不可解な熱
2
その日は遅くまで出先の仕事に捕まり、帰宅も遅くなった。
そのまま自宅に戻ったものの、翌日の会議で使う資料をやり直すのを忘れていて慌てて会社に戻るとフロアにはまだ明かりが付いていた。
誰か残業しているのかと思ったら高田が一人パソコンに向かっている。
「あれ、高田まだ残ってたのか?」
声を掛けると驚いたように顔を上げ、加賀谷の方に目を向けた。
一瞬目元が赤くなり、そのまま俯く。
「加賀谷さんこそ・・・、こんな時間にどうしたんですか・・・?」
消え入るような小さな声にああ、こいつあの時のことを思い出しているんだろうと漠然と思った。
今でもあの秘書室の女と出来ていると思われているのが癪でそっけなく顔を顰めた。
「俺は明日の会議に出す予定だった報告書をやり直すの忘れててさ、慌てて戻ってきたんだ。
お前それ明日の会議で使う資料だよな?また押し付けられたのか?」
使い勝手の良い高田はよく同僚からこうした雑務を押し付けられる。
そして高田もそれを快く受けてしまうのだ。
人がいいと言えばそれまでだが、他の男がこいつを好きに使っていると思うと胸がむかつく。
「営業の方はお疲れでしょうから、これくらいは僕もお手伝いできますし・・・。」
小さく苦笑する顔に一瞬胸を鷲づかみされたような気がした。
普段全く笑顔も見せないこの男が少しは自分に気を許しているのだろうかという期待に似た気持ちが胸をよぎる。
「営業はそうゆう事も含めて仕事なんだ、これからは断れよ。資料くらい自分で作れなければ企画を出す資格も、営業に出る資格もない。」
そんな気持ちを隠すようにぶっきらぼうに言うと怯えたように身体を縮める高田に思わず苦笑して肩に触れる。
思えばこうして触れたのは初めてだ。
スーツ越しに高田の体温を感じて、加賀谷は慌てて手を離した。
「もしこれからも無理矢理押し付けられそうになったら俺に言えよ、いいな?」
そういい残して自分の席に着き、高田に分からないように息を吐いた。
別に綺麗な顔をしているわけではない。
欲望をそそる様な対象ではないはずだ。
だがどうして、あの顔を見ていると啼かせたくなる。
誰にも今まで見せたことのない顔が見たくて堪らなくなる。
憧れているだけのあいつの感情を引き出して、あの口から何かを聞き出したくなる。
一体何を俺は望んでいるんだ。
加賀谷はそう自嘲気味に暗く哂った。
「好き・・・。」
小さく呟く声が聞こえて加賀谷はハッと顔を上げた。
目を瞠って高田を見ると驚いてこちらを凝視している。
「高田・・・、今、何て?」
高田自身口走った言葉に混乱しているようで、しばらく逡巡した後。
「僕、加賀谷さんが、好き・・・です・・・。」
よく耳を澄まさなければ聞こえないほど小さな声で高田はそう言った。
だが酷く緊張しながらも何かを決意しているような顔。
少し潤んだ目が加賀谷を見つめる。
固まっていた頭がだんだんクリアになっていく。
と同時に言いようのない怒りが頭に上ってくる。
好きだと言った高田の姿が今まで自分の体の上を通り過ぎていった女たち、男達とだぶる。
こいつも同じ、そう思うと頭にきた。
何も知らずに簡単に好きだと口走る。
そして俺を知れば知るほど遠ざかっていく。
暗い闇が目の前を覆う。
こいつもどうせ離れていく。
今だって俺がNOと言えば簡単に俺を諦められるんだ。
高田の目がそう語っていた。
言って断わられて、それで終わらせようと思っていることが如実にその目に表れている。
それが加賀谷の神経に触れる。
簡単に捨てられるから、好きだの愛してるだのを簡単に口にする。
だったらそれでもいい。
欲望だけだ、飽きるまでその身体を俺に差し出せ。
「お前、俺がどうゆう男か知っててそんな事言ってんの?それとも、俺が男もイケルって知ってて自分も抱いて貰えるとでも思った?」
自分の声に吐き気がする。
真っ青になって目を見開く高田に哂って、尚も傷つけるような言葉を探した。
「高田・・・、悪いけどお前を相手にするほど俺は飢えてない。」
顔を上げられずにいる諒の傍まで来て、加賀谷はその顎を掴んだ。
「だが、お情けは与えてやってもいいぜ?」
何故こんなにも腹が立つのか。
こうして告白してくる人間は今までもたくさんいた。
なのにどうして高田の言葉だけが胸に刺さる?
