆行のマンションにたどり着いた晶は部屋の前に立つと、何度か深呼吸を繰り返した。
今日でここへ来るもの最後かもしれない。
そう思うとやはり寂しくて、今日言わなくてもいいんじゃないかと弱い心が顔を出した。
だが今日言わなければ、多分また言えなくなるような気がする。
強くならなければいけない、昔言えずにずっと引き摺っていた想いをこれからも引き摺るよりは今日伝えて、終わりにしよう。
微かに震える指先でインターホンを押すと、すぐに扉が開かれた。
既に寛いでいたのかスーツから黒いTシャツとズボンに履き替えた隆行が玄関の戸を開き、晶を中へと促した。
「遅かったな」
先を歩く隆行の背中を見つめ、晶は緊張で乾く咽喉を感じながら大きく息を吸い込んだ。
「雅春が・・・。 あの、隆行話があるんだ」
「あいつと会っていたのか?」
突然振り返った隆行が晶の腕を掴み、きつく力を込める。
そして目を瞬かせる晶に舌を打ち、怒りを含んだ眼差しで睨みつけてきた。
「隆行、聞いて欲しいことがあるんだ。 お前には迷惑かもしれないけど」
「あいつのところへ行くつもりか。 あの男に好きだとでも言われたんじゃないだろうな」
ギリ・・・と音を立てて隆行が奥歯を噛み締める。
酷く怒っているその形相に思わず腰を引くと、強く引き寄せられた。
「ふざけんな・・・。 やっと・・・」
晶を引き寄せ、首筋に顔を埋めて隆行が何かを呟いた。
「隆行、俺は」
「あの男が好きなのか、あの男のところへ行きたいのか」
「隆行話を聞いてくれ! 俺はお前にずっと言いたいことがあったんだ、俺は」
晶をまるで逃がさないという風に強く抱き締め、隆行はぶつぶつと呟きを繰り返す。
だが晶が大きく声を出すと、ぐっと表情を引き締め身体を離した。
晶がホッと息を吐くと、堪えきれない何かをぶつけるように壁に拳を叩きつけた。
「っ・・・隆行?」
ダンッと大きな音が廊下に響き、隆行が肩で息を吐く。
そしてゆっくりと腕を晶へと伸ばした。
「隆・・・・」
「話だと? そんなもの必要ない。 やっと・・・。 お前が、俺は・・・」
酷く辛そうな隆行の表情に晶の瞳が揺れる。
晶は隆行が伸ばした腕を取り、壁に叩きつけたせいで赤く腫れているそこへ唇を寄せた。
「お前の話なんて、聞きたくない」
「隆行、ごめん・・・・」
「聞きたくないと言ってるだろ!」
「お前が好きだ。 ごめん・・・、好きなんだ」


ずっと、お前が好きだった―――――――――。





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あきゅろす。
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