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春のかたみ

 
立て篭もった屋敷に火を放たれた事を知った久坂達は、恐らく自刃で命を絶っている。

不知火さんがどこから来たのかはわからない。
だが、この近辺で戦場となったのは境町御門をおいて他には無かった。

敗色濃厚な長州軍が今だ戦闘を続けているのは、既に公家御門だけだ。

「……早く公家御門に行ったら?仲間を助けたいんでしょう」

「ははっ!仲間、か」

彼の目が山崎君を捕らえる。
私を背に庇う山崎君の目には、射殺せそうな程に鋭い殺意が込められていた。

「俺が認めてんのは今のところ高杉だけなんだけどな」

構えていた拳銃が下ろされる。

「ま、ここであいつらを見捨てたら高杉の奴怒るだろうしな。今回は見逃してやるよ」

現れた時と同じく、不知火さんは忽然と姿を消した。

戦況の情報収集をあらかた終え、私達は蛤御門へと足を向けた。

■ ■ ■

本隊に合流した私達は土方さんへ戦況を報告。
にやりと笑った彼は次々に幹部達へ命令を下していく。

しかしその中に私の名はなかった。

監察方は副長直属。特別下命が無ければ、天王山へ随行することになるだろう。

土方さんがちらりと千鶴ちゃんを気にするような動作を見せた。

彼女も自分の立場を弁えている。
恐らく彼女には彼女の意志があるのだろうが、それを主張するようなことはない。

「……お前は、好きな場所に同行しろ」

千鶴ちゃんの心中を察した、彼なりの気遣いが見える言葉だった。

「――私も、天王山へ連れていって下さい」

千鶴ちゃんははっきりとした口調でそう言った。

心中に苦いものが走る。
出来ることなら彼女と鬼を引き合わせたくはない。しかしそれは私の身勝手な想いでしかなかった。

彼女には風間さんと共に行く道もある。
しかしそれを選ぶのは決して私ではない。

私はただ千鶴ちゃんが、新選組の皆が、傷付けられるところを見たくないだけだ。

――だからこそ、全力を尽くす。

全ては自分勝手な私の願いに過ぎない。

■ ■ ■

市中に佇む一つの人影。
ただ立っている、それだけで一服の絵画のように静謐な空気が漂う。

通りに他の人影はない。
民は皆戸を閉め切って災禍が通り過ぎるのを息を潜めて待っているのだ。

既に戦場からは大分離れている。あの喧騒が嘘のように静かだった。
まるで化物(ケモノ)道に迷い込んだようだ。

土方さんが手で隊士達に足を止めるように指示を出す。しかしその制止を無視して前に出ようとした隊士がいた。

その背を確認して目を見開く。

(奥沢さん!?)

「っ馬鹿が!!」

私は悪態と共に腰紐からの暁を鞘ごと引き抜いた。
暁の先端で奥沢さんを突き飛ばし、体の右側面で縦に構えを取る。
歯を食いしばって衝撃に備えた。

「ぅぐっ!!」

(重いっ!!!)

苦鳴が漏れる。紅い瞳が私を捕えた。

「――っ!名か」

横薙ぎの刀が黒地の鞘に食い込む。それでも勢いは止まらず、加えられる力が私の腕力を超えた。

暁が私の手を離れて宙に舞う。
身を護る盾を失い白刃が皮膚を裂いた。

「名ちゃんっっ!!!」

悲鳴のような叫びが聞こえた。

痛みが思考を支配する。

鋭い痛みは熱と共に脳に知覚され、傷口に心臓が出来たのかと錯覚する程に脈動する。
傷は右腕の手首から肘の間を斜めに横断していた。

黒地の袖は色を変えることはないが、次第に重みを増す。鉄錆の香りが出血量の多さを物語っていた。

(痛い痛い痛い痛い痛い痛い)

新八さんの怒声が聞こえたが、何を言ったのかはわからない。

私は口から情けない声を上げないように必死だった。

痛みを感じる自分と思考をする自分。意図的に自己を客観的に観測する意識を作り上げ、切り替えていく。

右手を開閉させ、動くことを確認する。

私は新八さんに助け起こされ、千鶴ちゃんが拾ってくれた暁を左手に持つ。
私は初めて彼に敵意の目を向けた。

「『仲間を傷付けないで』って前に言ったよね、私。……今の、止めなきゃ確実に奥沢さんが死んでたよ」

自分の血液が付着した彼の黒造りの刀を見ながら私は言った。

風間さんが一瞬だけ苦い表情を見せる。しかしそれはすぐに笑みへと変わった。

その口から発せられるのは新選組を嘲弄する言葉。

皆が殺気立つ。

土方さんも、新八さんも、そして千鶴ちゃんさえも。

激しい怒気が風間さんに集中する。

しかし風間さんの気配にも僅かな怒りが内包されている。

私はただ黙って彼の言葉に耳を傾けていた。

「……誰かの誇りのために、誰かを傷付けてもいいんですか?」

静かな声だった。

私は千鶴ちゃんが本当に怒る時には、とても静かに怒ることを知った。

「誰かに形だけ【誇り】を守ってもらうなんて、それこそ【誇り】がずたずたになると思います」

瞳にも声にも、抑え切れない冷たい怒りが含まれていた。

千鶴ちゃんの言いたいこともよくわかる。しかし私には風間さんの気持ちも理解できなくはない。

誰も間違ってはいないのだ、きっと。ただ、そこに正解がないだけで。

少なくとも私には正解などわからなかった。

今は賊軍扱いの長州の人間が、いずれ初代内閣総理大臣になる。

正義は立場で変わるもの。

だから皆己の信ずるものを信じる他無いのだと私は思う。

「ならば新選組の手柄のためであれば、他人の誇りを侵しても良いというのか?」

案の定千鶴ちゃんは風間さんの反論に口ごもってしまった。

まぁ怯えもあるんだろうが。

呆れて土方さんが助け舟を出す。

「偉そうに話し出すから何かと思えば……。戦いを舐めんじゃねえぞ、この甘ったれが」

彼が紡ぐ整然とした理論は、何処までも正論だった。

しかしそれは幕府側にとっての正論。

鬼である風間さんには決して立つことの出来ない、人間の立場から見た【正義】だった。

 


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