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春のかたみ

 
後一息で打開できるかもしれない。

今の問いはこちらの主張を聞いておく必要があると判断した証拠。悪条件でなければ要求受け入れることも視野に入れているということだ。

「私はお願いに来ただけ。……戦闘が始まる前に引いてくれないかな?」

私の言葉に風間さんの表情に笑みが戻る。
どうやら状況の好転にはまだ手が足りていなかったらしい。

「……嫌だといったら?」

主導権が自分にあることを知り、意地の悪い笑みで風間さんは言った。

わざわざお願いしに来てるのに。ほんと腹立つ奴だなー。

そんな個人的な感情が思考を過ぎる。だが今はそんなものにこだわってなどいられない。

私は三つ指をついて頭を下げた。

「生憎薩摩藩に対して下げる頭は持ち合わせが無い。誇り高き鬼族を統べる、貴方にだからこそ頭を下げましょう。――どうか、私の仲間を傷付けないでいただきたい」

今だ発せられ続ける威圧的な空気に変わりは無い。だが、苛立ちの気配は消えた。
振ってきた声音には面白がるような響き。

「では、俺がそれも嫌だと言ったらどうするのだ?貴様は」

(……この我が儘王子め)

内心で悪態を吐く。
もし本当に言ってきたら、私としても『よくもそんな悪役の台詞を平然と口にできるな』と言ってやることしかできない。

もはや呆れを通り越して感心してしまった。
私は頭を下げているのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。

「別に。ただ私が貴方と仲間の間に割って入るだけです」

淡々とした返答。言葉の意味を勘違いしたのか、風間さんが嗤った。

「見たところ大した腕が有るようにも思えんが。我らを鬼と知った上で勝負を挑むか。……愚かだな」

やはり勘違いしている。

刀を握って半年かそこらの自分が鬼と勝負?

馬鹿げている。漸く独り立ち出来る様になった赤子が、陸上選手世界王者に徒競走を挑むくらい、馬鹿げている。

「何か勘違いしてません?」

私は冷めた視線で彼を見上げた。紅玉の瞳と目が合う。

「ただ、引いてくれないんだったら私が盾になって、仲間が逃げる時間を稼ぐだけですよ。貴方も狙ってもいない獲物を追いかける程酔狂ではないでしょう?」

私はにっこりと微笑んだ。
薄暗い室内。顔の半分を口布で覆っているために表情が伝わることはない。

しかし、何らかの要素が彼の瞳を僅かに見開かせた。

「貴様、どこかで――」

私の頭上で風間さんが呟いた時、俄かに階下が騒がしくなった。

「――御用改めである!――」

近藤さんの朗々とした声が耳に届く。直ぐさまあちこちで怒号が上がり、剣撃の金属音が激しく打ち鳴らされる。

それに最初に反応したのは天霧さんだった。音もなく移動し、部屋を出ていこうとする。

私は咄嗟に叫んで彼を呼び止めた。

「お願い、平助君を、皆を殺さないで!」

(――しまった)

己の立場も弁えず、地が出てしまった。
今まで取り繕ってきた、作り上げてきた自分の奥に隠していた弱い本性。
何の有効性も、強制力も持たない、非力な愚者が上げる叫び。

それでも天霧さんは律儀に私を振り返る。理知的な瞳からは感情の起伏を読み取ることが難しい。

「それは、私達に自己防衛をするな、という意味でしょうか」

疑問。どこまでも落ち着いたその声。まるで彼は機械のようだと思う。

しかし言葉からは僅かだが嫌悪感が感じられた。
恐らくは彼も【鬼】と【人間】種族の差に無意識の内に囚われているのだろう。

「違う、そうじゃない。だってこれは勘違いだもの。私達は長州志士を捕らえるために、引けない。だから長州を監視しているだけの貴方達に引いてもらいたかった。争う理由もないのに、傷付け合うことに意味はない」

天霧さんは黙って耳を傾けていた。私が口を閉じると、首を縦に振って見せる。

「……私も、そう思います」

彼の機械のような顔が、温かみのある表情に変わったように錯覚する。しかしそれは一瞬のことで、言い終わった時には天霧さんは廊下の闇に消えていた。

意識が完全に風間さんから逸れていた私は、突如髪を引っ張られて意識が彼に戻る。結い紐が解け、後頭部の辺りを鷲掴みにする手から零れた髪が肩に落ちた。

紅の視線が私の瞳を覗き込んでいた。その瞳がこの状況を愉しむように笑みの形に細められる。

顔を隠すための口布が外され素肌が夏の夜気に晒された。

私は何故か反抗することが出来ずにいた。
蛙も蛇に睨まれた時はこんな気持ちを味わっていたのだろうか。

絶対的上位者。生物のヒエラルキーの上位に立つ者。

何も考えられない。逆らう気すら起きなかった。絶対的王者の前に、平伏す以外の選択肢が浮かばない。

通常の自分だったら考えられない程に情けない状況だった。
しかし恐怖ではなく、本能が私にそうさせた。これが遺伝子の声なのかもしれない。

お互いの吐息が感じられる位置。明かりのない室内で、睫毛の一本一本すら瞳に捉えることの出来る距離。

「――やはり貴様は、あの時の女か」

頭蓋の中で反響する低音の声。今も脳は思考する事を拒否し続けている。

完全に魅了されていた。

【鬼】という、美しい生き物そのものに。

 


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あきゅろす。
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