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春のかたみ

 
■ ■ ■

武器庫を離れ、古高を拘束している部屋まで戻る。
女中を連れているだけで周囲からの警戒心は殆ど感じられない。実際には女中の半歩後ろを不安げな面持ちで歩いているのだが。
それだけで私を見る周囲の視線は『哀れな被害者』に対する憐憫という紗幕がかかっていた。

押入れの戸を開けると、古高はまだ意識を失っていた。その体を引っ張り出して畳みの上に寝かせる。
念のために呼吸を確認、脈を計測してみたが、恐らくは問題ないだろう。多分。睡眠導入剤の配合が少し多かったのかもしれない。

「旦那様!?」

女中が一瞬取り乱す。しかし己の主人に対して一末の疑念が巣食っていたのだろう。古高に駆け寄る事を僅かに躊躇った。

「心配しなくても大丈夫。生きてるよ」

「何なの、何なのよ!貴女、一体何が目的なの!?」

女中が問う。私はその問いに対して肩を竦めた。

「もう一度だけ言っとくけど。――『好奇心は猫をも殺す』」

私は軽い口調で言葉を続けた。

「ま、聞きなれない箴言かもしれないね。元は異国の諺だし。でも、世の中知らずにいた方が楽しい事もあると思うよ」

私は女中が最初に持っていた茶器で茶を注ぐ。湯飲みに口を付けた。
温い。これでは常温とさして変わらない。

異常事態に日常の行動を取りたがるのは、精神がバランスを取ろうとしているからだ。私の脳は、まだ異常を日常として認識できていないらしい。
監察方の人間としては嘆くべきか。

「私の目的、ねぇ。今のところは古高の身柄を確保して、長州密偵の会談を阻止。京の治安を護ることかな?」

どうやら女中が気付いた。今の京都で罪人を追う警察的な役割を持つ奉行所とは別に、公安を担う一組織。

「人斬り新選組……!」

俄かに面から慌しい人の動きが伝わってくる。遠くで怒号が飛び交い、ばたばたと騒がしい足音が近づいて来た。私は湯飲みの中の茶を飲み干す。

「今にわかるんじゃないかな。人の口には戸を立てられない。一段落過ぎたらこちらからも公表することになる。彼らが一体何を起こそうとしていたのか」

背後の障子が乱暴に開け放たれた。

「名ちゃん!!」

ようやく現れた総司君を振り返って見上げる。いつも飄々としている彼にしては珍しい。額に僅かに汗が浮かんでいた。

私は平坦な声で悪態を吐く。

「遅いよ。待ちくたびれたよ」

「……勝手に姿を消しといて、よくそんなことが言えるね。これでも一応心配したんだけど、僕」

驚愕。そんなまさか。道場で鉢合えば真剣勝負を持ちかけ、いつも虎視眈々と私の首を狙っている総司君が、心配?

「え?何?山南さんに私を見失って怒られるかもしれないこと?」

だってそれくらいしか考え付かないんですけど、私。

「……」

総司君の目に蛍色の鬼火。

あ。やばい、怒った。
というか『心配した』って言った直後に殺気を放つなよ!

「や!嘘々、嘘だって!総司君ならきっと来てくれるって信じてた!」

慌てて取り繕う。私の様子を見下ろした総司君の顔に呆れが浮かぶ。

え、なんだろう。ちょっと屈辱。

でもその瞳から敵意や冷たいものは感じられない。今までに見たことのない、穏やかな、本当に蛍の灯火のような優しい、色。

私は態度を改める。

「悔しいけど、さすがだね、やっぱり。来てくれて嬉しかった。……ありがと」

総司君にお礼を言うなんて、なんだかむず痒い。
普通に笑うつもりだったのに、どうしてもはにかんだような笑顔になってしまった。

「どういたしまして」

総司君も笑う。誰かを見下すでも、嘲笑するための笑顔でもない。
それは同じ危険に身を投じる仲間にだけ見せる、対等な笑みだった。

■ ■ ■

古高の口に気付薬を数滴落とす。急須に注いだ白湯で薬を嚥下させる。

目を覚ました古高は麻酔薬に思考を制限されているのか、焦点の合わない目で宙を見ている。
その視界、古高の眼前に私は真鍮製の鍵を翳す。鍵を焦点に徐々に視線が定まっていく。

「この鍵で閉ざされた扉の中は既に確認した。詳しい話は屯所で聞かせてもらう」

古高の顔から一瞬で血の気が引く。傍らに立つ総司君の浅葱色の羽織を見て、私の正体に思い至ったようだ。その表情が絶望に塗りつぶされていく。

私は手中の鍵を総司君に放った。
廊下に控えていた一番組の隊士を呼び、古高の手を拘束する縄を引き渡す。そのまま廊下へ出ようとしたところで呼び止められた。

「この人はどうするつもり?ここにいる以上、何らかの聴取がいるんじゃないかなあ」

私は己の肩越しに総司君を振り返る。彼の瞳はいつもの冷たい色に戻っていた。

女中が怯えた様子を見せる。
一番組組長、沖田総司。敵対する志士ですら畏怖する存在。怯えるのも当然だろう。

「その人はただの女中。何も知らなかったよ。古高が長州潘の人間だとは知ってたみたいだけど、それだけ。それ以上のことは知らなかった」

総司君の蛍火の瞳と視線が絡み合う。
男女の甘いそれとはあまりに異質すぎる、視線の攻防。どちらかと言えば自然界で猛獣達が交わす視線に近かった。

私は言葉を重ねる。

「今はそれどころじゃないの。仕事を増やさないでくれる?さっさと古高から話を聞きださなきゃ【間に合わなくなる】」

数瞬の沈黙。先に折れたのは総司君だった。

「……ふぅん。ま、名ちゃんがそこまで言うんなら。そういうことにしておいてあげる」

女中は意外そうな顔をしたが、安堵は隠せない。結局彼女ははお咎めなしとなった。

私達は古高を引き連れて武器庫に向かう。
室内にはただ女中のみが残された。

 


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