春のかたみ
二
彼女が戦場について来れば私は自由に動けない。
実際に見張りとしての能力は関係ないのだろう。彼女を一人置いて私が陣を離れることはないだろう、という意図が読み取れた。
別段そのことに対して思うことはない。しかし一つだけ不満があった。
「それにしても、山崎君程の人材をこの非常時に私の見張りのために縛り付けるのはどうかと思いますが?」
戦いというのは規模が大きくなれば成る程、如何に情報を得、使うかが重要になって来る。
諜報を担う監察方の働きは決して軽くはない。
故に私からしてみれば、今彼を使わないというのは愚策としか言いようが無いのだ。
「その件は問題無い。俺が自分から副長に志願したからな」
「いや、意味わかんないし」
だから問題大有りだから。山崎君、君なにやってるのさ!
「えっと、私だけじゃ名ちゃんの足を引っ張るだけかもしれないし!私も名ちゃんの役に立ちたいから」
千鶴ちゃんが訴える。
狡い。そんな風に言われたら断れないじゃないか。
元より私は千鶴ちゃんが陣に参加すること自体には異論ない。
私は千鶴ちゃんを守りたいと思っているだけ。彼女の妨げになりたいわけだはないのだ。
自分の感情と理性を無理矢理納得させる。私は片手を額を押さえるように当てながら、溜息を吐き出した。
「わかりました。でも、私が隊にいる間は山崎君を自由にさせてあげて下さいよ。自分のために新選組に迷惑をかけるなんて御免です」
結局、山崎君には監察方として動いてもらうことになった。ただし、私が陣を離れる時には必ず二人一組で行動することを条件として。
■ ■ ■
屯所を出た新選組一行は伏見奉行所に到着する。
暑さといい奉行所の人間の態度といい、苛立ちが私の限界を超えかけている。
「ああもうだから言ったじゃん。奉行所は守護(会津)の管轄だけど詰めてんのが所司代(桑名)だっつうあたりで指揮系統が崩壊してるでしょうが。今は幕府に対して潘が持つ力が増長してるから潘同士の優劣争いで手柄の取り合いが起こるのは目に見えてるっつうの。今回の長州の動きだって幕府の支配体制が弱まってきてる証拠だし。つうか佐幕とか勤王とか言ってる前に攘夷はどうした。本来の目的はそっちじゃないのか」
「あ、あの、名ちゃん……?」
表情を苛立ちに歪め、延々と呪詛のように呟く。隣では千鶴ちゃんが怯えていた。
ああいけない。暑さと苛立ちのせいで、つい本音が口をついて出てしまった。
千鶴ちゃんの肩を山崎君が叩く。
「放っておいていいぞ、雪村君。あれはさして珍しいことじゃないからな」
声を掛けられ左上を振り仰ぐ。千鶴ちゃんの表情には驚きの成分が見て取れた。
「えっ、そうなんですか?名ちゃん、いつもはあんなに落ち着いてるのに」
軽く頷いて山崎君が説明する。
「確かに隊務を離れている時の名さんは穏やかな人だが。隊士としてのあの人は激しい気性も持ち合わせている。古高を捕縛した時のことを君も覚えているだろう」
そう言われて千鶴ちゃんは当時のことを思い出したようだ。
あの時は五寸釘と蝋燭を持った新八さんを追いかけ、監察方隊士数人掛かりの制止を振り切ったのだった。
いやぁ確かにあの時は珍しくかなりキレてたけどね。
陣の先頭では局長自らが必死に役人に対し訴えを続けていた。
「しかし、我らには正式な書状もある!上に取り次いで頂ければ――」
「取り次ごうとも回答は同じだ。さあ、帰れ!壬生狼如きに用は無いわ!」
近藤さんが食い下がっても所司代の役人の態度は変わらなかった。
彼等には元より聞く耳など付いていないのだろう。
「……ハイエナめ」
私は役人にはぎりぎりで聞こえない声量で呟いた。
千鶴ちゃんを含め、周囲の人間の肩がギクリと揺れる。山崎君が呆れたように溜息を吐き出していた。
意地汚く他人の領分を荒らし回る、彼等にはこの上なく相応しい言葉だろう。
まあ実在のハイエナはそういったことはしないようだが。
取り合えずは慣用句としての意味合いでの使用だから、それについては放っておく。
しかし恐らく誰も私が発した『ハイエナ』の意味は知らないはずなのだが。
それでも皆私が悪態を吐いたことだけは十分理解しているようだった。
左之助さんがくつくつと笑っている。
「おい名、後で俺にもその『はいえな』とやらの意味を教えてくれ」
「原田さん駄目ですよ。それ、多分かなり不謹慎な言葉だと思います」
ちょ、千鶴ちゃん酷い。千鶴ちゃんだってあの役人の言葉に怒ってたのに!
「……おい、あんた達いつまでそうしている気だ。一先ず会津潘邸へ向かうぞ」
一君が冷めた態度で私達に声を掛ける。
「ああ、また暑い中をぞろ歩かなきゃならないんだね……」
出来るものならさっさと九条河原へ向かってしまいたい。
しかし会津潘の指示無く向かったところで意味はない。
指示があったところで大した意味は無いのだけれど。
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