春のかたみ
一
元治元年六月。
日差しが熱を帯び、空気に蒸されるような錯覚を覚えるようになった頃。
店の中には緑茶と甘味の香りが漂う。
花色の女物の着物を纏い、私は給仕の職に勤しんでいた。
「名ちゃん、次はこっちね!」
「はーい、少々お待ちくださーい!」
店内の客達が間を置かず私を呼びつける。私は客の合間を渡り鳥のように行来して注文を奥へ届ける事を繰り返す。
この茶屋は一階では甘味処として茶と菓子を提供している。
二階はお得意様用の個室で、甘味の他に軽い食事や酒も出す事もある。
こういった店では珍しく、それなりに大店だった。少なくとも花街や旅籠から注文を取る事もある程度には。
この店の常連に桝屋の人間がいるとの情報から、私は給女として潜入していた。
「お待ちどうさまでした。御注文の抹茶と葛餅になります」
椀と皿を若い男性客の前に並べてにっこりと微笑む。
出来る限りたおやかな動作を心掛ける。
ここ最近は男装をしていたため、所作が粗野になってしまうことがあった。妙な所でドジを踏むわけには行かない。
「ありがとう名ちゃん。……あの、そろそろ祇園祭も近くなってきたよね。もし、良かったら」
「ごめんなさい、今は他のお客様が待ってるから。お話はまた」
相手が最後まで言い切る前に、当たり障りのないように言葉を遮った。
この店に潜入してから半月程経つ。
ここ数日では祇園祭を間近に控え、男性客から祭の同伴の誘いが増えてきていた。
しかしこちらはそれ所ではない。
監察方として桝屋の人間に近づき、攘夷派への探りを入れる。
そしてその他にも監察方の立場を利用し、個人的に【八瀬の里】、長州、薩摩、四国の鬼事情も探っている。
出来るものなら八瀬の里には友好関係を持ち掛けたい。
しかし時間がない『今』は、入ってくる情報でさえ取捨選択が必要だった。
目下この店で入手したいのは【桝屋・喜右衛門】の情報のみ。
私は若い男性客の元を会釈して離れる。そして一人の客の元へ注文取りに近付いた。
「いらっしゃいませ、御注文をお伺いしますね。……桝屋さん」
■ ■ ■
注文を受けたお茶と水羊羹を桝屋の番頭の前に並べた。最後にサービスで団子を二串で付ける。
「最近よく来て下さるってことは、随分とお店の景気が良いみたいですね」
「まぁそれなりにやね。それよりも祇園祭が近いからさっきみたいな客が増えて名ちゃんも大変やろ?」
確かに。男性客の中には祇園祭の同伴の誘いやそれに託けて関係を持ち掛けて来る客がいる。
その数の多さには、正直驚きを通り越して辟易し始めていた。
有益な情報が手に入りそうな客や、人脈として繋がりを持っておきたい客。
そういった相手には厭味にならない程度に媚びを売るのが仕事だ。
相手がこちらに好感を持ちやすいように。都合よく勘違いを起こしてくれる程度に。
「でも、こうやって心配して下さる方がいらっしゃいますから」
私は笑みを浮かべて番頭の存在を立ててやる。
こちらの意図にも気付かず番頭は少し照れたように笑った。
「名ちゃんには敵わんわあ。折角やし、店の連中の土産に団子を三包み程包んでおくれ」
「ありがとうございます。……そういえば祇園祭で思い出しましたけど。最近、京も人が増えましたね。……この辺りでも京より西の訛りの方を良くお見かけしますよ」
笑顔だった番頭の表情に変化はない。
ただ、視線が私から僅かに逸らされた。三日月型に橈められていた目尻の筋肉に、僅かな緊張が見受けられる。
「……そうなんや。西の、ねえ。それは私も知らんかったな」
(かかったな)
祇園祭見物の人手に紛れて京に攘夷派の志士が入って来ていることは、既に情報として上がってきていた。
それに呼応するように、桝屋に長州の人間の出入りが増えて来ていることも。
情報源は他の監察方隊士からだけではない。一般人からも目撃情報は上がっていた。
ここは素直に相槌を打っていた方が自然だっただろう。
しかし現実に出た返答は否定だった。
明らかに桝屋では長州派の人間の出入りを隠匿しようとしている。
隠すには隠すだけの『何か』が有るということに他ならない。
「すみません、お団子の方は今ので作り置きを切らしてしまったものですから。ご用意が出来たらお店にお届けします。……ごゆっくり召し上がっていって下さいね」
私は笑顔のまま奥に下がる。
実を言えば団子の作り置きはまだ残っていた。
だがこれは桝屋の様子を伺う好機。
……まぁ今日分作り置きの団子は、私のポケットマネーで皆へのお土産として持って帰ろう。
どうやら今日は中々の釣果が期待できそうだ。
■ ■ ■
「すいませーん、桝屋さんから店にお団子三包みの注文お願いしまーす!」
注文を奥に届けると、二階の客の応対をしていた女将さんから声が掛かった。
「名はん、池田屋さんからお茶席のお茶とお菓子の注文どす。私は御二階のお客さんの御相手がありますさかい、明日の午後、お願いできはります?」
「もちろんです女将さん!私で良ければ行かせて下さい」
私は一も二もなく即答する。
どうやら今日はついているようだ。
この界隈で池田屋といえば、言うまでもなくあの【池田屋】。
この時期ならば既に長州の志士が客として入って来ていてもおかしくない。
しかしここまで上手く事が運ぶと返って薄ら寒くもあった。気を引き締めて隊務にあたろう。
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