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春のかたみ

 
「……それでも、それでも僕は、君をあんな奴に渡すつもりはない」

「え――?」

ぽつりと唐突に呟かれた言葉。その意味を理解することが出来ない。
私は無意識に呼吸を止めた。
それは肉体の経験による無意識の条件反射だった。

(な、に……?)

息が出来ない。当然だ。唇が塞がれているのだから。

口唇に触れる、柔らかな感触。視界に広がる、端整な顔立ち。月光を反射する蛍色の輝き。

甘い口付けなどでは決してない。むしろ噛み付くような口付け。

脳が状況を認識して、体を離すために腕を動かそうとする。
しかしそれは敵わなかった。肩を掴んでいた手が私の両手を捉える。抵抗すらさせてもらえない。

口付けが深さを増していく。
舌が歯列をなぞるように動き、己のモノと絡む。
身体から力が抜けていく。こんな状況ですら反応してしまう、己が女身を憎いとすら感じた。

「んぅ……ぅ、っふ、ぁ」

抑えようとしていた声が、漏れる。悔しい。頬に朱が差すのが解る。耳が熱い。

……どうしてこんな状況に陥っているのか解らない。

解放を、願う。

掴まれた腕に込められる力が徐々に弱まった。ゆっくりと余韻に浸るように唇が離れていく。

絡められた舌が、離れる。
それは僅かに銀色の糸を引いて、口付けの深さを物語っていた。

「っん、……はぁっ」

吐息が漏れる。その音に甘さが含まれているように聞こえて、私は慌てて口許を拭う。

「――消毒だよ」

総司君が悪戯な笑みを湛える。正直殴ってやりたい。
だが、身体に力が入らなかった。今すぐ立てと言われても、まっすぐ立っていられる自信がない。

それにしても、消毒?
意味が解らない。

(…………。いや、待て。もしかして、あの時か?)

私は記憶を探る。

風間さんに髪を掴まれ、口布を外された時。
あの時はお互いの吐息が感じられる程に近づいていた。私は部屋の出入り口に背を向けていたし、角度によっては『そう』見えなくもないかもしれない。

もしかして総司君はそれを勘違いして、今の行為に至ったのか?

しかし動機については依然として全く想像すらつかなかった。

■ ■ ■

「何をやっているんだ総司。それに名、どうしてあんたがここにいる」

声に導かれ首を動かす。廊下に一人立っていたのは一君だ。

浅葱色の隊服は所々血に染まっている。濡れ方から判断して、全て反り血だろう。手傷を負っている様子はない。

良かった。

「一君も白々しいなぁ。ま、良いけどね。それよりそっちはどうだったの?近藤さんに怪我はない?」

いつの間にか普段の調子に戻っていた総司君が立ち上がって声をかける。
いつでもどこでも近藤さん第一なのは変わらない。

一方私は立ち上がることが出来ずにいた。まだ、絶対にふらつく。

一瞬だけ一君と目が合う。しかし視線はすぐに逸らされ、総司君の方へ向いた。

(あれ。今、眉を顰められた?)

気のせいだろうか。
しかし気になって思い返してみる。そういえば第一声にも苛立ちのような響きが含まれていた気がしないでもない。

四国屋には山崎君とともに、千鶴ちゃんも伝令として同行していたはずだ。
私も戦地にいるだろうことは容易に想像がつくはずなのだが。

「数名の怪我人は出たが、重傷の者はいない。近藤さんも無傷だ」

淡々と戦果報告がなされる。
しかし総司君としては近藤さんの安否以外の事に興味は無いらしい。さっさと部屋を出ていく。

総司君はすれ違い様、一君の肩に手を置いた。何事かをその耳に囁く。
声が小さく、私には何を言っているのか判断がつかない。

表情に乏しい一君の表情が、歪む。

彼の表情がこんなにもわかりやすく変化するのは珍しい。

一体何を吹き込んだのか。もしまた意地の悪いことをでも言っていたなら説教してやらなきゃ。

そう思うが中々立ち上がれない。
総司君は階下へと消えて行く。
気まずい空気が残された。

先に口を開いたのは一君だった。
何かを吹っ切るように溜息を吐き出し、逸らされていた視線がこちらを向く。

「……怪我はないか。奥沢達から聞いた。金髪の男はこの部屋から飛び降りてきたそうだが」

最初の問いに私は頷こうとして僅かに躊躇った。利き腕の左手首は鈍いながらも疼痛を訴えている。
今日は鎮痛剤を多めに投与しているから、薬効が落ちればかなりの痛みになるはずだ。

そんなことより。

「そうだ!その奥沢さん達は大丈夫!?怪我とかしてない?」

一君は突然様子が豹変した私を怪訝そうな様子で見下ろした。

この部屋の窓は丁度裏庭の上にある。
下に張り込んでいた奥沢さん達が切り掛かれば、風間さんに斬られていてもおかしくない。

一応の忠告はしておいた。しかし乱戦状態では自己防衛のために咄嗟に反応してしまうことも考えられる。

「……?多少の刀傷はあるが、大した怪我はしていない。あいつらもあんたの忠告を守ったといっていたし、金髪の男も直ぐに姿を消したそうだ」

「良かった……っ!」

思わず涙腺が緩みそうになる。
今まで彼等と言葉を交わしたことは殆どない。それでも、彼等の命が助かったことが嬉しい。

 


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