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勿忘草
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「久しぶりだな・・・・・・・」

あいつはそう言って、あの頃と変わらぬ笑顔を俺に見せた。




勿 忘 草




忘れられない奴がいる。

それは常に頭の中に居座っているわけではなく、ふとした瞬間に懐かしさと切なさを胸に去来させる。

高校を卒業してから既に10年以上の年月が過ぎ去っているというのに、いまだに忘れない自分のしつこさに呆れながらも記憶の中のあいつが色褪せることはない。

防具を着込み竹刀を手に凛と立つ佇まいも。

面を脱いで汗ばんだ手拭を外す仕草も。

グラウンドを走りこむ姿も、鮮明に覚えている。

がっしりとした大きな体つきも、長い手足も、陽に焼けた素肌も覚えている。

そして同性だと言うのにあいつをいつも探して見つめてしまう自分が怖くて、必要以上に接することが出来ないままに卒業した。

もう2度と会うこともないだろうと、そう思っていたのに。

あいつは、再び俺の前に現れた。

あの頃と、全く変わらない姿で。





「久しぶりだな」

広告代理店の営業マンとして働く久山晶が、上司の指示で初めて出向いた化粧品会社の担当として現れたのは、忘れたくても忘れられなかった高校時代の同級生。

応接室に通され、少し緊張して入ってきた晶に関口隆行は一瞬目を瞠り、だがすぐにあの頃と変わらぬ笑顔を見せた。

「関、口・・・?」

「驚いたよ、受付から名刺を受け取っていたがまさか本人だとはね。 元気だったか?」

呆然としている晶に座るよう促し、自身も向かい合ったソファに腰を降ろし隆行はスーツの内ポケットから一枚名刺を取り出して晶に差し出した。

「変わらないな。 久山」

昔を懐かしむように隆行が目を細めた。

それは隆行の昔からの癖で、晶の胸にも懐かしさが込み上げてくる。

引き締まった大きな身体も、健康的に焼けた肌の色も変わっていない。

そして晶が好きだった切れ長の瞳と深い闇色の髪も。

変わったのはあの頃より少し痩せてより精悍さを増した顔くらいだった。

「関口も、変わらないね。 まさか卒業してから10年も経ってるのに会えるとは思わなかったよ。 それに、係長って・・・すごいね」

隆行から渡された名刺を見下ろし、晶は感嘆の溜息を漏らす。

微かに震えている手を隠すようにテーブルの下にやって、そんな自分に苦い笑みが零れた。

高校の時も隆行は優秀だった。

一生懸命勉強しても中の中くらいでしかなかった晶にとって、勉強している姿など見たこともないのに常に上位にいる隆行は憧れの存在で、あんな風になりたいとそう何度も思ったものだ。

剣道部の主将も務め、頭も良くていつも周囲に人が集まっている隆行の存在は眩しく、憧れていたのは晶1人ではない。

しっかりしていて正義感も強く、誰からも慕われていた。

だがその憧れがいつしか恋慕に変わってしまってからは、なるべく隆行を見ないように気をつけていた。

女生徒から絶大な人気を集め、告白されるなんて日常茶飯事だった隆行に男の自分がいくら想いを寄せてもどうしようもないと分かっていたから、好きだと気付いてからは傍に寄ることも、話しかけることさえ出来ないまま高校を卒業してしまった。

