春のかたみ
六
「……ねぇ名ちゃん。やっぱりこれ以上の修行は止めた方がいいんじゃないかな」
やがて千鶴ちゃんは私から視線を外す。水面を見つめながらそう言った。
「うーん。千鶴ちゃんが心配してくれるのは嬉しいんだけどね。でも私はもっと強くならなくちゃいけないんだ」
私も隣ではなく正面を見詰める。
「どうして?名ちゃんは女の子なのに」
確かに私は女の身である上、武士ではない。本来なら刀を持つことは許されない。
「もう時間がないんだよ。【来たる時】にその場に居ることが出来るようにするためには、強くなくちゃいけない。自分の身は自分で守れるように」
私は湯舟の木枠に後頭部を預けて天井を見上げる。
努めて明るい調子で続けた。
「男とか女とか、武士とか平民とか関係ないの!私は守りたいモノのために、自分が成したいコトのために強くなりたいだけだからね」
私の身体にはあちこちに打撲痕が残り、斑模様を描いていた。千鶴ちゃんが視線を逸らしたのもそのためだろう。
痛みもある。しかし色んなことを天秤にかけて、その上で選び、決めたのだ。
目的を諦めらることが出来ないから、修行を止めることも出来ない。
「…………千鶴ちゃん、今日は楽しかった?」
「え?」
唐突に話題を変えたため、千鶴ちゃんは一瞬何を聞かれているのかわからなかったらしい。
ははっ、と私は小さく笑う。
「土方さん頭固いからなぁ。悪い人じゃないし、あの人なりに千鶴ちゃんのことを考えてくれてはいるんだけどね」
湯舟から上がった白煙は天井までの視界を白くぼかす。
「……部屋の外にすら出してもらえない日々じゃ、いくら千鶴ちゃんでも鬱屈しちゃうよねぇ」
私はそんな風呂場の天井を眺めながら言う。
もこもことあがる湯気は多少は換気窓から出て行くが、次第に天井で結露していく。もやもやとした不満も、解消してあげなければ同じように結露するのだろう。
だからこそ私は、出来る限り千鶴ちゃんが部屋から出られるように色々と影で根回しをしていたりするわけだが。
今日の猫騒動は幹部連中を含めてお祭り騒ぎのような大捕物だった。
これがせめて彼女にとって気分転換になっていてくれれば良いんだけれど。
「えーっと、……楽しかった、です」
何故か小さな声で、しかも申し訳なさそうに返答が返ってきた。
千鶴ちゃんも自分がどういう立場なのか理解している。正々堂々とは言えないのかもしれない。
「――そっか。それなら良かった。今は皆で土方さんに掛け合ってるからさ、もう少しだけ待っててね」
「……っ、はい!」
千鶴ちゃんは両手を握り、小さく気合を入れるように答えてくれた。
私はその期待に応えたい。
心の中で気合を入れて明日も地道に交渉に望もうと決意するのだった。
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