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春のかたみ

 
■ ■ ■

裂けた篭手を外し、袖口を捲る。
前腕の外側を斜めに走る傷は一尺近い長さがあった。
布に染み込んだ血液のために前腕が殆ど血に濡れてしまっている。

恐らくは消えない傷になるだろう。

「血でよく見えん。……面倒だな」

腕を引かれて痛覚が刺激される。
自分の腕が風間さんの口許に引き寄せられていた。

「ぃつっ……んっ」

朱い舌が、更に濃い紅に染まっていく。
刀傷の裂け目を舌の先端が優しくえぐるように這っていった。

痛い。痛い、のに。

何故か風間さんの表情がこの上なく艶かしく映った。
頬には場違いな朱が差す。目尻には痛みに促された涙が浮かんだ。

傷のために鋭敏になった神経は、彼の舌の感触を鮮明に脳に伝える。

唾液に濡れているのに、僅かにざらついていて。彼の意思でその先端が硬さを変える。

時に深く傷口に潜り、焼け付くような痛みと共に肉の断面から体熱が伝わって来る。

痛みに、思考が赤く染まった。

傷口の検分を終え、彼の口から私の腕が解放される。

「確かに、人の身では傷が残るだろうな」

事もなげに風間さんが口にする。

別にわかっていたことなので驚きはない。
自己診断では三日程の発熱の後、五日から一週間程度で傷口が癒着を始めるものと見ている。

刀を握ると決めた時に、いつかはこんな怪我もするだろうと思っていた。
鬼の刃の前に生きながらえたこと自体がめっけもんである。

しかし加害者と被害者がこんなにも落ち着いているというのに。
何故、外野が目くじらを立てているのだろうか。

「おい、貴様。やっぱり死ね」

「風間……いくら貴方でも女人の肌へ傷を残すものではない」

土方さんが暴走しかけている。
私はまあまあと彼を宥めてみたのだが、あまり効果はないようだ。

二人に攻められている風間さんはなんとも鬱陶しそうにしていた。
いつもは余裕の笑みを湛えている彼の顔が、心なしかうんざりとしているように見える。

「……一族に伝わる薬がある。我等が自ら使うような事態はまずないが、不死身という訳ではないからな」

これ以上はもうこの場に用はない。
そう言うかのように風間さんは立ち上がった。

「それを使えば目に残るような傷も残るまい。……近い内に届けさせる」

この場を去ろうとする影に土方さんが食い下がった。

「てめえ、それで詫びになるとでも思ってんのか」

風間さんは肩越しに紅い視線だけを寄越す。

「賎しいぞ、田舎侍。当の名自身が戦場に立つ覚悟をしているのだ、貴様がとやかく言うことではあるまい」

「…………」

土方さんもそれ以上は追及することは出来なかった。

■ ■ ■

私は傷口に応急手当用の晒しをきつく巻き付けた。

腕の曲げ伸ばしと掌の開閉による動作確認を終えた私は暁を腰に差し直す。

そういえば鞘を修理に出す必要があった。今度一君に良いお店がないか聞いてみよう。

「さあ、私達も天王山へ向かいますか」

私は土方さんの前に立つ。

「死体処理は気が進まないけど、千鶴ちゃん達が待ち侘びてますからね」

「……ああ、そうだな」

返事をする土方さんの笑みには陰が差していた。

なんだか思っていたよりも新選組の人達は情に篤いというかなんというか。

「なーに今更気にしてるんですか!刀を持つ時に覚悟は済ませてありますよ」

「わかってるさ。……お前は俺達と同じだ」

私は自ら進んで刀を取った。
決して彼等に、ましてや土方さんに握らされた訳じゃない。

負い目に思うことなんか何一つ無いというのに。

どうしたらわかってくれるんだろう。

「じゃあ土方さん」

彼の紫色の瞳を覗き込む。

「いつか、いつの日か、私達がもう刀を振り回さなくても良いと思えるような時が来たら」

私は笑う。

多くのモノを背負おうとする彼の背中の荷が、少しでも軽くなるように。

「私に、一人の女として生きさせて下さい」

失ったモノは戻らなくても。
失った部分を埋めて有り余る程に、穏やかな日々を。

「……そうだな」

いつも厳しい色を映していた瞳が、一瞬だけ彼本来の優しい色に還る。

夏の陽射しが傾き始めていた。
いつまでも足を止めている訳にはいかない。私達は天王山へと走り出した。

 


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