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勿忘草
2



隆行が指定した小料理屋は会社から2駅ほど行ったところにあった。

入ってみるとカウンターのみの小さな店で、他に客の姿もない。

まだ隆行は来ていないらしい、着物姿の女将からおしぼりを受け取り手を拭っていると勢いよく店の扉が開かれた。

見ると隆行が走ってきたのか荒い息を吐きながら店の中へと入ってくる。

額には薄っすらと汗も浮かんでいて、晶は軽く目を瞠った。

「どうしたんだ、そんなに急いで」

「待たせたら悪いと思って、駅から走ってきた」

暑いのか上着を脱ぎネクタイを緩める仕草に思わずドキリとして、慌てて目を逸らすと隆行がカウンターに片肘をつき顔を覗き込んでくる。

「待ったか?」

「っ・・・、いや。 俺もさっき着いたばかりだよ、そんなに急がなくても良かったのに」

ネクタイを緩めたせいで首筋があらわになった隆行の咽喉元に、まだ酒を飲んでいないのに顔が赤らむ。

「俺が早く会いたかったんだ」

目を逸らしたまま出された小鉢に手を伸ばした晶を見ながら、何気なく隆行が呟く。

その言葉に思わず息を呑んだ晶に、隆行は優しげな笑みを見せた。

「久しぶりだからな。 話したいことはたくさんあるんだ」

「そう、だね。 久しぶりだから・・・」

だが思えば隆行とこうして2人きりで会うのは初めてのことだ。

高校の時は取り巻きに囲まれた隆行に近寄ることなど到底出来なかったし、近寄ろうとも思わなかった。

「関口、資料持ってきたんだ。 見てくれるか」

気を取り直し鞄から資料を取り出そうとした晶に隆行が苦笑し、腕を掴んでそれを留めた。

「せっかく久しぶりに会ったんだ。 仕事の話は後にしよう。 それより先に飯だ」

袖口のボタンを外し、袖をめくり上げて隆行は女将にいくつか料理を頼むと資料を手にして戸惑っている晶の額を指で軽く押した。

「っ・・・」

「暑くないのか? 上着くらい脱げよ」

初めて隆行に触れられたと気付く間もなく、言われるがままに上着を脱ぎ資料を鞄に仕舞うと満足気に頷かれた。

すぐに冷たいビールが2人の前に置かれ、軽くグラスをぶつけて乾杯をすると隆行はそれを一気に半分ほど飲み干した。

「仕事の後のビールは旨いよな。 お前も飲めよ」

ごくごくと美味しそうにビールを飲む隆行に釣られるように晶もそれを咽喉に流し込む。

普段はあまり飲まない苦い味に顔を顰めると、隣で見ていた隆行がくっと笑った気がした。

「何・・・?」

「いや、なんでもない。 それよりほら、これ旨いから食べてみろよ」

隆行は自分の前に置かれていた小鉢を晶の前に置き、またジョッキを傾けると最後まで飲み干した。

「豪快だね・・・。 お酒強いんだな、羨ましいよ」

「大学で鍛えられたからな。 お前もやられなかったか? サークルの飲み会とかあっただろ」

「いや、俺はあまりそういう場には行かなかったから」

「まあ・・・そうだろうな。 そういえばお前結婚はまだ?」

唐突にそう聞かれて、ヒヤリとした。

確かに同級生が結婚したという話が最近増えているのだから、隆行がそう聞いたとしても不思議ではない。

だがこれから先も晶が結婚できる確立はほとんどゼロだ。

「俺は、まだだよ。 関口は?」

ちびちびとビールを口にしながら、何気なさを装って聞くと隆行は軽く首を傾げ目を細めた。

「俺もまだだ。 忙しくて最近は恋人すら出来ないな」

運ばれてきた料理に箸をつけながら隆行はわざとらしく項垂れ、そして顔を上げると晶を見てニヤリとした笑みを浮かべた。

「3年の時同じクラスだった矢部って覚えてるか? あいつ、お前の事好きだったんだよな」

「っ・・・!」

飲んでいたビールを思わず吹き出しそうになった晶の背中を擦って隆行はくつくつと笑いを漏らした。

