勿忘草 6 玄関に入るなり隆行は晶を廊下の壁に押し付け、激しい口付けを落としてきた。 息すら出来ないほどの激しさに顔を背けようとすると、顎がきつく掴まれる。 「逃げるな」 互いの吐息を感じるほど近くに隆行の顔がある。 そのことに無理矢理顔を掴まれ口付けられているというのに、嬉しさに胸がつまる。 昔は近くに行きたいと思っても隆行は遠くて、触れることなんて考えられなかった。 なのに今は目の前にいて、手を伸ばせば届くところに隆行がいる。 心を伴わない行為に虚しさを感じながらも、そのことが酷く嬉しくて堪らなかった。 「逃げるな・・・・・・・・・・」 きつく見据えてくる眼差しの中に自分がいる、今この時隆行の視線は自分を捉えている。 強引で傲慢な態度を取られているのに、嫌いになれない想いの強さを実感させられて晶は微かな笑みを浮かべた。 その笑みに何を思ったのか隆行がまた酷く苛立ったように歯を噛み締め、晶の顔を両手で挟んで深く全てを奪うような口付けを落とした。 歯と歯がぶつかり合うような激しい口付けに息が上がる。 舌を引き抜くほど強く吸われ、唾液も吐息もどちらのものかもう分からない。 「っ・・・・・・・隆・・・・・・・・」 「今更・・・・・・・・、奪われてたまるか・・・・・・・・・・っ」 「隆行・・・・・・・・・・・・・?」 「・・・・・・・・・来いよ」 壁に押し付けていた晶の身体から引くと、隆行はそのまま廊下を進み寝室へと入って行った。 すでに口付けだけで足が震えている晶は壁にもたれかかり、熱くなった身体を冷ますように数回深呼吸を繰り返すと壁に手をついたまま寝室の扉へと向う。 仕事の鞄を玄関に落としたままであることすら忘れて、明日も仕事だということも頭になかった。 ただこれから隆行に抱かれるのだと思うと、心臓が震える。 触れられて触れることが出来るのが嬉しくて、そして悲しい。 心だけが酷く遠くて、どんどん冷たく凍えていくような気がした。 抱かれている時は熱いのに、離れてしまえばその熱はすぐに冷めてしまう。 ぎゅっと心臓が締めつけられる感覚に胸を押さえながら寝室へ入ってきた晶を見て、隆行が軽く鼻を鳴らして上着を脱ぎネクタイを解いた。 「誰を想っているんだ。 これから俺に抱かれるのに、他の誰かのことを考えているとは俺も馬鹿にされたもんだな」 「何・・・・・言って。 俺は別に」 ワイシャツのボタンをいくつか外し、緩まったそこから鍛えられた胸板が覗いているのに思わず顔を背けると、目の前に立った隆行が晶の顎を掬い上げた。 「俺が抱いてやるよ、いくらでも抱いてやる。 今更雅春とかう奴のところへ行けると思うな」 「雅春? お前何を言ってるんだ・・・・・・・・。 だいたい俺は抱いてくれなんて言ってない、お前が無理矢理・・・・・・・・っ」 「俺が無理矢理? じゃあ嫌か、俺に抱かれるのは。 こうして・・・・・・・触られるのは嫌なのか?」 隆行は皮肉げな笑みを浮かべ、晶の腰を掴んで引き寄せると首筋に唇を落として舌で舐め上げた。 「っ・・・・・・・・・・・・」 湿り気を帯びた舌先が肌を伝う。 ざらりとした舌の感触に下半身が熱を帯びる。 「こうされるのは、嫌なのか?」 耳を甘く噛みながら舌で舐められると、堪らず腰が震えた。 「あっ・・・・・・・・・・・・・・・」 いつの間にか上着は剥ぎ取られ、シャツの上から胸の飾りを押し潰される。 カリ・・・と爪が胸を弾き、もう片方の手がズボンの上から晶自身を撫で上げた。 「くっ・・・・・・・・・・・・・・・あ!」 