春のかたみ
二
■ ■ ■
「名ちゃん、一体どうしたの?」
ぎくり。私は思わず肩を揺らしてしまった。
不覚……!これじゃ疚しい事があるのがバレバレじゃないか……!
何故千鶴ちゃんにだけは私のポーカーフェイスは発揮されないのか。しかも一度捕まってしまうと、千鶴ちゃんはかなりの強敵に変貌するのだ。
山崎君の指示で、濡れ鼠になっていた私の着替えを持ってきてくれた千鶴ちゃんは不思議そうに私に尋ねてきた。
彼女としては私が濡れ鼠になっていることも不思議だろうし、山崎君に医務室に連行されていることも不思議なのだろう。
最近では激しい稽古の痕が彼女の目に触れないように、私は細心の注意を払っていた。
はっきり言って、これは女の子が見るべきモノではない。
それが今の自分自身の肉体への客観的な評価だった。
でも、意外と押しが強いんだよね、千鶴ちゃんって。
「ちょっと稽古でヘマしちゃってね。でも全然大したことないから大丈夫だよー?」
「……ちょっと見せて」
千鶴ちゃんは私の利き腕を掴むと有無を言わさず巻かれていた包帯を解いていく。そしてその白い布の下から現れたのは、打撲痕と重度の捻挫でどす黒く変色した私の腕だった。
「っ!どうして、こんな……っ」
千鶴ちゃんの声が震えた。
私は苦笑するしかない。こんな醜いモノ、千鶴ちゃんには見せたくなかったんだけどな。
「強くなりたいの。早く。……間に合わなくなってしまう前に」
「名、ちゃん……?」
千鶴ちゃんの瞳に一瞬知らない人間を見た時のような警戒心が過ぎる。しかしそれを振り払うかのように頭をぶんぶんと左右に振ったかと思うと、両目に一杯の涙を湛えた瞳で私を見つめてくる。
「名ちゃん、お願いだから。怪我したらちゃんと言って。ちゃんと手当てして。じゃないと、名ちゃんの体がぼろぼろになっちゃうよ……!」
「…………」
私にはその言葉に頷くことが出来なかった。
だって、私の体は既に木刀で打ち据えられた打撲痕だらけで、もうとっくに『ぼろぼろ』だったから。
私が目を逸らしたことで、千鶴ちゃんも何か感づいたようだ。表情がいつになく厳しくなると、私の両肩を掴んだ。
「名ちゃん。お願いだから、もうやめて。私、これ以上名ちゃんが傷つくとこなんか見たくない……!」
「……ごめん。それは出来ないよ、千鶴ちゃん」
「どうして……!?」
「雪村君、今は議論よりも彼女の手当てを優先させるべきだ。議論は、その後で良い」
山崎君の声は静かで、それでいて有無を言わせない響きがあった。千鶴ちゃんは唇を噛んで、悔しそうな表情で黙り込んだ。
「それで名さん。自己申告で良い、今治療が必要な怪我はどの程度ある?」
「えーっと、多分山崎君じゃ手当て出来ないかも……」
「俺も新撰組にいる以上、余程の大怪我でなければ大抵の怪我なら治療経験がある」
山崎君は引かない。真面目そうな彼にそう言われると何故か隠しているこちらが悪いことをしているような気がしてくる。
私は溜息を吐いた。確かに自分で適当に治療するよりもちゃんと見てもらった方が良いのだろう。怪我の治りが遅ければ、稽古の成果にも支障が出かねない。
「千鶴ちゃん、少し席を外していてもらってもいいかな?見ていて気持ちの良いものじゃないから」
「名ちゃん、私だって医者の娘なの。大丈夫だから、お願い。私にも名ちゃんの手当てぐらいさせてよ……!」
私は千鶴ちゃんの泣きそうな顔を見る。
私は千鶴ちゃんを守りたいだけだったのに、その私が今千鶴ちゃんに辛い思いをさせている。
そう思うと情けなかった。
もうこれ以上私から千鶴ちゃんに離席を強要することは出来ない。
■ ■ ■
山崎君に後ろを向いてもらって、私は袴の帯を解いた。襦袢のみの姿になり、腰紐は解かないまま両腕を袖から引き抜く。千鶴ちゃんに手伝ってもらってさらしも解いた。
さらしを上半身から一巻き解いていくごとに千鶴ちゃんは息を呑んだ。
当然だ。
私の体は木刀の打ち込みによる打撲痕の無い箇所を探す方が難しい状態だったのだから。
千鶴ちゃんは息を呑むのをそれでも隠そうとしていたが、これだけ近くにいてはどうしても気付いてしまう。私はそれに気付かない振りをした。
手ごろな布で胸を隠し、私は俯いてしまっていた千鶴ちゃんの頭を撫でた。
「ありがとう、千鶴ちゃん」
「準備は出来たか」
後ろを向いたままの山崎君がこちらに声を掛けてくる。私はそれに『お待たせ』と答えて、彼にこちらを向いてもらった。
「っっ!……どうしてこうなるまで黙ってたんだ、貴女は!女が耐えられるような痛みじゃなかっただろう!!」
山崎君が大きな声を出した。胸を布で抑えて隠していたから、上半身の半分は隠れて見えていないはずだ。それでも腕、肩、脇腹、襦袢の裾から覗く足。それらに無数に刻まれた痕は幾重にも重なり、どれが新しい痕で、どれが古い痕なのかも判別できないだろう。
彼がこの体を見て怒るだろうことはわかっていたので、私は苦笑して誤魔化すことしか出来なかった。
自分が出した大声で我に返ったのだろうか、山崎君の頬が徐々に赤くなっていく。
確かにこんな姿、普通夫婦の間柄か遊郭の女郎屋に行った時以外見ることは無い。きっと初めは私の体の状態に気を取られて意識が及ばなかったのだろう。
「雪村君、塗布薬の準備を頼む」
さすがに医者の娘さんといったところか。
千鶴ちゃんはあっという間に支度を整え、山崎くんの手によって治療が開始されたのだった。
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