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春のかたみ

 
■ ■ ■

「自分の仕事に一欠片でも誇りがあるなら、てめえらも待機だ云々いわずに動きやがれ!」

土方さんが辛辣な恫喝を上げる。
しかし腰に刀を差す者にとって、その言葉は劇薬過ぎた。

言葉を発した本人は既に隊士達を率いて前線へと走り出している。
動けない会津藩士達に、私は冷めた視線を投げた。

「その腰に提げた刀が何のために在るのか。その意味を思い出せば取るべき行動など明白でしょう」

彼等は暫くの間躊躇う様子を見せたが、やがて新選組の後を追うように走り出した。

九条河原の陣に私は一人残される。

「名さん」

背後から名を呼ぶ声が掛かる。
その声へは振り向かず、返答を返す。

「わかってる」

腰の暁に手を伸ばした。指先が暁の柄に触れ、ざらつく鮫皮を覆う絹糸の感触を脳に伝える。

自らの命を守るため、他者の命を奪うその存在が、私の脅えを叱咤する。

「あーあ。この暑い中、黒服で走り回らなきゃなんてね。鎖帷子なんか重くて着てないっつうのに」

長州軍は装備を近代化している。
もう刀の時代は終焉の時期に差し掛かっているのだ。
戦場に在るのは白刃の煌めきではなく、音速を超え轟音を上げる銃弾。

銃科の戦術性の高さは現代人の自分だからこそ、よく理解していた。
背後の気配が近付く。

監察方の先輩であり同僚でもある山崎君に対し、私は全幅の信頼を置いている。
それは能力においても、そして人間性に対してもだ。
隊務上一緒に組む事も多く、彼に命を預ける事に抵抗は覚えない。

私が一体何を言いたいのかといえば。要するに彼に対して警戒していなかったということだ。
そして現状を予測出来なかった自分に対する言い訳でもある。

私の体には拘束するかのように腕が回されていた。
耳元で聞こえるのは静かな彼の呼吸音。

拘束されているのにも拘わらず、苦しくはない。
背中に感じるのは彼の体温で、夏の暑気と違って不快感は感じなかった。

いつもよりずっと近い位置で、言葉が紡がれる。

「貴女は俺が護る。名さんは銃を警戒しているようだが、いざという時は俺が盾になる」

だから、無理して笑うのはやめてくれ。

そう言って、山崎君は言葉を切った。
どうやら強がりはバレバレだったらしい。

「……馬鹿。銃弾なんて簡単に内蔵に穴開けて貫通するんだから。一緒に死んじゃうじゃん」

私はそっと回された腕を解いて後ろを振り返る。

恐怖が消えた訳ではない。それでも今度は自然に笑うことが出来たと思う。

「私を護るんなら、引きずってでも一緒に避けてくれなきゃ。私『怪我したら赦さない』って言ったよね?」

「……そうだったな」

山崎君の目の形が微かに変わる。
口布で顔を隠していても、私には彼が笑っているのがわかった。

「訂正しよう。――俺は例え貴女を引きずってでも、護る。絶対に死なせたりはしない」

面と向かって告げられる山崎君の誓いのような言葉。

まさかこんな間近で告げられるとは思っていなかった。流石に私でも赤面する。

(いや、だからこれは仲間としてであって!山崎君は仲間思いなだけだって!)

心拍数が上がるのを必死で押さえようと脳内で理由を羅列する。
それでも不随意筋である心臓は言うことを聞いてはくれなかった。

■ ■ ■

開戦の先陣には会津藩が当たったらしい。そこに薩摩が援軍に駆け付けたために、戦闘は既に収束しつつある。
一部の長州軍は南の境町御門を突破したらしい。

「ふーん、久坂と入江は鷹司邸に立て篭もってるわけだ」

しかし蛤御門の長州主軍は既に撤退している。

「流石一橋慶喜公ってところか」

あれは有能な人材だ。この昏迷の時代に『家康以来の人物』と謳われる程に。

それでも私の声音にはどこか皮肉が含まれていた。

鷹司邸から煙が上がる。

「――!あいつら、火を使ったのかっ」

思わず上擦った声を上げる。

この時代、火事は天災同様の災禍だ。消火栓なんて設備はない。
民家に火が着けば町火消が隣家を打ち壊す。しかし武家屋敷には武家火消が出動する。

そしてこの二つの組織は頗る中が悪いのである。

このままでは京の町が戦火に撒かれる事になる。

「っ!危ない!!」

黒い襟巻きを後ろに引っ張られる。

先程まで自分の鼻先があった位置を何かが掠めていった気がした。
遅れて耳に届いた銃声が鼓膜を震わす。

銃声は一発のみで続かない。

狙撃されたのだ、という事実に気付いて心臓が早鐘を打つ。

いやぁ、早速本当に引きずられる事になろうとは。
監察方として情けない限りである。

「ああ?俺様の弾を避けんじゃねえよ」

どこかで聞いたことのある声。
というか明らかに不知火さんだった。

「避けるわ馬鹿!」

不知火さんの声からは殺意が感じられない。
私は警戒を緩めて抗議の声を上げた。

「お。やっぱりこの間の女じゃん」

青い髪を揺らして笑う。それでも彼の表情には僅かに陰りが伺えた。

 


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