「もちろんクラスの誰も知らなかった。 俺ぐらいじゃないか、気付いてたの」

矢部は女子のことではなく、隆行と仲の良かった男子のことだ。

男に好意を寄せられていたと、そう聞いて晶が驚いていることを楽しんでいるのか隆行は肩を揺らして笑い続けている。

だが物静かであまり騒ぐ事が得意ではなかった晶をからかいこそすれ、矢部から好意など感じたこともない。

「気持ち悪いか? あの当時男に好かれてたなんて聞いて」

「・・・いや、別に。 矢部とはもう会うこともないだろうし」

たまにくる同窓会の葉書を晶はいつも欠席に印をつけ送り返している。

今後も高校の時の同窓会に出席することはないだろう。

動揺を隠して素っ気無くそう答えると、隆行は笑みを消し勢いよくビールを煽って飲み干した。

「関口、飲みすぎじゃないか?」

いくら隆行が酒に強いといっても、あまりに早いペースに晶は眉を顰める。

そんな晶に首を振り、隆行はビールのお代わりを注文した。

「元々どんなに飲んでも潰れることはないから安心しろ。 お前に迷惑は掛けないよ」

「そうじゃなくて、そんな飲み方してたら身体に悪いよ・・・」

何故か険悪な雰囲気になっていることに晶は俯いて小さく呟く。

嫌われたくないと思っていたのに、どこで隆行の機嫌を悪くさせてしまったのだろう。

今も昔も上手く立ち回れない自分に溜息を漏らすと、同時に隣からも盛大な溜息が聞こえた。

「お前の会社、明日休みだろ? もっと飲めよ、な?」

顔を上げると先ほどとは打って変わってにこやかな表情を見せ、隆行がビールを勧めてくる。

戸惑いながらもこれ以上嫌なムードにしたくなくて、晶は隆行に勧められるがままにビールを飲み干した。

だが普段酒を飲むことがあまりない晶は、たった一杯のビールで眩暈を感じる。

「ビールは苦手か?」

「うん・・・、あまり飲める方じゃないんだ。 悪いけど酒はもう」

「女将、冷酒をくれないか。 この間出してくれたやつ」

すでに酔いがまわり始めたせいかどこかぼんやりとした晶に隆行はにこにこと嬉しそうな顔をして酒を勧めてくる。

そんな隆行にもう飲めないとは言えず、出された冷酒を舐めるように口にした晶の火照った頬を軽く指で突付き隆行はからかうような笑みを浮かべた。

「顔赤くなってるな。 酔っ払っても家までちゃんと連れてってやるから安心しろ」

さらさらとした水のような口当たりと舌に広がる甘味のせいか、晶は自分が思っているより冷酒を飲んでいることに気付いていなかった。

少しずつ意識が遠のいていき、隆行の声にも答えているのかいないのかもよく分からなくなってくる。

顔が熱くて、吐く息も熱い。

徐々に下がってくる瞼と戦いながら隆行を見やると、そんな晶の様を酷く冷たい眼差しで見つめていた。

「関・・・口? ごめ・・・俺、ちゃんと喋ってる?」

「ああ、大丈夫だ。 お前は俺の質問にちゃんと答えてくれたよ」

なぜか吐き捨てるようにそう答えた隆行に戸惑い、瞳を揺らすとチッと舌を打ち鳴らされた。

「関口・・・?」

頭がふらふらして、椅子に座っているのになんだか揺れているような気がする。

酔っているのだろうが、自分ではよく分からない。

今すぐにでも眠ってしまいたいがそれを何とか堪えて、晶は隆行の顔を見つめて首を傾げた。

「俺・・・、なんか変なこと言った? ごめん・・・なんか、フラフラする」

深い息を漏らした晶に隆行がぐっと口を引き締める。

そろそろ帰った方がよさそうな気がして、そう告げようとすると先に椅子から立ち上がった隆行が腕を掴み、支えるようにして立ち上がらせてくれた。

「ありがと・・・」

足元も覚束ない晶を抱きとめ、支えながら隆行が支払いを済ませる。

そして抱えるようにして店の外に出るとすぐタクシーを捕まえその中に晶を押し込めた。

「関口・・・」

タクシーの中から今日のお礼を言おうと立っている隆行を見上げると、さっとタクシーの中に乗り込んできたことに晶は軽く眉を寄せた。

