不可解な熱
3
翌日案の定疲れた顔をして出社した高田に、昨夜の情事の匂いがして田村は人知れず顔を歪ませる。
その高田を見たくなくて、田村は一人会議室に篭った。
書類に印を押しながらぼんやりと高田の顔を思い浮かべる。
先程見た顔が、情事に疲れきって淫猥な匂いを漂わせていて、そんな顔をさせられる加賀谷を殺してやりたいと思うのは、相変わらず未練たらしいと思う。
あの時奪わなかったのは自分だ。
今更子供のように駄々をこねるのは田村のプライドが許さない。
だがあれが欲しいと咽喉が渇く。
今まで上手に生きてきて、周囲に崇められ、順風満帆だったはず。
それがたかが冴えない男一人の為に自分の心を抑えているなんて。
自分はこうも情けない男だっただろうか。
「ここに居たんですか、探しましたよ、社長。」
突然開かれた会議室の扉の向こうに加賀谷の姿を見つけて、田村は目を細めた。
「何の用だ、今日も外回りだろう。早く行ってこい。」
「俺が外回りで居ない間に、あれにちょっかいだされるのは気分が悪い。あんたが何をしても、高田は俺から離れたりはしないし、俺もあいつを手放すことはない。以前あんた言ったよな、恋人でもない俺には口出しする権利はないって。でも今俺はあいつの恋人だ、恋人にちょっかい出す男に牽制するのは真っ当な権利だろう。」
高田の事を恋人だと豪語する加賀谷に田村の目が鋭さを増した。
「恋人だと言うなら、恋人の体調を崩すようなセックスしか出来ない子供に、高田がいつまで付き合ってくれるんだろうな。あいつの今朝の顔色をお前はちゃんと見たのか?疲れきった顔色で出社してきて、あんな調子でまともに仕事が出来ると思うか?」
低く唸るように言った言葉に、加賀谷が一瞬声を詰まらせる。
やりすぎた事を加賀谷自信自覚しているのだろう。
「あいつの心配はあんたにしてもらう必要はない、あいつは俺のものだ。」
そう言い残してフロアに戻っていった加賀谷の後姿を見ながら、田村は息を吐き出した。
「恋人か・・・・・。」
今まで恋人だと呼べる存在は田村にはなかった。
不特定多数の女とその時限りの情事を楽しみ、後腐れない女とだけ関係を続けてきた。
だがそれもそろそろ潮時だと田村は書類に目を落とした。
本気で奪うつもりなら、他の女と遊んでいる暇はない。
やるところまでやらなければ、この熱はいつまで経っても冷めないだろう。
人のものだから欲しいのか、それとも高田だから欲しいと思うのか。
そろそろ突き詰めて考える時期なのだろう。
そう田村が考えた時、控えめなノックの音が聞こえた。
このノックの仕方は高田だろうと田村は苦笑を漏らす。
返事をすると静かに扉が開き、そこから小さな高田の顔が覗いた。
「あの・・・・、すみません。加賀谷さんからまた何か言われました?」
「何かって?」
言わんとしていることに気づいていながら、素っ気無く答えると高田が俯き、口をきゅっと窄めた。
「加賀谷さん、勘違いしてて・・・。田村さんは僕を指導してくれているだけなのに。」
ここまで鈍感だと加賀谷もさぞ振り回されていることだろう。
以前好きだといった田村の言葉は、高田の中では消え去っている。
それに苛つく、いくらあの時橋渡しをしたからと言って何事もなかったように振舞う高田に今まで感じたことのない苛立ちを感じた。
「だから・・・、すみません。社長に嫌な思いさせてしまって」
加賀谷が勘違いして勝手に田村を責めていると思っているのだろうが、今回は加賀谷が正しい。
田村は加賀谷から高田を奪いたいのだ。
「いや、気にするな。高田が気に病むことは何もないんだ、そんな顔をするな。」
高田への苛立ちも、高田に庇われる加賀谷への嫉妬も隠し通して、田村は優しげな笑みで高田に笑いかけた。
立ち上がり、すまなさそうな顔の高田の頭をゆっくりと撫でる。
こうして高田の頭を撫でるのは、昔からの田村の癖だ。
柔らかくて細い高田の髪が自分の指に絡まるのを見るのが、好きだった。
いつかベッドの中で、この髪を撫でたいと何度思っただろう。
高田の何が田村にそうさせるのかは実際田村にもよく分からない。
ただ柔らかくて小さな高田を自分の物にすれば、自分も変われるような気がした。
しおらしくて控えめで、従順な高田を啼かせるのは何も加賀谷だけの特権ではなかろう。
所詮、自分と加賀谷は似ているのだ。
だから同じ匂いを嗅ぎつけて高田に固執し、互いを嫌悪する。
同族嫌悪とはまさにこのことだろう。
人を愛することも知らず、愛されることも知らない。
そんな自分を、高田なら無償で受け入れてくれるという淡い期待。
こんな自分を高田は知らないし、知ろうともしない。
今高田にとって何より大事なものは加賀谷以外にはきっとない。
だが自分が入り込む隙は少なからずあるだろう。
田村が優しい仮面をつけている間ならば。
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