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春のかたみ

 
平助君が木刀を持って数歩進む。隊士達が自然と場所を空けた。二人が剣を交えるには十分な空間が形成されていく。

「おいお前ら!今からは見取り稽古だから、よっく見とけよ!」

平助君が構えを取る。

北辰一刀流基本の型。

彼から刀術の基礎を学んだ私の構えもまた、相似形となる。しかし向かい合う私の構えは左右反転。鏡映しとなっていた。

呼吸を整えた私は一投足で間合いを詰める。左下から斜上への切り上げ。
平助君は上半身を反らせ回避。

「――甘いっつうの!」

反らせた背筋の膂力を利用し、最上段から木刀が振り下ろされた。

自分の木刀を横に構え、額の上で渾身の一撃を受け止める。

「踏み込みはギリギリまで見極めて限界まで行け、って言っただろ?」

稽古というだけあって、しっかりと指導が入る。

「――はっ、相変わらず見た目に寄らず剣が重いよねっ……」

ギリギリと木刀がそれを支える右前腕に食い込んでいた。
平助君の笑顔が固まるぴきっという幻聴が聞こえる。

「どーゆー意味だっ」

ムキになったのか木刀に込められる力が強まった。
互いの膂力の限界を見極めて間合いを取り直す。

私は間を置かず更に激しく打ち込みを繰り返す。
回避され、いなされ、受け止められる。
実際に自身の攻撃に対しての動きを見ることで、防御戦術を学ぶ。自分が防御出来なかった動きを攻撃戦術として記憶。

木刀を一打打ち交わす毎に、私は経験値を積み上げていく。

■ ■ ■

打ち合いが続いていた。

こちらからは決定的な一打は与えられていない。しかし実力で劣る私は全ての攻撃を捌き切れず、あちこちに軽い打撲痕が刻まれていく。
体力が徐々に削られてきていた。

「ぅぐっ!」

私が上段に構えたところへ無防備な鳩尾への一撃が決まった。
呼吸が止まる。

やっべ。

酸素供給が止まったことで肉体が恐慌を起こしていた。
屑折れそうになるのを道場の床に木刀を突き立てて踏み止まる。

「へへっ。ほら油断してっから」

差し延べられた手を握る。体勢を取り戻し息を整える。
漸く自律呼吸を取り戻し、私は苦笑した。

「ちょっと調子に乗りすぎちゃったか」

時刻もそろそろ午の刻。調練も切り上げ時だろう。

首筋を汗が流れ落ちていく。
決して少なくない人間が鍛練に励む道場内は熱気が篭っていた。その中での激しい運動のため、衿がじっとりと塗れてしまっていた。
袷に指をかけて引き下げる。緩められた衿元の肌が外気に触れた。
湿度の高い屋内ではあまり効果がない。

「……ふぅ。あっついなぁ」

「……っ!」

手の甲で顎の汗を拭っていた平助君が固まる。一泊置いて我を取り戻したのか、急に背後に回り、両手で私の背中を押す。
訳もわからぬまま、道場の外に押し出された。

「え?えぇ?何、どうしたの?」

彼の行動の理由がわからず混乱する。背中を押す本人に疑問を投げてみるも、納得出来る返答は帰ってこない。

「馬鹿!いいから、ちょっとこっち来いよっ」

誰が馬鹿だ。

と一瞬思ったが今は触れない。
私達は足早に普段は使われていない一室に入った。

緩められた衿が強制的な移動のために肩近くまで落ちていた。衣服の着脱にも慣れた近頃ではあまりなかった状態だ。
袷を下げていたことも相俟って胴近くまで開けてしまっている。胸をきつく押さえていた晒しがあらわになってしまっていた。

「……で。一体どうしたの?」

行動の理由を問う。
純粋に理解が出来なかったから尋ねたのだが、平助君は噛み付くように反発してきた。

「どうしたの、じゃねえって!」

乱れた着物から覗いた膚を目にし、平助君の頬が赤くなっていた。
私は彼の行動の意味を理解する。

「大丈夫だって。一般の隊士達は私が女だって知らないんだから」

「そういう問題じゃねえよ!」

それでも何故か平助君の感情は収まらない。
苛立つような表情を見せられ、私も少し戸惑う。

「……………………だから」

平助君の口が動く。
しかし発せられた言葉は小さ過ぎてよく聞き取れなかった。

それでも唇の動きから何となく読み取ることは出来た。

『俺は名が女だって知ってんだから』

言葉の意味を考察する前に背が畳に触れる。視界に天井が映った。

鎖骨から首筋を這う生暖かい感触。ぬるりとした感触に背筋から上る痺れのような感覚が肌を粟立たせた。

「ぁっ、や、め……っ」

肩に触れる平助君の長髪。彼自身の身体で畳の上に縫い留められ、上体を起こすことが出来ない。
鎖骨の辺りに戻ってきた舌の感触が、チクりとした痛みに変わる。

「んぅ……」

口許を手で押さえていても漏れる声。目尻に滲む涙。

ちゅ、と微かに音を立てて離れていった平助君の、私を見下ろす瞳と視線が絡んだ。
どこか熱っぽい色を含んだ表情に心臓が跳ねる。

「ぁ……」

思わず吐息に声が漏れた。
平助君の身体が跳ねる。急速にその瞳に理性が呼び戻されていった。今まで朱気の昇っていた顔色が青ざめる。
私の上から飛びのくと、そのままの勢いで土下座された。

「ご、ごめん名!オレ、とんでもねえこと……っ」

両手をついて頭を下げる。その様子を上体を起こしながら見遣る。

(えーっと、何て言えばいいんだろう)

気にしないで、とかだろうか。いや、そんなこと言っても気にするだろう。普通。

考えてみれば平助君はかなり『若い』。健全な男の子の欲に火を着けたのは、確かに自分の行動なのかもしれない。
平成と江戸では感覚がかなり違うというのは承知していたつもりなのだが。

「いや、私も悪かっ――」

た。という前に障子がからりと開けられた。

 


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