そのうち忘れられると思っていた、だがこれでは忘れることなどできない。

今更再会したところで、どうなるというのか。

何故今更、目の前に現れるのだろう。

上司から指示を受け、こちらからアポイントを取ってこの場を設けたというのに晶はそう思って小さく溜息を漏らした。

「お前相変わらず細いな。 ちゃんと食べてるのか?」

社会人になって既に6年近く経つというのに、いまだにスーツに着られいるように見える晶の姿に隆行が苦笑し、そして思いついたように身を乗り出した。

「今日暇か? 久しぶりに会ったんだ、飯食いに行こう」

ぐっと近づいたその精悍な顔立ちに思わず顔が赤らむのを感じて、晶は目を彷徨わせる。

突然の再会にまだ戸惑っている晶を他所に、隆行は楽しげにまた目を細めた。

だが仕事以外で顔を合わせていると、いまだ忘れられないあの頃の想いが再燃しそうな気がする。

それは晶にとっても隆行にとっても歓迎できるものではない。

隆行がノーマルなのは高校時代に嫌というほど思い知らされている。

断わろうと思い口を開いた晶は、だが隆行が書いて渡してきたメモに気を取られ思わず言葉を飲み込んだ。

「携帯の番号だ。 仕事が終わったら連絡してくれ」

「え・・・。 関口、あの」

「その時仕事の話もしよう、悪いがこれから会議なんだ。 じゃ、後で」

言うだけ言うと立ち上がった隆行にもう断わる事も出来ず晶は曖昧に頷き、相変わらず強引だと苦笑を漏らした。

嫌味なく人を引っ張る力があった隆行は常にクラスでも中心にいた。

そんな隆行を晶はいつも遠くから見つめるしか出来なかったのに、何の運命の悪戯かあれから10年も経って再会し、そして隆行は晶と食事がしたいと言う。

あの頃は傍に行くことすら出来なかったのに、あと数時間もすれば隆行と2人で会える。

それが怖くもあり、そして嬉しくもあった。

「喜んじゃ駄目だ・・・。 関口はただ懐かしくて言ってくれているだけなんだから」

誰もいなくなった応接室で隆行から貰った名刺を見つめ、晶は自分を戒めるように小さく呟いた。



一度会社に戻り、落ち着かないまま仕事をこなす晶は凡ミスが目立ち先輩や上司から具合が悪いのなら早退しろと促されるほどだった。

当然具合が悪いのではない、ただ隆行と会えると思うだけで緊張してうまく頭が回らない。

気が付けば10年ぶりに再会した隆行の姿と、思い出の中にある隆行を思い浮かべてしまい、どうしようもなく胸が高鳴る。

あの頃、隆行のことが好きだと気付いて初めて晶は自分が異性ではなく、同性を恋愛対象として見てしまう人間なのだと知った。

テレビを見ていても皆が可愛いと騒いでいるアイドルよりも女子が格好いいと言っている俳優ばかりに目がいっていたし、自慰をした時思い浮かべたのは隆行の汗ばんだ素肌だった。

自己嫌悪に陥りながらもどうしても女性には関心が持てず、高校時代は隆行のことばかりを考えて過ごした。

元々線が細く物静かなタイプの晶は女性から男としてではなく、弟のようにしか扱われなかったから当然告白などされることもなく、彼女が出来ることもなかった。

そして高校を卒業し、大学に進むと同じサークルにいた先輩に誘われ、初めて男同士のセックスを経験した。

晶の細く柔らかな茶色の髪と同じ色の瞳が彼のお気に入りで、一目惚れだと言ってくれた。

そんな風に言ってくれる人は初めてで、彼を好きになれたらいいと思っていた。

好きになれると、思っていたんだ。

優しくて頼りがいのあるその人とは、彼が大学を卒業するまでの3年間続いた。

大学を卒業しても続けたいと言っていた彼と別れたのは、晶がどうしても隆行のことを忘れられななかったからだ。

好きだと言われる度、そして抱かれる度にこれが隆行だったらと考えてしまい、彼に対する罪悪感で耐えられなくなったのだ。

自分がこんな人間だと知ったら、隆行はどう思うだろう。

気持ち悪いと思うだろうか。

それともあいつなら、そんなこと関係ないと笑ってくれるかもしれない。

自分に関係なければと、嫌悪を露にすることはないだろう。

だが晶が好きなのが自分だと知ったら、きっと隆行は晶を避ける。

近寄るなとはっきりとは言わないだろうが、2度と笑顔を向けてくれることはないだろう。

気付かれないようにしなければいけない、もしも隆行の会社の仕事を取れてこれからも付き合わなければならないのならば、この気持ちは絶対に隆行にばれないようにしなければならない。

嫌われるのだけは、絶対に嫌だ・・・。

「何1人でぶつぶつ言ってるんだ。 お前今日変」

不意に頭を軽く叩かれ、驚いて振り返ると同期入社の吉川が怪訝そうな顔をして顔を覗き込んできた。

バラバラに配属された同期の中で唯一営業部に一緒に配属され、今では親友と呼べる間柄かもしれない吉川は営業から戻ってきてからというものどこかぼんやりとしている晶を心配してくれたのだろう。

手には入れたばかりの熱いコーヒーが握られていて、それを晶のデスクに置くと吉川は何があったと聞くように片眉を上げた。

「なんでもないよ。 大丈夫」

ざわざわとしている営業のフロアで耳を寄せてくる吉川に笑ってそう答え、気持ちを引き締めようと大きく息を吸い込み吐き出した。

「課長が心配してたぞ、戻ってくるなりコピー用紙をばら撒くわ壁にぶつかるわで。 何かあったのかって俺が聞かれた」

笑いながら晶の髪をぐしゃぐしゃと掻きまわし、吉川は自分のデスクへと戻っていった。

何をしていても隆行のことばかりが頭に浮かんで失敗ばかりしている。

これではいけないと吉川が持ってきてくれた熱いコーヒーを口にして、気持ちを入れ替え晶は立ち上げたままのパソコンに向かい明日までに提出しなければならない報告書を開いた。

それからは何とか仕事に集中することができ、定時にはパソコンの電源を落とすことが出来た。

明日提出する報告書や今後の営業スケジュールを確認し、タイムカードを押して腕時計を見るとまだ時刻は6時半を過ぎた頃だった。

たまたま今日はノー残業デーだったからいいものの、普段ならばこんなに早く仕事が終えることはない。

同僚と挨拶を交わしながらフロアを出ると、晶は緊張した面持ちで携帯を取り出しごくりと唾を飲み込んだ。

すでに隆行の番号は登録してある。

電話帳から隆行の番号を呼び出し、通話ボタンを押そうとすると知らず指先が震えた。

何度も深呼吸を繰り返し、通話ボタンに指を持っていくがなかなか押す事が出来ない。

仕事の話もしようと言っていたのだから、別に緊張することなどないはずなのに心臓が鼓動を速め、じわりと手のひらに汗が浮かぶ。

廊下の壁にもたれかかり、じっと携帯を見下ろし唇を噛み締める。

あれからもう10年も経っているのに、相変わらず女々しく情けない自分に苛々した。

せっかく再会して一緒に食事をしようと誘ってくれた隆行の好意を厭らしい自分の気持ちで捻じ曲げたくはない。

これからもまた会う機会が増えるのなら、せめて友達として隆行に認められたい。

そしていつか、隆行を好きな気持ちごといい思い出になったらいい。

また大きく深呼吸を繰り返し、晶は覚悟を決めると指先に力を込めて通話ボタンを強く押した。





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