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春のかたみ

 
■ ■ ■

火薬庫らしき扉があった位置までは、通された部屋から角を三つ戻る必要がある。

一つ目。問題なく通過。そのまま廊下を進む。

表からは人の気配がするが内部は至って静かだ。おそらく営業を再開したのだろう。

二つ目の角の手前に差し掛かる。――停止。

軽い足音。足運びから女性と判断する。カチカチと陶器が触れ合うような音は、恐らく盆に載った
茶器の音だろう。

奥の部屋からここまでの間、恒常的に使用されている部屋はなかった。
とすれば、近付いてくる足音は奥の部屋にいるはずの自分と古高を持成すために向かってきていると考えるのが自然。

(まずいなぁ)

向こうが音の聞こえる間合いに入る前に暁の鯉口を切っておく。
こういう場合は大刀の暁よりも脇差の夕星の方が扱いやすいのだけれど。不満を言っても仕方が無い。

曲がり角ギリギリで壁に背を付ける。息を潜めて相手との距離を測った。

五歩、四歩、三歩。刀身を抜き放つ。
二歩、……一歩。
身を屈め、角を曲がってきた女中の死角を突くように後ろを取る。予想外の事態に女中は反応が出来ない。両手で盆を持っていることすらこちらにとっては好都合となった。

着物の袂を使って女中の口元を押さえ、「声を出すな」という指示を暗黙に示す。喉元には水平に暁の刃をかざす。
女中はすぐさま状況を飲み込んだようだ。恐慌を起すことも抵抗もない。
女中と言えども桝屋の人間には代わり無い。それなりに教育はされているようだった。
それでも身体が密着しているために、微かな震えが伝わってくる。

「賢明だね。そう、静かにしていてくれるかな。……斬られるのは、怖いでしょう?」

刃を喉元から離し、水平に上昇させる。女中の両目を跨ぐ位置で停止。瞬きをしようにも睫が刀身に掛かって動きを阻害する。このまま刃を当てて横に引けば、両眼の失明は免れない。
女中の額から汗が流れ落ち、顎へと伝った。閉じることも出来ずに見開かれた瞳には涙が溜まっていく。カチカチと小刻みに歯が鳴り出した。

(落ちたな)

視覚的な恐怖は即効性が高く、また実効性も強い。

磨かれた刀身を鏡にして、女中の瞳から完全に抵抗の意思が消えたことを確認する。
拘束を解いて暁を鞘に納めた。
女中の腰が砕ける。咄嗟にその体重を支え、茶器が載せられた盆も引き取る。

私は女中を立ち上がらせる。肩に触れれば、恐怖心が電流となって彼女を打ち据え、震わせた。

「君はただ何食わぬ顔で私の横を歩いていればいい。『私は桝屋の主人に礼を言って、今帰るところなんだ。だから君が案内をする』……いいね?」

そう理解しろ。そして振舞え。

言外の要求を本能で理解し、女中はひたすら頷く。
私は女の涙を自分の懐から出した手巾で拭ってやる。大して化粧気のない女の目尻は布で拭ったからといって問題は無い。

暁を布で簡単に包み直し、私は桝屋の女中と共に二つ目の角を通過した。

■ ■ ■

三つ目の角を曲がって廊下を進み、目的地前。

漆喰の重厚な壁の前に私達は立っている。懐から拝借した【鍵】を取り出し、真鍮製の錠前の鍵穴に差し込む。がちゃりと重たい音を立てて、鍵が外れた。

「一体何を……そこは私達ですら中を知らない、大切な場所なんですよ!旦那様が決して近づくなと、御自分で管理されている場所なんです!……この恥知らず!」

女中が非難がましい声を上げる。
脅しが一応まだ有効に作用しているのか、声は小さいが。

逞しいものだ。恐らくこの女中は今まで肉体的な恐怖を他に経験したことがないのだろう。

しかしあれ以上の恐怖を精神に植えつける方法となると、実際に痛覚に訴えるしかない。私としても、恐らくは彼女としても、出来れば避けたい選択だ。

「恥知らずでも何でもいいけどね……。ふぅん、君は知らないんだね。ここに一体何が納められているのかを」

「……貴方は知っているっていうの」

「知ってるさ」

私は重たい扉を押し開く。
蝶番にはちゃんと油が差され、この場所が丁寧に管理されていることが伺える。窓は無く、暗い室内は乾燥していた。
扉を開けたことで起きた空気の対流が、廊下に独特の臭気を漂わせる。

「これが、一体何だって言うの」

私とてここに納められているものが剥き出しのまま安置されているとは思っていない。当然、壷や木箱に納められている。それらは銘が記されていないままの物が殆ど。
私は大きさや形状に適当に目星を付けて中身を確認する。刀や組み立て式の槍、そして【黒い粉】。

「興味があるなら見てみれば?」

私は彼女を誘う。世の中知らなくていいことだってある。だから決して強制はしない。

それでも女中は薄暗い室内に足を踏み入れた。どうやら様々な感情を好奇心が上回ったようだ。
私は壷を除く際には口元を布で覆うように忠告をしておく。間違っても体内に吸い込むべき物じゃない。

「な、に、この粉。なんだか変な臭い」

壷を覗き込んで女中が呟く。教育されているとはいえ、流石に武器弾薬の知識までは無いらしい。

「黒色火薬だね。【焔硝(えんしょう)】、と言った方が君達にはわかりやすいのかな?」

「っ!!」

女中が飛びのく。その首が左右に振られ、室内でかなりの割合を占めている、同型の壷を見やる。そしてそれらの全てに同じ物が詰められている可能性に思い至る。

「い、一体、何で、こんな」

思考が追いついていないため、発せられる言葉は繋がりを得ない。それでも彼女の思考は推察できる。

「知りたいなら教えてあげてもいいけれど。でも知ったらもう戻れない。君が仕えている旦那様が『誰』なのか、それを考えてから質問してね。――好奇心は猫をも殺すよ」

私は壷の蓋を閉じ、確認した物を元々あったように戻す。廊下に出て扉を閉め、再び鍵をかける。

女中が、それ以上私に質問してくることはなかった。

 


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