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春のかたみ

 
■ ■ ■

日が傾いてきたとは言え、熱の篭った高湿度の大気は体感温度を下げてはくれない。
川沿いで多少なりとも風があるのがせめてもの救いといえた。

憔悴した様子で会津側との接見を終えた近藤さんと土方さんが戻って来る。

「皆さんお疲れ様でした。会津とて体面がありますから、新選組を表立って使うことに抵抗があるんでしょう。連中と張り合うだけ無駄ですよ」

私は内心に苛立ちを抱えている隊士達にも聞こえるような声で続ける。

「ここの連中も予備兵扱いで自尊心に傷が付けられてます。体良く現れた私達に八つ当たりしているだけですよ。自分より下の存在を作って心を慰めているに過ぎません」

そこまで言ったところで流石に制止が入った。

「お前な、ちっとは気を使え。向こうに聞こえたらどうすんだ」

土方さんが睨んでいた。それでも少しは表情に余裕が戻って来ている。

「その時はちょおっとだけお薬で夢見心地になってもらって、聞いたこと全部忘れてもらうんで。全然大丈夫ですよ〜」

私は軽く笑い飛ばす。
隣では千鶴ちゃんが、

「会津の人達だって味方なんだから、薬を盛るのは駄目なんじゃないかなぁ……」

と小声で呟いていた。が、私は気にしない。
諜報の世界では、そんなことを一々気にしていたら負けなのだ。

■ ■ ■

周囲の隊士達が腰を落ち着けた位置から少し離れる。
篝火の明かりが届く限界の位置に生えていた木の根本に、適当に拝借してきた布を敷いた。
私はそこへ腰を下ろす。背中を幹に預け、瞳を閉じる。

直ぐに一つの気配が側に近付いて来るのを感じた。

夜闇でも辛うじて篝火の明かりが届く範囲内。
表情を確認できる位置まで近付いてきた気配は、突然速度を緩めた。

顔を上げることも、瞳を開けることもしない。すぐ側まで近付いて来たことを確認し、私は言葉だけを発する。

「どこかに体を落ち着けていた方がいいよ。目を閉じているだけでも頭は休まるし」

足音が止まる。どうやら私を眠っているものと思ったらしい。

「え?あれ。名ちゃん、起きてたの?」

「流石にこの状況で寝たりはしないさ」

私は顔を上げて苦笑した。

禁門(蛤御門)の変は元治元年七月十九日の朝方に始まり、一日で終息する。
緊迫した状況で眠るのは難しいだろう。しかし夜が白むまでは体を休めておいた方が良い。

明日は刀を提げて天王山までハイポートが待っているのだ。
まぁ控え銃の状態で走る、なんてことはないのだけれど。ようは気持ちの問題である。

「なんなら左之助さんのところに行ってみたら?本当に膝枕やってくれるかもよ〜」

少し冗談めかした口調を作る。

千鶴ちゃんは頬に朱を昇らせて、首と両手をブンブンと左右に振った。

「なっ、や、そんな、皆真剣なのに私だけ休むなんて出来ないし!原田さんだって迷惑だろうし」

必死に言葉を探す様子に立っていた気が少し和む。

軍が動く程の事態なのだ。神経が逆立つのも無理ないのかもしれない。

「今のは冗談にしても。千鶴ちゃんも休んだ方が良いよ」

少しだけ真剣さを取り戻して休息を促す。

私は遥か御所のある方角の空に視線を投じた。夏の夜空の一部が微かに色付いているように見える。

「明け方までは向こうも動けないさ。銃は夜戦に向かない武器だからね」

正面にあった気配が移動した。それは私のすぐ隣へと収まる。

「それなら、ここで休んでいても良い?」

視線を夜空から自分の隣へ移動させる。私の顔を覗き込む瞳と視線が合った。
腕を引かれる感覚をの原因を探ると、小さめな手が私の袖を掴んでいた。

笑みを浮かべて私は頷く。

「勿論。長州は朝廷の退去命令を拒否したようだし……明日はきっと大変になるだろうね」

明朝、これから目まぐるしく動いていくであろう歴史の一幕が開ける。

抗えぬ趨勢は巨大なうねりとなって自分達を飲み込むのだろう。

忍び寄る不安から目を逸らすように、私は瞳を閉じた。

今は明日のことだけを考えよう。
戦場は命のやり取りをする場所なのだから。

無意味に散ってやる気など、毛頭ない。

■ ■ ■

夏の朝は早い。
白み始めた東の空を睨む。

隣では千鶴ちゃんが睡魔に負けてうたた寝をしていた。彼女の小さな頭が私の肩に預けられている。

千鶴ちゃんを起こさないように注意しつつ、そっと立ち上がる。木の幹に彼女の後頭部を預け、起きる気配をがないことを確認する。

その場から離れた私は四肢を伸ばして筋肉を解す。

ふと視線を感じて周囲を確認。近くには三番組の隊士達が集まっていたようだ。
視線の主を発見して、私は声をかける。

「おはよ、一君」

「おはよう、か。こんな時まで、あんたは変わらないな」

無表情のまま一君が返答する。
変わらないのは、一君も同じだと思うのだが。

「これでも緊張してるんだよ?」

苦笑しながら私は彼の隣に腰を落ち着ける。そこで私は一つ頼み事をすることにした。

「あのさ、一君。一つ伝言をお願いしたいんだけど」

「……伝言?」

首を傾げたそうな表情で一君が復唱する。
これで伝言内容を伝えれば、本当に首を傾げてもおかしくはないだろう。

「もし赤髪に氷色の目をした男に会ったらさ、『あんたんトコの主が暴走してるから、早く回収に来い』って伝えてくれるかな?」

「…………意味がわからん」

暫く沈黙が続いたが、無表情のまま一君が答えた。
それでも溜息とともに首が縦に振られる。

「わからん、が。お前がわざわざ言うのだから、意味があるんだろう。……覚えておく」

「ありがとう。恩に着るよ」

その時だった。

雷鳴の如く轟く砲声が、衝撃のように鼓膜を震わせる。京の街に戦禍の産声が鳴り響いていた。

 


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あきゅろす。
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