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蜘蛛の巣
2



「今日昼休み、課長と食堂にいただろ。」

二人そろって会社に入社して早くも半年が過ぎていた。

明日から土日休みだという金曜日の夜、いつものように修司が和哉の部屋にきた。

和哉の部屋には修司の荷物がかなり置いてある。

スーツはもちろんのこと、普段着からパジャマまであ
った。

学生の頃からそうしてきたから、今ではそれが当たり前になっている。

会社帰りのスーツ姿のまま部屋に来ては和哉の作った夕飯を共に食べ、それから二人でテレビやビデオを見ながら酒を楽しむ。

それがここ数年の二人の週末の過ごし方だった。

修司のような男前が週末を一緒に過ごす女に不自由しているとは思えない。

疑問に思わないでもなかったが、それを聞くと嫌な顔をするから和哉は何も聞かない。

修司を怒らせるのは得策ではない。

普段は穏やかで柔らかな男だが、怒ると多少手がつけられなくなるのだ。

大学の時、何度か修司がキレて相手に怪我を負わせたことがある。

理由は知らないが、この男がそんなにも怒るくらいなのだ、なにか理由があったのだろうと和哉は思っている。

「ああ、今日は愛妻弁当がないとかで一緒になったんだ。お前今日は会社に戻らないんじゃなかったか?」

海外事業部に勤務する修司は経理部に勤める和哉より数倍も忙しい。

やれ会議だ出張だと慌しく飛び回っている。

当然まだ新人だからそうそう時間の自由もない。

「ちょうど時間が空いたからお前と飯食おうと思って戻ったんだ。」

「だったら声かけてくれたらいいのに。」

テレビでは今話題の若手お笑い芸人がどこで笑ったらいいのかよく分からない芸を披露している。

座椅子に背中を凭れさせて和哉は持っていたビールをぐっとあおった。
「いや・・・、お前が誰かと一緒にいるの、入社して初めて見たなと思ってな・・・・。邪魔しちゃ悪いし。」

