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勿忘草
4



約束の時間より少し早めに到着すると、すぐに最初と同じ応接室へと案内された。
受付の女性が出してくれた冷たいお茶を口にしていると、ソファの後ろにある扉が静かに開かれた。
「お忙しいところ、わざわざ出向いていただいて申し訳ありません。 久山さん」
わざとらしくそう言いながら、隆行が晶の前に腰を降ろす。
微かに眉を顰めた晶に皮肉げな笑みを浮かべ、目を細めた隆行に小さく溜息を零し姿勢を正すと、晶は資料を取り出し差し出した。
だがそれを軽く捲るとすぐにテーブルの脇に寄せ、隆行は煙草に火をつけ晶に向かって煙を吐き出した。
「どうした。 顔色が悪いぞ」
「・・・・・・・・・・・関口さん」
「2人きりだ、名前で呼べよ。 晶」
ゆったりとソファに寛いで煙草を咥えていた隆行がおもむろに身を乗り出し、テーブル越しに晶の顔を手で掴んだ。
「っ・・・・・・・・・・隆行!」
顎をきつく掴まれ、顔を顰めた晶の唇を塞ぐと隆行は深い口付けを落とした。
いつ誰が入ってくるかも分からない応接室で唇を合わせてくる隆行に目を瞠り、きつく掴んでいる手を離そうともがくとあっさりとそれは外された。
「何を考えているんだ! 仕事の話があったんじゃないのかっ」
濡れた唇を舌で舐め取る仕草に思わず顔が赤らみ、目を逸らしながらそう怒鳴りつけると隆行がくっと笑いを漏らした。
「晶、ここへ来いよ」
自分の膝を軽く叩き、そう誘う隆行を睨みつけると晶は鞄を手に立ち上がって踵を返した。
だがいつの間に後ろに来ていたのか隆行が晶の腕を掴み引き寄せ、倒れ込むようにソファへと連れ戻された。
「何をっ・・・・・・・・・・・・・」
「声を出すと、外に聞こえるぞ。 いいのか」
隆行はぐっと言葉に詰まった晶の前に膝をつき、ネクタイに手をかけ手早く解くとそれを床に放り投げた。
「関・・・・・・・。 隆行、頼むからここでは」
「少し黙れよ」
きっちりと上まで止められたボタンを外し、胸元まで広げるとそこに唇を寄せた隆行を見下ろし口を押さえていた晶はチクリとした痛みを感じて顔を顰めた。
吸い付いて跡を残したそこを舌で舐め、ニヤリと笑うと隆行は顔をあげ晶の顔を覗き込んだ。
「色が白いから目立つな」
そう言って晶の首筋に手を置き、耳の後ろの髪をかきあげると今度はそこに唇を寄せ強く吸い付いた。
「っ・・・・・・・・・・・・・・・」
「昨日は忘れていたんだ。 お前の白い肌にこうして俺の跡をつけて、お前に色目使う奴に見せびらかしたいとずっと思っていたのにな」
「・・・・・・・・・・ずっと?」
ペロリと耳たぶを舐め、首筋にも舌を這わせながらそう呟いた隆行に首を傾げるとなんでもないと言うように唇を塞がれた。
「ん・・・・・・・・・・・・・・」
煙草の苦い味が舌に広がる。
だが逃げる舌を絡め取られ、舌先を甘く噛まれるとじわりとした疼きが湧き上がって下肢が震えた。
「隆行・・・・・・・・・・・・・」
口付けの合間にそう呟くと、隆行の咽喉がごくりと音を立てて鳴った。
こんな場所だというのに今すぐ欲しいと、そう思ってしまう自分の浅はかさに眩暈を感じる。
だが与えられる口付けが心地良くて離れたくない。
愛のない行為に溺れてしまいそうで恐ろしいのに、いつまでもそうしていたかった。
ソファの背にもたれかかり、覆い被さってくる隆行の背中に腕を回し晶は諦めにも似た溜息を漏らす。
隆行にとって自分がどんな存在かなどもうどうでもいい。
もうしばらくこうしていられるのなら、どう思われていてもどうでもいいと思えた。
恋焦がれた相手が、例え性欲処理の為であっても求めてくれているのだ。
いつか離れる時が来ても、覚悟さえしておけば傷つくこともない。
「今日も泊まりに来いよ」
隆行の誘いに頷きながら、晶は眦に浮かんだ涙を隠すように目を閉じた。





