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恋だとか愛だとか
第3話



朝まで寝ずに看病してくれた小野寺のお蔭か、昇の風邪はすぐに治った。
看病してくれたからというわけでもないが、昇はそれ以来小野寺を邪険にすることが上手く出来ずにいる。
本気で惚れられていると自惚れることは出来ないが、一緒に居てもいいかと思えているのだ。
小野寺はいつも優しい、そしてどんな理由であれ昇は大事にされていると分かる。
出来すぎた男だと僻みにも似た感情を抱いてしまうこともあるが、傍にいるのは居心地が良かった。
さり気無く気配りされ、欲しいと思って手を伸ばす前に与えられ、これで居心地が悪いと思う奴はいないだろう。
いまだ口説き文句を囁かれる度にお尻がもぞもぞとする感覚はあるが、それにもだいぶ慣れた。
そして今日、小野寺が昇の為に用意してくれたチケットで念願のライブに一緒に出かけた。
それなりに大きなライブハウス、熱気に包まれた場内に昇のテンションも上がってしまう。
だが小野寺のスーツ姿はやはりこの場では浮いていて、それがまた可笑しくて笑ってしまった。
異常な盛り上がりを見せたライブも2時間ほどで終わりをむかえ、興奮冷めやらぬ昇は隣にいる小野寺を見やり苦笑を漏らす。
ライブハウスの中は観客の熱気でかなり熱い、スーツをきっちり着込んだ小野寺でも少しは額に汗を浮かべているかと思いきや、男は涼しげな顔をただ歪ませているだけで変わりない。
この男は熱くなることがあるのだろうか。
だいたい一緒に行かなくてもいいのではと昇は小野寺に言ったのだ。
小野寺には楽しくないだろうからと。
だが小野寺は昇が楽しそうにしているのが見られるならと言って聞かなかった。
「大丈夫か? なんか少し疲れてんじゃん」
大勢が詰め掛けたライブで、人と人がぶつかりあうのは仕方がない。
だから小野寺のスーツも人にもまれて、少しくたびれている。
「ブランドスーツがぐしゃぐしゃだな。 帰ろっか」
まだまだライブハウスの中は興奮に包まれていて、話をするにも大きな声を出さないといけなかった。
昇は小野寺の手を掴み、人の波を掻き分けながら外へと進んだ。
外に出ると酷く空気が新鮮な気がする。
大きく息を吸い込み、吐き出すと澱んだものが内側から外へと流れ出ているような気がした。
「楽しかったですか?」
小野寺も同じように深く息を吐き出し、背伸びをしている昇に微笑みかけた。
「すっげーーーーー楽しかった! もう最高! ありがとな、俺このライブ絶対来たかったんだ」
全身で喜びを表す昇に小野寺は目を細め笑みを深めた。
「けどあんたにはつまらなかっただろ?」
「いいえ、楽しかったですよ。 私は君ばかり見てましたけどね」
さりげなくそう言った小野寺にぐっと咽喉を詰まらせ、昇は聞こえなかったふりをして歩き出す。
だいぶは慣れたが、やはり甘い台詞は昇には恥ずかしくてどうしても小野寺の顔が見れなくなる。
「少し車を走らせましょうか。 まだ帰らなくてもいいでしょう?」
「ん? ああ、いいけど・・・・・」
小野寺は気恥ずかしさに渋る昇を車に乗せ、夜の街へと走らせた。




音楽を流さない静まり返った車内は気詰まりしてしまう、そう以前話したことを覚えていたのか小野寺の車には前はなかったCDが数枚置かれていた。
しかもそれらは全て昇が好きな洋楽や、好きな邦楽ばかりだ。
「これ、わざわざ買ったわけ? あんたが? CDショップに行って?」
「ああ、それは部下に買いにいかせました。 若い人のほうが詳しいですからね」
「あんただってまだ若いじゃん。 いつもはどんなの聴いてんの? 家とかでは」
「ほとんど・・・・クラシックですね。 母親がピアノの先生をしていたんですよ、その影響で子供の時からクラシックばかり聴いていました。」
小野寺らしい趣味に思わず口元が綻んでしまう。
この顔でヒップホップを聴くと言われたら爆笑ものだ。
反対に昇はクラシックは全く聴かない、というか聴いていたら多分寝てしまうだろう。