「関口?」

「眠たいんだろ、寄りかかってろ」

どうして隆行まで乗り込むのかと聞こうとして、だが隆行は晶の頭を肩口に押し付け運転手に行き先を告げた。

隆行が告げた先は晶のアパートの方向ではない。

酷く瞼が重くふわふわとした酩酊に、そこで晶の意識は途切れていた。




差し込む眩しい光に目が覚めた、だが体が重くてあちこちの付け根が痛む。

それでもサラサラとした感触のシーツに頬を摺り寄せると、再び意識が底へと沈み込んでいく。

どうせ今日は休みだとそのまま眠りにつこうとして、晶はふと違和感を感じた。

1人暮らしの生活をしているため、晶のベッドシーツは一週間前に変えたきりだ。

だから洗い立ての石鹸の匂いなどしないはずなのに、今横たわっているシーツからはいい香りがした。

眉を顰め眩しさに何度も瞬きをして目を開くと、目の前に広がる室内の様子に一気に眠気が吹き飛んだ。

「え・・・?」

晶の部屋は狭い1Kでベッドの前にはすぐにテーブルと
ソファがある。

だがここは広いフローリングにどんとベッドだけが置いてあり、白いカーテンがなびく窓際には大きな観葉植物があった。

「晶・・・、起きたのか?」

不意に後ろから声を掛けられ、ぎょっとして振り返るとそこには昨日再会したばかりの隆行の姿があった。

「っ・・・」

上半身は裸で、腰から下はシーツに覆われているが多分下着さえつけていないのが分かる。

起きたばかりなのか大きく身体を伸ばし、そして身体を横向きにして頬杖をつき呆然としている晶に微笑みかけてきた。

「関口・・・?」

「昨日の夜は名前で呼んでくれたのに、起きたらそれか?」

くっと笑い、上半身を起こしている晶へと手を伸ばし平らな胸元を撫でた。

「え? ちょっと待ってくれ、なんで?」

気付けば晶も裸で、下にも何も着ていない。

慌ててシーツを引き寄せ下半身を覆うと、隆行は器用に片眉を上げて皮肉げな笑みを見せた。

「覚えていないのか? お前が抱いてくれと言ったんだ」

「俺が!? まさかそんなはずっ」

「覚えていないのに断言できるか?」

覚えてはいない。

昨日酔っ払ってタクシーに乗り込んだまでは分かるが、その後の記憶はぷっつりとなくなっていた。

そして経験したことのある鈍い痛みを腰と足の付け根に感じた。

「まさか・・・嘘だろ・・・」

青褪め呆然と呟いた晶に隆行がどこか馬鹿にしたように鼻を鳴らし、再び手を伸ばしてくる。

「関口っ」

晶の腕を掴みベッドに押し倒すと隆行はその上に覆いかぶさり、下から不安げに見上げてくる表情に目を細めた。

「隆行、だ。 昨夜みたいにそう呼べよ・・・晶」

「覚えてない・・・。 何も覚えてないんだ、だから」

一体何がどうなっているのか全く理解できず、動揺を隠せない晶に隆行は顔を歪め鋭い眼差しを見せた。

「お前、男との経験があるんだな。 俺に抱かれながら男の名前を呼んでたぞ」

「な・・・に言って」

「驚いたよ、高校の時はどこか禁欲的なイメージがあったからな。 あんな風に自分からねだって腰を揺らすような淫乱だったとはね」

「ッ・・・」

隆行がこんな言葉を吐くなんて、誰が想像出来るだろう。

高校の時の隆行は誰にも公平で、差別的な言葉を口にするような人間ではなかった。

そして例え頼まれても男を抱くような人間でもないはずだった。

お互い酔っていたからだと自分に言い聞かせても、何も覚えていない晶は冷たく見据える隆行に対し何も答えることは出来なかった。

「前の男のことが忘れられないんだろ? 寂しいなら、俺が抱いてやるよ」

青褪め身体を小刻みに震わせる晶に向かって、隆行は傲慢にそう言い放った。

その口調は、決して晶に否と言わせぬ強い響きを伴っていた。





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