春のかたみ
四
■ ■ ■
「……というわけなんだけどさ、どう思う?一君」
「俺には何が、どういうわけなのか、さっぱりわからんが」
所変わって一君の自室。私は八つ時を迎えて茶と菓子を携えて彼の部屋に邪魔していた。
「やだなぁノリで察してよ」
「無茶を言うな」
ずずず。とお茶を啜る。その私に対して背を向けたまま、一君は文机に向かっていた。
文字通り執務の邪魔をしている事になる。
干菓子を一つ口に放り込む。じわじわと溶けだしていく甘味を味わう。和三盆の上品な甘さが濃いめに煎れた茶がよく合っていた。
「だって一君って総司君と仲良いじゃん。よく一緒にいるし」
「……別に仲が良いわけじゃない。偶然だ」
一君はなおも否定する。私は首を傾げた。
「でもそれって思考経路が似通ってるか、行動類型が被ってる、ってことなんじゃない?」
推論の域を出ない仮説。
しかし私は二人の行動原理に似通ったものを感じていた。それ程的外れではないと思う。
一君が溜息を吐く。手にしていた筆が置かれた。
「例え俺に総司の考えている事がわかったとしてもだ。何故そう考えるのかは、考えている本人にしかわからん」
用意していた茶に左手を伸ばし、口をつける。
執務の手を止めてしまうことは申し訳ないが、一君も今日は非番である。いくら私でもさすがに隊務中に邪魔はしない。
こういう真面目な部分は総司君とは真逆だよなぁ。
「……まだ何かあるのか」
声をかけられて意識を現実に戻す。無意識の内にまじまじと一君の顔を見つめてしまっていた。
「ああ、ゴメン。……じゃあさ、一君はどう思った?」
私は一君の深い紺碧の瞳を見詰める。静かなその瞳の奥に隠された感情は、一体如何なるものなのだろうか。
部屋を訪ねた時にも普段と変わらぬ様子で入室許可をくれた。こうして話していても、今までと何ら変わらない。
別に変わってほしいわけでは、ないのだけれど。
「今の話しについて、か?」
私は首を横に振る。
「ううん。この間の、……池田屋で見たこと」
「……っ」
一瞬だが、僅かに動揺が見て取れた。
きっと普通の人間だったら気付かなかっただろう。眉はおろか、顔筋にすら変化がなかったのだから。
それでも、微かに呼吸に変化が起きていたことに気付いてしまった。
特別意識を集中させていたわけではないのに。最早職業病である。
「あんた、気付いていたのか。……俺が見ていたと」
私は無言のまま首肯する。
「その時はわからなかったんだけどね。後で、気付いた」
一君の抑揚のない声はどのような意図によって発せられているのだろうか。
わからない。わからないから、怖い。
嫌われていることがわかっていれば、どんな言葉を投げ掛けられても堪えられる。
けれど、今の私には一君が何を考えているのかわからない。
よく男は拳で語り合うというが。
武士は拳を使わないから、刀で語り合うのだと。前に新八さん辺りがそう言っていた。
あれから何度か稽古で木刀を使って打ち合いもしているが。その太刀筋から何かを読み取ることなど出来なかった。
一君はあの時の事について一切触れていない。
何も、変わらなかった。
だから、ずっとわからないまま。
「俺は……」
恐怖心に負けて、私は目を閉じた。
静かな、決して揺らがないその視線。その瞳に自分を否定されることが、拒否されることが怖い。
弟子として、彼の側で多くの時を過ごした。だからからこそ彼の意志の強さ、厳しさ。刀に対する思い。
それらを言葉以外のものから知った。
己よりも若い彼の纏う空気に、私は一種の憧憬に近い想いを抱いている。
彼のように強く在りたいと。
頬に何かが触れ、私は肩を揺らす。それは私の動きに怯えたように頬を離れた。
「俺は……名が、それでいいと言うのなら、何も言うつもりはない」
瞼を上げて視界を取り戻す。
伸ばされていた手が戻って行くのを捕らえ、頬に触れていたものが彼の指だと知る。
「だが……もし、もし嫌だというのなら。名を傷つけるものから、俺が守りたいと思う」
――どうしてだろう。
この人の言葉は、私の心を支えてくれる。
私は戻っていく彼の手を追い、捕まえる。
「ありがとう。凄く、嬉しい」
私よりも年下で。だけど私なんかよりもずっと強くて、凛々しくて。前を、先を揺らがない瞳で見据えている。
尊敬する師であり、頼りになる仲間であり、年下の近しい存在。
今は背を追いかけているばかりだけれど。
いつかその隣に立ちたいと、願った。
■ ■ ■
茶器を載せた盆を厨に運ぶ途中、で反対方向から近付いて来る影を確認。
長身二人と、その間には私よりも小柄な体躯。
どうやら今日の巡察を終えた三人が帰着したらしい。
「お帰りなさい、千鶴ちゃん。あと左之助さんと新八さんもお疲れ様でした」
「ただいま、名ちゃん」
本当は頭を撫でて和みたいところだが、生憎両手は盆で塞がれていた。
それに、日常でそれをやると千鶴ちゃんは子供扱いをされたと拗ねることがある。タイミングが重要なのだ。
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