音楽の授業などはいつもいい睡眠時間だった。
「どんなの? クラシックって言っても色々あるんじゃないの」
「そうですね・・・・。 最近はブラームスやコルンゴルトをよく聴きます」
「へぇ・・・・・」
高校の音楽の授業で習ったことがあるかもしれないが、全く分からず昇はぼんやりと相槌を打ち、小野寺に苦笑された。
もしこの場でその音楽を流されたら確実に寝てしまう。
子守唄には丁度いいだろうが、自分から聴きたいとは思わない。
小野寺も昇が聴くような音楽を聴いても、楽しいとは思わないだろうにライブについてきたり、CDを買い揃えたり意味が分からない。
だが本人がそうしたいというのだから、どうしようもない。
「なあ、どこ行ってんの?」
ふと窓の外を見れば、景色は都心から離れていっている。
小野寺を見やると、にこりと微笑まれた。
「せっかくですから、少しドライブしましょう、連れて行きたい場所があるんですよ。 私のとっておきの場所です」
それだけ言うと、あとは内緒と口を閉ざし小野寺は運転に集中する。
そして車が到着したのは、初めて出会った時に連れ込まれたのと同じような隠れ家的な一軒の店だった。
外見からはそこが何の店なのか分からない、看板もない。
木造の一軒屋のような風情だが、誰かの家のような生活観もなかった。
ガタガタとなる扉を開き中に入ると、暗い店内に昇は目を凝らした。
広い店内には壁一面の大きな窓際にいくつかの2人掛けのソファが離れて並び、照明でライトアップされた庭を眺めながら酒が飲めるように作られているのだろう。
だから店内は広いのに、客数はそんなに入らない。
小野寺と昇が入ると、ボーイがにこやかに出迎えた。
「いらっしゃいませ、小野寺様」
24.5歳のボーイは小野寺と昇をソファに案内し、ドリンクの注文を聞くと下がっていった。
「ここ何? 看板ないのに客来るの? ・・・いお店だけどさ」
雰囲気はかなりいい、落ち着いていて居心地がいいように計算された店内はそれなりに金がかかっていそうだ。
「私の会社がオーナーを勤めるお店ですよ。 知る人ぞ知る・・・・といったところでしょうか」
「へー、こうゆうのもやっているんだ。 変な店ばっかりじゃないんだな」
初めて知り合ったのが小野寺の会社が経営する風俗店の前だったこともあり、昇はヤクザというのはそうした店ばかりを持っているのかと思っていた。
だがどうやら違うらしい。
小野寺は感心している昇に苦笑して。
「変な店・・・ですか。 では昇くんはああした店にはあまり興味がないのですか? 行ったことは?」
「1回だけ、サークルの先輩に連れて行かれたけど」
連れて行かれたのはいわゆる、お酒を飲みながらお触りも出来る飲み屋だった。
キャバクラというのかパブというのかそこらへんの違いは昇には分からないが。
「そうですか、行ったことがあるのですね。 また行きたいですか?」
咽喉が渇いていたせいかボーイが運んできたビールをごくごくと飲み干した昇は、一気に酒が回るのを感じながら首を横に振る。
ライブの興奮がまだ醒めていないのか、酒のせいか昇は小野寺の顔つきが変わっていることに全く気付けない。
「あんまり面白いとは思わなかったな、女の子が積極的過ぎて興ざめしちまう。 俺は大人しくておしとやかな子が好きだし」
触って触ってと身体をすり寄せてくる彼女達には少々辟易し、酔った先輩を残して昇は先に帰った。
女の子達は確かに世間一般で見れば可愛い子が多かったが、身体を見せることにも触られることにも躊躇しない女に昇は色気を感じない。
「そうですね、もうそうしたお店には行かない方がいいですよ」
自分の会社でも経営しているというのにそう言う小野寺がなんだか可笑しくて、笑いかけるとすっと目を細められた。
「何・・・・?」
「いえ、君がもしまた行きたいなどと言ったら、どうしてやろうかと思っていましたけど。 行かないのなら許してあげます」
小野寺は車があるくせにスコッチウイスキーのロックを飲み干し、口元を歪ませた。
