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不可解な熱
3




終わった事、そう思うのは簡単ではなかった。

ただ昔の恋人が目の前に現われただけでこんなにも自分が動揺するとは思わなかった。

しかもその相手が目の覚めるほどの美人で、仕事も出来る女性だなんて。

自分が隣に並ぶよりもきっと絵に描いたようにぴったりと馴染む美男美女。

トイレの鏡に映った自分の顔に深く溜め息を吐いて諒は蛇口から流れる水を止めた。

知らず滲んだ涙を洗い流す為にトイレに駆け込んだ。
そんな自分があまりにも情けなくて嫌になる。

いい加減出ないとそろそろ朝のミーティングが始まる。

今日は派遣社員の面接が詰まっているのだ、いつまでもこんなところでいじけているわけにはいかない。

気を取り直すように両頬を叩いた瞬間トイレのドアが開かれ、そこに覗いた顔に心臓が震えた。

「諒・・・、また一人で何か抱え込んでないか?」

顔を覗き込む加賀谷と目を合わせることが出来ずに黙り込むと、ぎゅっと身体を抱き締められる。

その温かさと加賀谷の心音が諒の強張った体を解かしてくれた。

「俺が好きなのが誰か知っているよな?お前が不安になることは何もない。何も気にしなくていい。分かったな?」

田村から彼女の事を聞いたと知っているのかそう力強く言う加賀谷に何度も頷き、顔を上げた時には気持ちも楽になっていた。

そのまま軽く口付けられ、髪を撫でられると自分が何を不安に思っていたのかも分からなくなってくる。
悩む必要などきっとない。

今加賀谷の傍にいるのは自分なのだから。

そう言い聞かせて諒は加賀谷と共にフロアに戻っていった。





江口朝子ですと透き通った声で彼女が言うと、男性社員が所在無さげにそわそわとしだす。

それに女性社員がふんと鼻で笑うとそわそわしていた男性陣が背筋を伸ばした。

そんな様子に苦笑していると江口の視線がぴたりと諒のところでとまった。

「これからお世話になります、どうぞよろしくお願い致します。」

諒を見詰めたままそう言い、何かを含んだように挨拶を締めくくる江口に諒は消えたはずの不安が咽喉もとまで昇ってくるような気がした。

江口の挨拶が終わると引き継ぐように田村が前に出て、仕事の指示を皆に伝えた。

「江口は加賀谷と同じ対外的な仕事をやってもらう。しばらくは加賀谷と行動を共にしてもらうから、そのつもりで。」

そう田村が告げた言葉が、どこか遠くで聞こえているような感覚がした。

何も不安に思うことなどない。

加賀谷は自分を裏切らない。

ぐっと手を握り締めて顔を上げると、口の端を綺麗に上げて笑う江口が諒をじっと見据えていた。






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あきゅろす。
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