「脱げよ・・・・・・・・、全部見せろ」 与えられる愛撫に荒い息を吐く晶を離し、隆行がベッドへと腰を降ろす。 力の入らない足でふらふらとベッドへ歩み寄ると、晶は唇を震わせた。 「どうして・・・・・・・・。 お前はどうして俺を抱くんだ・・・・・・・。 お前は女が好きなんだろう?」 じっと見下ろし、苦しげに顔を顰めさせた晶を見上げ隆行は目を細める。 一瞬隆行の眼差しが揺れたかと思うと、すぐに視線は逸らされた。 「隆行・・・・・・・・・」 「脱ぐのか脱がないのかどっちだ。 やらないのなら出て行け・・・・・・・・・・・」 晶の質問に答える気はないのか、冷たくそう言い放ち隆行は晶へ視線を戻した。 不機嫌さは消え、代わりに何を考えているのか分からない無表情な顔で晶を見上げてくる。 寝室はシンと静まり返り、互いの漏らす吐息だけがやけに耳についた。 今ここで、寝室を出ていけば隆行に振り回されることはなくなるのかもしれない。 遠い心に傷つくことも、欲が出て自分を見てほしいと願うこともなくなる。 本当に欲しいのは身体を重ねることではなく、隆行の心なのだ。 だがここで出て行ってしまえば、もうこうして傍にいられることもなくなるのだろう。 手を伸ばせば届くところから、どんなに足掻いても届かないところへと離れてしまう。 こうして見つめ合うことすら、なくなる。 2度と、触れられない。 今すぐにここを出て忘れた方がいいと分かっているのに、足が動かなかった。 目の奥が熱くなり、視界が滲んでいくのを隠すように俯きながらネクタイを解きシャツのボタンへと手をかけた晶に、隆行が微かな息を漏らす。 だがぽたりと晶の頬から流れ落ちた滴に眉を顰め、立ち上がると晶の腕を掴みベッドへと押し倒した。 「何を泣く、俺に抱かれるのが嫌なら出て行けばいいだろ・・・・・・・・。 泣くほど、嫌なのか・・・・・・・・?」 潤んだ視界では隆行の顔が滲んで見える、だが酷く顔を顰めているのは分かった。 そんな隆行から顔を背けると、小さく罵る声が聞こえた。 「忘れられない奴がいるなら俺を利用しろよ。 どうせ相手にされなかったんだろ」 まさか晶が忘れられない相手が、自分だとは夢にも思っていないのだろう。 そう思うとなんだか可笑しくて、自嘲に満ちた笑みが晶の顔から零れた。 だが晶に忘れられない相手がいると何故知っているのかと不思議に思って隆行に視線を戻すと、どこか思い詰めたような眼差しにぶつかり晶は目を瞬かせた。 「隆行? どう・・・・・・・・・」 「俺にも今相手がいないしな、お互い好都合だと思わないか?」 吐き捨てるように言われた言葉が晶の胸に突き刺さる。 顔を強張らせ唇を震わせた晶を見つめ、隆行が濡れた頬を指で拭いながら口付けを落とす。 舌が絡み合う濡れた音が、冷たく心に沁み込んでいくような気がした。 触れられれば嬉しい、傍に居られるのが嬉しい。 だけどそれだけでは嫌だと欲張りな心が顔を出す。 自分などが隆行の恋人になれるはずもない、いつかは別れなければならないのだと分かっていながら隆行の心が欲しいと心が叫ぶ。 不毛で虚しい関係でもいいと、こうして触れられていれば満足だと思えるほど軽い気持ちではなかった。 本心では隆行の心が欲しくて堪らない。 だがそれは到底叶うはずのない願いで、報われることのない想いだ。 隆行の身体の重みを感じながら、晶はぼんやりと脳裏に浮かんだ優しい人へと救いを求めるかのように手を伸ばした。 [*前へ][次へ#] [戻る] |