その表情は店内の照明によって酷く色気を漂わせているように見えて、昇は知らず顔を赤らめた。
いい男はどんな表情をしても様になるもんだ、などと思考をずらし昇も負けじとビールを煽る。
「どうしてやろうって、何をどうすんだよ。 それにあんたに許しを得なきゃいけないわけじゃないだろ。 先輩なんかと飲んでたらそうゆう店に引っ張り込まれるのはしょうがないんだ。 嫌でもさ」
なんだか話がおかしな方へ向っているような気がしたが、酔いが回った頭はうまく機能しない。
「ではこれからも行くことがあるかもしれないと? 性欲を処理したいだけなら私がいくらでも抜いてあげますよ。 他に触らせるのは、絶対に許さない」
「っ・・・・・何言ってんだよ! あんた頭おかしいんじゃねぇ? 俺らが行くのはお触りパブぐらいのもんだ! そんなぬ・・・・ぬ・・・抜くとかじゃねえよっ」
思わず口にしていたビールを吹き出し、咳き込みながら昇は顔を真っ赤にしてそう怒鳴りつけた。
最後の方は周囲に聞こえないようにかなり小さくなってしまったが。
だが小野寺は昇が顔を赤くして怒っているというのに、平然としたまま見据える。
「それでは、溜まった時はどうしているんですか? 今恋人はいませんでしたよね」
「たっ・・・、って・・・はあ? んなことわざわざ聞くなよ!」
話にならないとそっぽを向き、不貞腐れたままビールを飲み続ける昇の横顔をじっと見つめ、小野寺は諦めたように小さく息を吐いた。
「すみません、ついカッとなってしまって・・・・。 不快な思いをさせてしまいましたね?」
冷たい指先が、そっと赤らんだ昇の頬を一瞬だけなぞる。
ゾクリとした何かが背筋を走り、昇はキッと小野寺を睨みつけた。
「触るくらい、許して下さい。 いきなり襲い掛かったりはしませんから」
顔を怒りと酔いで赤らめ、目は潤んでいることにも気付かず昇は更に小野寺を睨み付ける。
威嚇しているつもりだが、周りから見ればまるで誘っているように見えた。
「君が好きです。 ですから女と遊べる店に行かれるのは阻止したい、本当はずっとこうして君を見ていたいほどなんですよ。 知らないところで他の人間に手を出されるなんて考えただけでも腹立たしい」
静かな音楽が流れ、なんともいえない雰囲気の店内でこうした台詞を言うのは卑怯だ。
つい・・・・・流されてしまいそうになる。
そして己の魅力を知っている小野寺が醸し出す甘い雰囲気に、苛々した。
他の男や、女にも同じ事をどうせ言っているのだろう。
プロの女でさえ、小野寺にかかれば落とすことなどきっと造作ない。
「あんただって、どうせ銀座のクラブとかにでも行って横に女侍らせてんだろ。 同じじゃねえか」
「私の場合は仕事で行っているだけです。 接待したりされたりですよ」
「俺だって同じだ。 学生にも付き合いってもんがあんだよ」
どうにかして昇にもうそうした店には行かないと言わせたいのだろう、小野寺は眉を顰め考え込むようにグラスを傾けた。
そしてしばらくお互いに無言が続き、折れたのはやはりと言うか小野寺だった。
「分かりました・・・・・。 どうしても行きたいのならば、止めません。 私にはその権利はありませんから。 しつこく言ってすみません」
微笑を浮かべ、小野寺は昇の顔を覗き込んだ。
その顔に先ほどまでの険はない。
止めないと言われるとなんだか寂しいような気もしたが、行かないとはやはり言い切れなくて昇は小さく頷いた。
どうしたって大学の先輩に誘われたら行くことになる。
「あー、うん。 俺も、ごめん・・・って、謝ることじゃないか・・・・」
付き合っているわけでもない、小野寺に義理立てする理由などないのだから昇が謝る必要はない。
だというのに、酷く罪悪感に駆られるのは何故だろう。
だがそれから小野寺はそのことに一切触れず、昇を楽しませるように色々な話をしてくれた。
結局その店に2時間はいただろうか、出た時には真夜中を過ぎていた。




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