春のかたみ
六
自分の手でも、誰かを救えた。護ることが出来た。
傲慢な考えだと思う。それでも、私にとっては確かな前進だった。
「何だかよくわからんが。……俺はおまえは良くやっていると思う。あまり思い詰めるな」
いつの間にか一君が私の前で膝をついていた。いつもは見下ろされるばかりの視線が、同じ高さにまで下りてくる。
彼の指が、そっと目の端をなぞる。
その行為の意味が理解できず、首を傾げようとしたところで、思い至った。
拭われたのだ。目の端から零れそうになっていた、涙を。
頬に朱気が昇る。恥ずかしい。
これでは泣き顔を見られたのと変わらない。
鍛練の時ですら、どれだけ木刀で打ち据えられても、涙を見せたことなどなかったのに。
「〜〜っ」
だからだろうか。
声にならないくらい恥ずかしい。むしろ恥辱で涙がそうなくらいだ。
どうしても顔が上げられない。
「俯くのは構わんが、怪我が無いなら下に降りるぞ。皆、おまえが単身乗り込んだと知って心配している」
ああ、きっと新田さん辺りが言い触らしたんだろうなぁ。安藤さん無口だし。
私は思考を無理矢理切り替え、諸々の事から意識を逸らすことにした。
一君は私の手を取っ手立ちあがらせる。
彼も左利きだ。だから差し出された左手を取るのは右手になる。
右手は無事だから問題はない。
しかし問題だったのは私の足の方だった。
「っ!」
嘘。まだ戻ってないなんて。
重心を上手く保てず、上体が傾く。
たったあれだけのことでここまでになる、自分自身に驚く。
確かにこちらの世界に来て半年以上。恋仲にあった男とはそれよりもずっと前にと別れている。
あまりに長く間が空きすぎて、体が過敏になっているのだろうか。
それにしても初な少女じゃあるまいし。
女であることを強みにに監察方になった自分が、こんなことでどうするというのか。
一君が私の両肩を支えてくれていた。自分の情けなさに意識を奪われていた私は、頭上で紡がれた言葉に心臓がどきりと鳴った。
「――まだ、立ち上がるのが辛いか」
眉を僅かに顰めながら彼が口にした、『まだ』という言葉。その単語が指し示す事実。
一君は、知っている。
どうしてすぐに立ち上がれなかったか。どうして、足を縺れさせたのかを。
私が、総司君と『何を』していたか知っている……!
口にした本人はきっと気付いていない。彼は今も知らない振りを続けている。
だから、私もそれに合わせることにした。幼稚な思考だが、無かったことにしてしまいたかったのだ。
総司君の真意は今だ知れない。
私達を繋ぐ関係は決して甘いものではなかったはずだ。男女を結ぶ、秘めやかな恋情などでは、決して。
だからこそどういった要素が結実してああいう行為に至ったのか。私にはそれさえも理解出来ないでいた。
ただ一つ言えることは。
『私は、私を愛してくれる人しか愛することができない』
だからこれはきっと恋にはならない。いや、してはいけない。
無理矢理結論へ至らせ、私はこの一連の出来事を思考の外へ追いやる。
これ以上は囚われたくない。
一君に御礼を言って体を離す。
そんな行為は無かったのだと己に言い聞かせるように、自分の足で階下に向かう。
腰に差した暁が鞘の中でカチカチと音を立てた。
結局この刀が血を吸う事は無かった。
だが、今はそれでいい。いつかは否応ない時がくる。なら、その時まではこのままで。
私の目的は『護ること』。
必要に駆られれば躊躇うつもりはない。
他の事に意識を奪われている余裕は無い。
■ ■ ■
「平助君っ!」
今の自分が監察方としてここにいることも忘れ、私は声を上げた。
だが声に反応する様子はない。直ぐさま彼の額を確認する。そこに赤い色は見受けられなかった。
(外傷が、ない?)
直ぐさま私は倒れた平助君の下へ駆け寄る。
頸動脈に指を添え、口に手を翳す。脈動と吐息。大丈夫、生きている。
(良かった……)
全身から力が抜ける。知らず止めていた息が口から漏れた。
私の存在に気付いたのだろう。配下の隊士達に指示を飛ばしていた新八さんと左之助さんがこちらに近付いてきた。
二人の眉間には深い皺。
何故だろう。怒っていらっしゃる……?
嫌な予感。脊髄でそれを知覚した私は、体が脳の指令を受ける前に後方へ跳びのこうとする。
「おい待てコラ」
真上から頭蓋骨を鷲掴みにされ、押さえつけられた。
逃亡は不可能。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。よくわからないけど謝るんで許して下さい。つか放して下さい痛いです」
私は即行で新八さんに謝罪する。
このよう様子を見た左之助さんも呆れ顔だ。怒気も収まってしまったらしい。
「おいおい新八、それくらいにしといてやれ。名の頭が砕けたらどうすんだよ」
……左之助さんも怖いこと言うなあ!
確かに新八さんの右手はギリギリと私の頭蓋骨を締め付けていますけど。
「いや、こいつはこうでもしなきゃ懲りやしねえ。朝といい今といい、おまえはどんだけ俺等を心配させりゃあ気が済むんだ?あ?」
頭を掴む手に込められる握力が増す。
え、だから痛いって。なんか耳鳴りするんですけど。
新田、覚えとけよ……。
私が単身乗り込んだことを安易に言い触らした彼に呪いの念を送っておく。
夜道で側溝にでも嵌まってしまえ。
段々と意識が遠退き始める。瞳が虚ろになりかけた頃、漸く私は解放された。
ああ、眩暈がする。
後方へ足が縺れた。このまま転ぶのはさすがに悔しいので、何とか踏み止まりたい。
「「あ」」
新八さんと左之助さんは同時に声を上げた。二人の視線は私を通り越し、その先を見ている。
背中が何かに当たる。その何かが支えとなって、私は重心を取り戻した。
しかし当然それは壁等ではない。体温を持ち、私よりも長身の、誰かだった。
またもや、嫌な予感。
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