その日仕事を終えたのは20時を過ぎた頃だった。
普段から考えるとこれでも早いほうだ。
修正しなければならない書類の山を明日に回し、タイムカードを押して会社を出ると昼間に比べて涼しくなった風が頬を撫でた。
そろそろ夏本番が近づき、日が長くなったとはいえさすがにもう外は暗い。
歩きながら携帯を取り出し今から行くと連絡しておくべきかしばらく悩んでいた晶は、通りがかった人と肩がぶつかり手に持っていた携帯が地面に転がり落ちた。
「すみません、ボーっとしていて」
ぶつかった相手の顔も見ずに携帯を拾い上げ、壊れていないことにホッとしているとじっとこちらを見つめている視線に気づいて晶は訝しげに顔を上げた。
だが相手の顔を認識すると同時に晶の顔に驚愕が浮かぶ。
それは相手も同じだったようで、驚いたように目を瞠り晶の顔を凝視している。
先週は隆行と再会し、そして今日もまた懐かしい人と再会するなんて一体どうしたことだろう。
呆然と見つめていると、相手の顔からふわりと笑みが零れた。
「久しぶりだね・・・・・・・・・・・、晶」
その笑みに大学時代、何度救われただろう。
とことんまで優しくて、いつも支えてくれていた。
結局最後までその気持ちに答えることが出来ずに傷つけた、そのことは今でも晶の胸に忘れられない思い出として隆行のことと同じように残っている。
「雅春・・・・・・・・・・・・・」
それは大学時代の3年間、恋人として付き合っていた香野雅春その人だった。
高校を卒業しても隆行のことが忘れられず過ごしていた晶を誰よりも一番に思ってくれていた、そして誰よりも愛してくれた。
この人を好きになれると思って、いつかそうなれたらいいと思っていた。
だが結局どんなに傍にいても抱かれても晶の中から隆行の存在が消えることはなく、これ以上は一緒に居られないと別れを告げたのだ。
それが今になって、隆行と再会したばかりではなく香野とまで再会することになるなんて思いもよらなかった。
「まさかまた晶の顔が見れるなんて思わなかったよ。 変わってないな」
久々の再会になんと言っていいか分からず立ち尽くしていた晶に、雅春が眩しげに目を細める。
そしてふっと笑うと、晶の髪に手を伸ばした。
「覚えていてくれて嬉しいよ。 もう忘れられてるだろうと思っていたから」
「そんな・・・・・・・・、忘れるわけないよ。 雅春には、感謝してるし・・・・・・・・」
晶の髪を撫で、すぐに離れた手が酷く懐かしかった。
何かというと晶の髪を触るのが好きな人で、2人でいると常に髪を弄っているような人だった。
そうされながらうとうととまどろむ時間は、あの当時晶にとってもとても大事な時間だったことをよく覚えている。
そんなに大切にされながらもどうしても雅春に全てを明け渡すことが出来ない自分を、酷く歯痒く思ったものだ。
そして隆行のことを忘れられない自分を、思い知らされるのだ。
だから別れたのに、隆行と再会し雅春にまた会うことになるなど運命の悪戯にしか思えない。
隆行と再会し何故か身体を重ねるようになって、嬉しさと虚しさに心が引き裂かれそうな今雅春にあの時のような笑顔を向けられるとまた頼ってしまいそうになる。
「もし時間あるなら、どこかに入らないか? 晶が、良かったら・・・・・・・・・」
「あ・・・・・、いや、ごめん。 これから行くところがあって」
雅春の誘いに一瞬躊躇して、晶は気まずそうにそう答えた。
すると雅春はまるで晶を労わるような笑みを浮かべ、手を伸ばしとんとんと晶の頭を軽く叩いた。
「携帯番号、変わってないんだ。 もし良かったら、いつでも連絡してくれ」
「雅春・・・・・・・・・・・・・」
「晶! 何をしているんだ」
相変わらず優しい雅春の気持ちが嬉しくて、思わず笑みを漏らした晶はすぐ近くで聞こえた自分を呼ぶ声に振り返り、そして大きく目を見開いた。
そこには酷く不機嫌な形相をして、こちらを睨みつけている隆行の姿があった。



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