不可解な熱
7
家に帰りたくない。
加賀谷の顔を見るのが怖い。
一緒に住み始めてこんな風に思ったのは初めてかもしれない。
大好きで、大切で、その気持ちに今も変わりはないのにもしも加賀谷から蔑んだ目で見られたらと思うと自宅への足取りが重たくなる。
どうしてあんなことをしたんだと問い詰められたら、そう思うと怖くて溜まらない。
どうしても加賀谷には嫌われたくない、呆れられたくない。
そして何より、どう説明しても信じてもらえないのではという恐怖が諒を怯えさせる。
江口が加賀谷を見上げる甘えた表情がはっきりと諒の視界に過ぎる。
江口を邪険にすることもなく仕事を教えていく加賀谷のすっと伸びた背筋。
二人が寄り添う姿は酷く自然で、以前の諒ならばただ羨んでいただろう。
だが今は違う。
二人を引き離して、加賀谷に自分を見て欲しいとこんなにも願っている自分がいる。
触らないで、見ないで。
江口にそう今にも怒鳴りつけてしまいそうな激情が諒の中にも存在する。
人間とは欲張りな生き物だ。
初めは見詰めているだけで満足だった、そして触れ合えるだけで幸せになった。
だけどどんどん欲は膨らみ、自分だけを見て欲しいと、誰の事も見ないで欲しいと望むようになった。
こんな自分はきっと醜い。
嫌われたくなくて言わないだけ、本当は何度もそう言いたかった。
僕だけを愛して。
部屋の前まで来て鍵を取り出し、しばらくじっと手のひらにある鍵を見詰める。
二人で暮らそうと決めた時絶対に手放さないと決めた鍵。
何があっても加賀谷とならば大丈夫だと、乗り越えていけると信じていた。
たった一人の女性が現れただけでこうも脆くなってしまう自分などやはり加賀谷には合わないのかもしれない。
ただ仕事で失敗することなどは問題ではない。
諒がわざと使えない書類を作ったと思われていることが問題なのだ。
そしてそれを加賀谷は信じている。
田村は、状況を見てもいないのに諒を信じてくれた・・・。
「二人を比べちゃうなんて・・・、僕最低だ・・・。」
胸を張っていろ。
田村の言葉が諒の背中を押す。
玄関の扉を開いて中に入るとリビングからテレビの音が聞こえてきた。
直帰していた加賀谷のほうが先に帰宅しているのは珍しいことではない。
だけど今日は出来れば少し一人になりたかったと思ってしまい、そんな風に考えてしまう今の状況に諒は寂しさを感じずにはいられなかった。
「ただいま・・・。」
「・・・・・。」
リビングに入りソファで寛ぐ加賀谷に声を掛けたが、返事がなく諒は入り口で立ち竦んでしまう。
いつもならこちらを振り向いて満面の笑みを見せてくれるのに。
どうしていいか分からずにそのまま立ち竦んだままの諒を振り返ることもなく、加賀谷は手にしていたビールの缶をぐしゃりと潰した。
まだ残っていた中身が溢れて加賀谷の手と床を濡らす。
「加賀谷さ・・・・。」
「帰ってきたのか、もうここには帰ってこないかと思ってた。・・・お前、俺を裏切っているのか?」
潰した缶を床に放り投げ、ゆっくりとした動作でソファから立ち上がる加賀谷はどこかいつもと様子が違っていた。
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