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春のかたみ

 
元治元年七月。

「……暑い!」

風景描写など、もうどうだっていい。情緒も趣も知ったことではなかった。

京都は盆地。夏暑く、冬寒いというのは耳にしてはいたが。

まさかこれ程の暑さとは。正直甘く見ていた。

一体何なんだ、この殺人的な暑さは。

「あーつーいーよー」

私はゴロリと横になり、日の当たらない板張りの廊下に頬を付ける。火照った体熱を吸熱する、床板の心地良さに息を吐いた。

ちなみに。廊下は先程水拭き掃除をしたばかりなので清潔ですよ。

「名、うるさい。つーかうざい」

冷めた視線が私に浴びせられる。
平助君は自室の障子を開け放ち、布団の上で片肘をついて横になっていた。一見して物凄く暇そうである。

「なっ、うざいはないでしょ、うざいは!いーよね平助君は。軽装だもん、そりゃ涼しいでしょうよ」

私は悪態を吐く。

襦袢に着物。裾避けに袴。夏だというのに露出は殆ど無い。しかも重ね着。

この時代のの一般的な服装ではある。
しかし私には不思議でしょうがない。皆、よくこんな物を着込んでいられるものだ。暑くはないのだろうか。

さすがにキャミソールにホットパンツとはいかなくても、夏には薄着、クーラーが常識だった。
冬にも寒い寒い言っていたが、夏はそれ以上に過酷すぎた。

「名ってさー、痛いとか苦しいとかは言わないくせにさ、暑いのとか寒いのはからっきし駄目なのな」

不思議そうに口にする平助君。
私は顎をのけ反らせて彼を視界に捕らえる。

「だって痛いのも苦しいのも、わかってて選んだことだし。でも暑いのとか寒いのは違うでしょ。全然不可抗力じゃんかぁ」

返答すら暑さのせいで口調も間延びしていた。

■ ■ ■

先月の池田屋騒動の際、平助君は天霧さんと相対した。

天霧さんは廊下の闇から突然現れたらしい。言葉も殆ど交わししていない。
戦闘に入る前に項に手刀を喰らい、平助君は気絶させられた。
しかし手刀を繰り出す直前、天霧さんは気になる発言を残したらしい。

なんでも、『君を傷付けるな、ととある女性に頼まれましてね』とかなんとか。

結果として彼は気絶させる方法を取ったようだが、生憎平助君は頚椎捻挫という負傷を負った。

手加減の仕方を間違えてるよ、天霧さん。

一応感謝はしているのだが。

というわけで、軽傷にもかかわらず、平助君は約一月の安静を強要されているのである。

■ ■ ■

「ふーん、そういうもんなのかね。それより名、仕事はいいのか?」

「うん。今日は非番」

私はまたゴロリと転がって平助君の方を向く。

「千鶴ちゃんも今日は左之助さんと巡察。だから暇なの。ねえ平助君、かまってー」

彼に向けて手を伸ばして子供のような声を出す。

平助君は新選組の幹部の中でも取り分け若い。
人懐っこい性格とやんちゃさも合間って、つるむには最高の人材だ。
しかも彼の側にいる時は一緒にいて肩肘張る必要が無い。明け透けな性格は諜報に属する自分にとって、一服の清涼剤の役割を果たしていた。

剣術の師として共に過ごす時間が増えたのも大きな要因だろう。
私は同じ時を過ごす中で、彼の側では等身大の自分に戻っていることに気付いていた。

それから私は監察方として精神的に疲れると平助君の元へ訪れるようになっていた。

「か、かまって、って言われてもなあ。オレまだあんまり動けねーし」

「別に動かなくていいよ。暑いし。というかもしこれ以上汗かいたら脱ぐよ私は。汗疹になっちゃいそう」

私はげんなりした顔でまた寝返りを打つ。
さっきからゴロゴロしてばかりいるのは、自分の体温で温まった床板から冷たい床板に移動しているためである。

山崎君や山南さんが見たらここぞとばかりに小言を言うに違いない。

「ぬ、脱ぐって!駄目だろそれは!色んな意味で!!」

平助君が慌てる。その頬に微かに朱気が昇っていた。

(初々しいなぁ)

和む。やっぱり平助君の存在は貴重だ。

諜報なんて神経の擦り減る仕事をしている分余計にそう感じる。

「まぁまぁ赤くなちゃって。色々って何だよ。平助君てばやーらしー」

私の意地の悪い言葉に、ますます顔赤くなっていく。

「なっ、違っ!名おまえオレをからかうなよっ

いや、ほんと可愛いなぁ。
私は平助君の反応を一通り楽しんだ。
しかし堂々巡りしたように、同じ思考に帰着する。

(しかしそれにしても暑いなぁ……)

何とか涼を得られる方法が無いものか。
真剣に思案すること数瞬。

私はぐるりと首だけを動かし、真剣な顔で平助君を見据えた。

「そうだ平助君。水浴びをしよう」

「……は?」

「だから、水浴び」

意味もなく開けられた口が、無防備な呆けた表情を作る。
しかしその表情は見る見る湯気が出そうな程に赤くなっていった。

返答も聞かず、私は立ち上がる。

「はい、そうと決まれば善は急げ。早速井戸に向かいましょー」

固まってしまっている平助君の腕を取る。私の指が腕に触れた途端、平助君は静電気に触れたように反応した。

「ちょっと待てって!おまえ、自分が女だって忘れてんだろ!?」

うろたえている平助君。私は平然とした表情を作って見せる。

「忘れてなんかいないさ」

純情な彼をからかうのは楽しい。ちょっと調子に乗りすぎている気がしないでもないが。

「裸で一緒に風呂に入ろうと言ってるわけじゃあるまいに。水浴び程度で何をそんなに慌てているのかな?」

「ばっ!!」

馬鹿、と言いたかったのだろうが。それすら言葉になっていなかった。

私はケタケタと笑いながら、平助君の腕を引いて井戸へと向かった。

 


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