煙草の煙を吐き出しながら修司はつまらなさそうにそう呟く。

「ははっ・・・・、俺だってもう入社して半年になるんだよ?最初は馴染めなかったけど今は仲良くしてくれてる人くらいいるし。」

人見知りが激しくて引っ込み思案な性格の和哉はなかなか誰かと仲良くなれない。

それを修司が心配してくれているのだろうと和哉は嬉しくなり、修司の顔を覗き込んだ。

「仲良くしてくれる人が、出来たのか?」

「うん! 2年先輩の滝山さんとか、あと同期の河野さん!」

照れくさそうに笑う和哉に修司の顔がかすかに曇る。

「へぇ・・・・。」

修司はただそう答え、飲み干したビールの缶をぐしゃりと潰した。

その勢いに和哉が一瞬驚いて身を引くと、修司はハッとしたように笑顔を見せ、顔色を窺う和哉の頭をぽんとたたいた。

「そうか・・・、お前人見知りが激しいから上手くやれてないんじゃないかってこれでも心配してたんだぞ。」

人が苦手、そう言ってしまえばそれまでだが、和哉は軽い対人恐怖症がある。

幼少期に両親が離婚、父親が引き取ってはくれたがすぐに再婚相手である今の義母に虐待を受けて育った和哉は人の顔色を窺う癖がついていた。

実の母親譲りの切れ長の二重は悪くすると冷たくさえ見え、それが和哉の第一印象を作り出していた。

物静かで周囲に関心を持たない冷たい奴。

だが本当は寂しがり屋ですぐに泣く弱い人間なのだ。

人見知りが激しいせいですぐに笑った顔を人に見せられない和哉は無愛想に見られがちで、それで今までかなり損をしてきたと自分でも思う。

それを知っているのは両親以外ではこの親友くらいのものだろう。

「ありがと・・・・、修司に心配かけないように俺頑張るから!あんまり修司にばっかり頼ってても駄目だしさ、もっとしっかりしないとね。」

勝手知ったるなんとやらで冷蔵庫から新しいビールを取り出している修司の背中に声をかけ、和哉は少し温くなったビールに口をつけた。

「修司のお陰で少し人見知りも克服できたし、社会人になったんだからもっと人と馴染んでいかないとね。」

その時修司がどんな顔をしているかなど和哉に分かるはずもなかった。




月曜日、いつものように出社すると掲示板に季節外れの辞令が張られていた。

人だかりが出来ている掲示板を何気なく見て、和哉は思わず声を上げていた。

「なんで・・・・? 滝山さんと河野さんが、工場勤務って・・・・どうゆうこと・・・・・?」

経理部の中でも親しくしてくれている二人に降りた突然の辞令に和哉は呆然と掲示板を見つめた。

目をこらして何度見直しても辞令の内容が変わるわけもない。

「これって、左遷よね・・・・?」

「何しでかしたのかしら、この二人。」

ヒソヒソと社員達が顔を寄せ合って噂話をしているのが遠くに聞こえる。

せっかく仲良くなれたのに、いなくなってしまうのがたまらなく寂しく思えて、和哉は経理部へと急いだ。

扉を開けて中に入ると、室内は暗い雰囲気に包まれていた。

「滝山さん・・・・、河野さん・・・・。」

目に見えて項垂れた二人になんと声をかけていいか分からない。

滝山は時期経理部主任の呼び声も高かったし、河野は和哉と同期で入社したばかりだ。

そんな二人への突然の辞令に経理部全体がどこか呆然としているように思えた。

中には涙ぐんでいる女子社員もいる。

課長は下された辞令に納得いかないと人事に掛け合っているらしいが、辞令が覆されることなないだろう。

正社員が工場に転勤になるのは、所謂左遷だった。

仕事で失敗した人間や、リストラ対象の人間が送られる僻地。

だがまだ若く前途ある二人がリストラの対象になるはずはない、それに二人ともそんな大きな失敗などしていない。

「滝山さん・・・・・。」

溌剌とした以前の顔色は失せ、胡乱な眼差しで和哉を振り返り、滝山は薄く笑った。

「なんとかまた戻ってこれるように、頑張るさ・・・・。」

そんなことは有り得ないと自分でも分かっているのだろう、滝山はそう言いながら悔しそうに唇を噛みしめた。

かける言葉も思いつかないまま和哉は滝山と河野を見送った。

二人が去ってからもどこか釈然としないもやもやとした感情が和哉の中に残り、それは多分経理部全員も同じだっただろう。

だが所詮社員は会社の一歯車でしかないと皆分かっている。

下手に抗議して火の粉を浴びたいとは誰も思いはしない。

それは人事に掛け合った課長も同じで、素気無く返答された後はもう口を開かなかった。




『大丈夫か? 今日は残業もないから終わったら部屋に行く。』

昼過ぎに携帯に送られてきた修司からのメールを見て、和哉は顔を綻ばせた。

滝山と河野が左遷されたことを聞いたのだろう、心配してそう言ってくれる親友に胸が温かくなる。

だけどもう社会人だというのに、親友だからといっていつまでも修司に頼ってばかりでいいのだろうかとふと思う。

親しくしていた人がいなくなっただけで落ち込み、慰めてもらうのは社会人として如何なものかと。

修司もいつまでも自分のお守りばかりしていられないだろう。

いつかは相手を見つけて結婚して、家庭を築く。

いつまでも和哉ばかりに構ってもいられなくなる日が来る。

少し強くなっていかなければいけないと思うのに、つい修司の優しさに甘えて頼ってしまう。

大学にいた四年の間にそれは深く和哉の中に染み込んでしまっていて、修司と出会う前の自分がうまく思い出せない。

出会う前は、一人でもなんとかやってこれたというのに。

親しい友人はいなくとも、顔を合わせれば話をするく
らいの友人は確かいた筈だ。

「そういえば、いつのまにか誰かと顔を合わせても話すらしなくなってた・・・・。」

たまにあった遊びの誘いさえなくなり、和哉が遊ぶのも何をするのも修司と一緒だった。

他の人間が必要なかった、悩みがあれば修司が聞いてくれたし、行きたいところがあれば修司が連れていってくれた。

いつのまにか修司に依存しきっていた自分に気づき、和哉は愕然とした。

「どうしたの? 佐伯くん。」

並んで隣の席に座る女子社員が顔色の悪い和哉を訝しがってそう声をかけてきたが、和哉は答えられず曖昧に笑って誤魔化した。





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