春のかたみ
二
私は今まで平助君と一君以外に剣を交えたことが無かった。
正体がバレたりしないように、時折巡察に同行する以外は、一般の隊士達とは顔を合わせることも少ない。
実力を測る基準が二人以外にいなかった。そのため自分にどの程度の力量があるのかわからなかったのだ。
たとえそれが贔屓目だったとしても。私に隊士とやりあえるだけの実力があれば、【有事】の際に近くにいることが出来るかもしれない。
いざと言う時に、足手まといだと遠ざけられるのは嫌だ。
それでは守りたいものも守れない。
叶えたいことも叶えられない。
だからこそ血を吐くような鍛錬を積んできた。
私は再度気を引き締め直して、総司君に向かい合う。
ここにいる皆に、私の力を認めてもらうために。
■ ■ ■
刀身を下から上へ跳ね上げる一条の剣光。とっさに柄を顔の位置まで持ち上げ、切先を下にして総司君の刀と斜めに交差させて防御する。
そのまま火花を散らすように刀を滑らせ、切っ先同士が離れる瞬間にお互いに後方へ退く。
総司君が刀身を水平に寝かせて左手を沿え、刺突の構えをとる。私も自分の刀を掲げ、上段で横に傾け右掌を柄の先に添えて構えた。
ほぼ同時に床を蹴って、一瞬で間合いを詰める。しかし脇差にも関わらず、刀を横にして薙ぎの動作を必要とする私よりも、挙動を必要としない総司君に先手を取られてしまう。
私は足を止めずに沈み込んでそれを躱した。そして深く曲げた膝を渾身の膂力で伸ばし、さらに加速する。彼の右手へ走り込んで斬り込んだ。
腕を振らずに柄の先に添えた右手で刀を回転させ、遠心力を利用して一撃の軽さを補うつもりだった。
「名ちゃんって面白いね。……本当に殺しちゃいたいくらい」
――しまった。
そう思った時には、大抵の事態は手遅れだ。
私は完全に死地に踏み込んでいた。回避策が、無い。
眼前に迫る刀に、自分の死を悟る。
恐怖すら感じる暇もなく、瞼を下ろすことも出来ない。
この一閃はきっと寸止めでは止まらないだろう。恐らく、私の首が落ちるまでは。
総司君の目に宿って見える鬼火は、彼の殺気そのものだった。
死を悟った私の視界に一つの影が飛び込んで来る。
退紅色の着物の、小柄な背中。
「こ、んの……っ!」
私は手にしていた真剣を放り投げ、その背中に手を伸ばす。
物理的に無理な体勢から、根性と気合のみで襟首を掴もうとする。
どうやったのか、何故出来たのかは理屈では説明できない。だが何とかしてそれは成功した。
彼女を引き寄せて背から抱きこみ、肩から倒れる。
心臓が早鐘のように鳴っていた。
自身に死が迫っていたからではない。目の前の命が失われるかもしれなかった、その恐怖故だ。
「こんの大馬鹿野郎どもが!!」
土方さんの怒声に私の意識が現実に引き戻される。身体を起こして状況の確認を試みる。
……何故か総司君が窮地に陥っていた。
彼の両脇から、一君と平助君がそれぞれに愛刀の切先を彼の首筋に突きつけている。正面には土方さんがいて、総司君と切り結んでいた。恐らく自分に太刀傷が無いのは、土方さんが総司君の一撃を止めてくれたからだろう。
「大丈夫か、名、千鶴」
駆けつけてくれていた左之助さんが肩に手を添えてくれる。
冷静な状態だったなら礼を言うところだが。生憎、今の私は冷静じゃなかった。
山崎君に身体を起されていた千鶴ちゃんの肩を掴み、こちらを向かせる。そして私はその頬を思い切り張った。
ぱちん、と派手な音が鳴った。千鶴ちゃんの顔は反動で大きく振られる。
「なんて馬鹿なことを!!」
私は叫ぶ。
赤くなった頬を抑えることも出来ずに、千鶴ちゃんは呆けていた。
「真剣勝負の間に飛び込むなんて、死んだらどうするの!私は千鶴ちゃんを守るためにいるんだよ!?」
「だって……名ちゃんが死んじゃうって、そう思ったから。そうしたら体が勝手に……」
まだどこか呆けた様子で千鶴ちゃんが言葉を紡ぐ。その瞳からぽろりと大粒の涙が零れる。
「私、名ちゃんに死んでなんてほしくない。それが私のためだなんて、絶対に嫌だよ!」
その言葉に眩暈がした。
それは私の独りよがりな贖罪を否定する言葉だった。
それでも私は止めるつもりなどなかった。
私は既に彼女を妹のように思い始めている。私のような人間に微笑みかけてくれる優しいこの娘を守りたい。
自分の罪悪感を晴らすためだけじゃない。
純粋に千鶴ちゃんに降り懸かって来るだろう、災厄の火の粉から守りたい。そう思っている。
「死のうとしてるわけじゃない。死んだら何も守れないからね。……ごめん、これからはもっと気をつけるよ」
止めることは、出来ないけれど。
それでも私のせいで、千鶴ちゃんが傷ついたりしないように。これからは、もっとうまく立ち回らなくっちゃいけない。
「ありがとう千鶴ちゃん。守ろうとしてくれた気持ち、嬉しかった。でも、二度とこんな真似はしないで。私も千鶴ちゃんがこんなことしなくていいように気をつけるから」
私は懐から出した小さな手拭を千鶴ちゃんの頬に添えた。
「約束、してくれるよね?」
有無を言わせぬよう、語気に込める。
千鶴ちゃんは悲しそうな顔をしたが、それでも小さく頷いてくれた。
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