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不可解な熱
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第一営業部に勤務する諒の仕事は営業事務で、普段はあまりフロアの飲み会に諒が出席することはない。
だが今日は入社当時諒を気にかけてくれてお世話になった田村営業係長の送別会ということで、諒はしぶしぶ参加していた。
今の会社を辞め、新たに会社を立ち上げるのだと言う。
その後を引き継ぎ、係長に昇進するのはあの加賀谷だった。
居酒屋を貸切り、盛況を見せる飲み会の中、諒は居心地が悪く手に持ったウーロン茶を飲みたくもないのに啜っていた。
居酒屋の中心では係長を中心にかなり盛り上がっている。
一応送別会に出席した事で礼儀は果たしたと諒はグラスを置き、腰を上げた。
同じ事務職の女性に先に帰ると声を掛けてそっと居酒屋を抜け、星も見えない都会の空を見上げた。
諒の吐く白い息が霧のように現れては消える。
昔見た母の田舎の風景を思い出す。
夜9時も過ぎると信号機は消え、車もほとんど通らない小さな町。
自分もこの会社を辞め、いつかあそこに住むのもいいかもしれないとふと思う。
祖父や祖母と共に農作業で自給自足の生活は、今の諒には酷く魅力的に感じた。
「高田・・・・・!」
ぼんやりと立ち止まって空を見上げていた諒は後ろから聞こえた声に驚いて振り返った。
荒い息を吐きながら追いかけて来たのは先程飲み会の中心に居たはずの田村係長だった。
「か・・・係長、どうしたんですか・・・?」
上着は居酒屋に置いてきたのかシャツ一枚の田村の格好が寒そうで、コートを羽織っていた諒も思わず身震いした。
「気付いたらお前居ないからさ、驚いて追いかけてきた。もう帰るのか?」
腕を擦りながら田村は諒の顔を覗き込んで笑った。
35歳で事業を立ち上げる田村の顔は自信に満ち溢れ、諒はその眩しさに目を細めた。
加賀谷とは違う少しきつめの精悍な顔。
だがその優しい心遣いに何度も助けられたことを諒は今更ながら思い出した。
「お世話になりました、係長には何度も助けていただいて、本当に感謝しています。」
人の目を見詰めることが苦手な諒が珍しくじっと目を見れるのは会社では田村と同じ事務員の女性くらいだった。
「いや、それはいいんだけど。お前に言っておきたい事があるんだ、後で言おうと思っていたらお前が居なくなってたから慌てて走った。こんなに走ったのは久しぶりだよ。」
汗をかいた首元を手で拭いながら田村は息を吐いた。
「僕にお話・・・ですか?」
「そう、お前今の会社辞めて俺のとこに来ないか?」
一瞬何を言われたのか分からずに呆けた諒に苦笑して田村はまた口を開いた。
「俺の会社で働かないか、お前に来て欲しい。」




その後どうやって自宅に帰りついたかよく覚えていない。
考えておいてくれと言い残した田村の顔を思い浮かべ、諒は頭を抱えた。
一階から母親が呼ぶ声が聞こえてくるが、それを無視して諒は田村の言葉を反芻していた。
自分のような人間を誘う田村の真意が分からない。
誘うならばもっと別に居るはずだ。
分からない。
だが田村の誘いはある種転機のような気がする。
変われるかもしれない、という希望。
望まれる事のない自分を誘ってくれた。
驚いたが嬉しくもあった。
ただ諒の心に引っかかるのは加賀谷の事だった。
会社を辞めてしまえば今のように見詰める事など出来ない。
偶然にでも触れ合う事も、声を聞く事もなくなる。
それを考えると今のままでもいいような気がした。
とりあえず考える時間はある。
そう思い、諒は考えるのをやめて母親の声に答えた。




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あきゅろす。
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