不可解な熱
8
仕事も手に付かず、どこか現実が遠ざかっていくような気がする。
酒を飲みすぎて遅刻欠勤が増え、大事な商談もすっぱかして首になっても、どこかそれが自分に起こっていることだという現実味が薄い。
何をするでもない、ただ酒を飲み、寝て起きてまた酒を煽る。
考えるのは高田のことばかり。
今頃もしかすると田村と居るのかもしれない。
俺のことを忘れて、田村に抱かれているのかもしれない。
そう思うと胸が焼けるような痛みがした。
取り戻そうなどという考えすら浮かばない。
もうこの腕にあいつを抱く事はない。
気が狂いそうだ・・・・。
いっそ狂ってしまえば、あいつのことを考えなくてすむのかもしれない。
忘れてしまえば、また以前のように楽しく生きていけるのだろうか。
酒を飲んで前後不覚になってしまえば、その間だけは忘れられる。
だが時に、酷くリアルに高田の存在を感じて、正気を取り戻した時、それが幻覚だったと知って愕然とした。
「加賀谷さん・・・・、起きて下さい。」
また声が聞こえる。
高田の静かな、だが労るような優しい声。
体を揺すられて加賀谷は薄っすらと瞼を押し上げた。
そしてそこに何度も思い描いた高田の姿が見えて、加賀谷は体をソファから起こした。
幻覚でもいい、今だけここに居ると思わせてくれ。
「高田・・・・、高田・・・・・。」
だが抱き締めた体が温かくて、加賀谷はハッと体を離した。
「お前・・・何してるんだ。どうしてここに居る・・・。」
「僕・・・、ごめんなさい・・・。二度と来るなって言われてたのに、どうしても、心配で・・・。ごめんなさ・・・。」
高田の言葉を最後まで聞かず、加賀谷はその体を激しく抱き締めた。
もう、駄目だ。
もう離せない。
「高田・・・、頼むから・・・。頼むから俺から逃げないでくれ・・・。 頼む・・・。俺を好きじゃなくてもいい・・・、俺の前から消えないでくれ・・・。」
加賀谷は高田の体を掻き抱きながら弱々しい声でそう繰り返した。
人前で涙を流すことなど、今までの加賀谷には考えられない。
それでも、情けなくても惨めでも、どうしても繋ぎとめておきたかった。
「好きだ・・・、お前が・・・。好きなんだ・・。」
生まれて初めての告白。
失くしてやっと気付いた本当の自分の心。
他の誰とも違う高田の体温が欲しくて、熱病にかかったように飢えて求めた。
こうしてまた目の前に高田がいるのに、失ったら俺はもうこれから誰も愛することなど出来ない。
「好き・・・、加賀谷さんが好き・・・。僕は加賀谷さんが好き・・・。」
懇願するように縋る加賀谷を抱き返し、そう高田が言ったとき、加賀谷は自分の体が歓喜に震えるのを感じた。
母親に捨てられ、父親に捨てられた自分が、誰かに必要とされ、愛される存在だと思えなかった。
だが同時に、切に自分を求めてくれる何かをずっと追いかけてきたのかもしれない。
そしてそれは、高田でなければならかなった。
純粋に想ってくれる高田を、その優しい温もりを、自分はどうしても欲しかったのだ。
これからは優しくする、優しくしたい。
もう失うような思いはしたくない。
それは加賀谷にとっての、初めてともいえる恋だった。
「それで?どうして俺がお前を雇ってやらないといけないんだ。」
高田には面接だと嘘をついて加賀谷は田村の会社を訪ねていた。
こうして頭を下げる事自体加賀谷にとっては至難の業だが、それでも田村に殴られるのを覚悟して会った。
「俺を雇わない手はないんじゃないんですか、こう見えても営業成績だけはあんたに劣らない。それに今ならN商事もついてくる。他にも、引っ張ってこれる会社はいくつでもある。それに・・・、俺を雇わないなら、あいつも辞めさせる。」
半ば脅すように言うと、田村は一瞬呆けてから深く息を吐き出した。
「それが頼みにきた男の態度か?この間まで酒に溺れてた男が偉そうに。・・・まあいい、お前を雇うのも面白そうだ、同じ土俵に上がってこそ勝負も楽しめるしな。俺は高田を諦めてはない。忘れるな、お前が今度高田を泣かせるようなことがあったら・・・。」
先程までの飄々とした態度が一変し、戒めるような眼差しが加賀谷を射抜く。
それを受け止め、加賀谷は不敵な笑みを浮かべた。
「別の意味でなら、いつも泣かせてるけどな。」
田村のこめかみがぴくりと動いたのを口角を上げて笑い、加賀谷は立ち上がって手を差し出した。
「よろしくお願いします、社長。」
田村も立ち上がり、目を細めてその手を握り締めた。
骨が軋むほどに強く。
田村に礼を述べ、帰宅した加賀谷はまだベッド眠り込んでいる高田の隣に座り、頬にそっと口付けを落とした。
昨夜何度も挑まれた高田は疲れて貪欲に眠りを貪っている。
だが眠っているのが面白くなくて、加賀谷は高田の鼻を摘み唇を塞いだ。
すぐに息苦しさに身を捩る体を抱き締め、来ていたシャツを脱がしにかかる。
「高田・・・、起きろよ。おい・・・諒?」
名前を呼んだ瞬間びくりとして目を見開いた高田に苦笑して、耳を緩く噛む。
「んっ・・・、おかえりなさい。加賀谷さん・・・、今名前。」
それを聞かぬふりをして耳に舌を這わせ、シャツの合間から胸の飾りを擦った。
「やっ・・・、もう駄目。もうっ・・・!加賀谷さん!」
「うるせえな、黙ってろ。・・・・諒。」
ぞくりとしたように震える高田の背中を擦りながらそっと胸を口に含む。
「か・・・加賀谷さ・・・。んっ・・・。」
名前を呼ばれて感じたのか酷く敏感になった身体を、その日もまた加賀谷は飢えを満たすかのように離そうとはしなかった。
高田によってかかった加賀谷の熱病は、完治するどころか益々熱を帯びていく。
愛しい存在が傍にあることが、泣きたくなるほどに幸せなことなのだと、加賀谷はそれを静かに一人噛み締めた。
終わり
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