どうせ俺を知れば離れていく癖に、抱かれたいと願う人間は多い。
だが何故か高田の言葉だけが心に響き、それがまた加賀谷を苛つかせた。
服越しでもなく、初めて触れた肌の心地よさに我を忘れた。
慣らすこともせずに挿入させられた高田の後ろは傷つき、血が流れる。
それさえも加賀谷の興奮を助長させた。
こいつを傷つけているのは俺だ。
こうして触れているのは俺だ。
泣く顔が堪らなくて、もっともっと苛めて泣かせて、縋りつかせたい。
この身体は俺の物だと実感したい。
高田の身体を貪りながらこれまでに感じたことのない高揚感と浮遊感を感じた。
凶器のようにそそり立った自身が高田の中を思う存分味わう。
媚薬のような快感に加賀谷は高田を気遣う余裕など全くなかった。
言葉で責め立て、傷つく言葉を敢えて使う。
諦めてやろうと、勘違いだと思い込もうとしてやっていたのに、飛び込んできたのはお前だ。
・・・・諦める?
何をだ・・・・?
何もかも分からない。
ただ確かなのは、今この腕の中で泣いているのは想像でもない本物の高田だということ。
それを今、俺は確かに抱いている。
「これで分かっただろう、俺への気持ちが幻想だったと。」
誰かの机からティッシュの箱を取り、高田の汚れた下半身を清めながら加賀谷はまた暗く哂った。
「か・・・がやさ・・・、僕は・・・。僕はただあなたが好きで・・・、何も望んでなんか・・・なかった。」
手を振り払い身を起こす高田にズキリと胸が痛んだ。
「僕は、何も知りません・・・。でも、僕は本当に加賀谷さんの事が好きで・・・。それだけ伝えたくて、僕は・・・、ただそれだけで。」
そう泣きながら顔を覆った高田に胸を突かれ、衝動のままにその身体をかき抱き、嫌がる顔を掴んで強引に口付けをした。
「簡単に好きだなんて口にするんじゃねぇ・・・、一度抱いたくらいで調子に乗るな。」
溢れそうなこの気持ちに名前をつけることも、優しくしてやることも出来ずに加賀谷は高田の身体を抱き締めた。
初めて感じる高田の体温と心音が酷く加賀谷を和ませる。
それがまた嫌だった。
泣き顔を見たいと思っていたのに、後になるとどこか後味が悪い。
そして好きだと言う高田の気持ちが自分から離れていくのではないかと思うだけで頭がおかしくなりそうになる。
こんな風に扱っていれば嫌がって自分から離れることは分かっている。
だが酷く扱って、泣かせて、それでも好きだという言葉を聞くと安堵した。
そうやって高田の気持ちを何度も確かめた。
初めて抱いてからは何度も家に呼び出し、飢えたようにその身体を求める。
会社に居れば他の男と会話をする姿に苛つき、笑っている顔など見たらその場で殴りつけたくさえなる。
周囲にこれは俺のものだと声を上げて示したいとさえ。
どうしたいのか加賀谷自身分かっていなかった。
何度も高田を試して、それでも好きだと言って欲しくて。
自分は何も言わない癖に、高田からは言葉を欲する。
どんどん底なし沼に落ちているような気がした。
溺れているのは加賀谷のほう。
柔らかくて包み込むような高田の存在に癒され、それを手放したくないと一人足掻いている。
そして同時にどうせこいつもいつかは俺を捨ててどこかに行ってしまうんだと、そう思うと怒りと焦燥感で居てもたっても居られなくなる。
傍に居ないと不安になり、居たら気持ちを確かめていないと堪らなくなる。
この気持ちが何なのか、このときはまだ加賀谷は気づいていなかった。
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